第29話
エンジュが洞窟の中で倒れた日から、彼女が次に目を覚ましたのは2日後だった。
無理をしたためか、彼女はあの日から丸一日寝込んでいたのだ。
そしてガドゥプルの方はスターチスが持ってきた餌をちゃんと食べるようになって、少しずつだが体力も回復し始めていた。
目が覚めた瞬間、エンジュは老婆にひどく怒られた。
立ち上がることも難しい状況で、歩いて洞窟まで行くなんて死に急ぐようなものだと𠮟りつけた。
エンジュもこの老婆やスターチスに迷惑をかけるとはわかっていたが、あの時はああするしかなかったのだ。
そうでなければ、エンジュは今よりももっと後悔していた。
「面倒を見てやるのも今だけだよ。動けるようになったら、今までの分、しっかり働いてもらうからね」
老婆はふんふん鼻を鳴らしながら、エンジュに文句を言った。
エンジュも怪我さえもう少しよくなれば、何か手伝うつもりでいたが、今は首や腕を動かすのがやっとだ。
上半身を起こすにもまだ老婆の補助がいる。
こんな怪我をして自分もよく生きていたものだと奇跡だと感じていた。
「あの、本当にありがとうございました。私の事もそうですけど、ガドゥプルの事も。何から何まで世話をかけてしまって……」
「本当だよ。私もスターチスの頼みじゃなかったら、ここまで世話はやいてなかっただろうね」
「そのスターチスさんが最初に私たちを見つけて下さったんですよね? なぜ彼は私だけでなく、魔獣のガドゥプルの事まで助けてくれたんでしょうか?」
エンジュはずっと疑問だった。
普通、森の中で魔獣を見つけたら逃げるか、退治をするかだ。
あの時、ガドゥプルは弱っていた。
息の根を止めようと思えば出来たはずだ。
「まぁ、1つは竜があんたを必死に守ろうとしていた事に気が付いたからだろうね。最初は襲われていると思って、助けようとしたんだよ。けど、様子がおかしいって私まで呼んできた。それにスターチスは魔獣も他の森の動物も変わらない生き物だと思っている。弱っているのを無理に殺しやしないよ」
ガドゥプルが自分を助けようとしたなんて今でも信じられない話だ。
城の地下にいた時は警戒されて、近づくことも許してくれなかったのに。
老婆はエンジュの考えていることに気が付いたのか、彼女なりに意見を述べた。
「竜は頭のいい動物だ。長年、城の下で飼われていて狩りの仕方も忘れちまっていたんだろう? そんな状態でいきなり放り出されたら心細くもなるさ。あの竜にとってあんたは最後の綱だったんだろうね。自分の敵じゃないって思えるのは、今のあの竜の世界ではあんただけなんだよ」
老婆の話を聞いて、エンジュは何となく理解した。
父親を亡くした時、エンジュの頼みの綱は叔母のカルミアだけだった。
カルミアは全く優しくはしてくれなかったが、エンジュに寝床を貸してくれて、ご飯を与えてくれるのは彼女だけだ。
エンジュの故郷、オルタンシアには孤児院は存在しない。
存在しないというより孤児院を経営するほどの財力を持つ人も少なく、またそんな慈善活動をする団体など殆どなかった。
協会の一部でそう言った活動をしているところもあるとは聞いたが、殆どの孤児が親戚に引きとらわれない限り、奴隷として人買いに売られる。
女なら当然、大人になることを見越してそう言う場所に売り飛ばされることも多い。
だから、あんな叔母でもエンジュを引き取ってくれたことは感謝しているのだ。
しかし、もうそのカルミアもいない。
カルミアもアネモネも奴隷にされて、今どこでどのような生活をしているかも知らなかった。
それを考えるとエンジュは恵まれていた。
リナリアに命を救われて、城の地下でエビネやロベリアたちと生活が出来て、状況は最悪でもエンジュ自身の生活は恵まれていたと思う。
今でも、親切な狩人や老婆に拾われて、こうして怪我の世話までしてもらえている。
運が良かったのだとしか言いようがなかった。
「私の名前はパドマだよ。ここで薬草を取って薬を作っている。必要なもんはこの山の麓に降りたところにある村で薬を売って、その金で買って生活をしている。何十年も一人もんでね。誰かとこうして生活するのも久々だよ」
「あの狩人のスターチスさんは、一緒に住んでいないんですか?」
エンジュがそう聞くと、パドマは一度大きな目を見開いて驚き、豪快に笑った。
「あいつとは腐れ縁みたいなものだよ。お互いに山を糧に生きているから、協力し合っているのさ。スターチスは刈り取った獲物の肉の一部をくれる。その代わりに私は山菜や薬を提供するのさ。そうやってお互い助け合って生きている」
なるほどとエンジュも納得していた。
玄関先でスターチスがいるのを確認したことはあったが、家の中にいたところを見たことはなかった。
「それで、あんたは今後どうするつもりなんだい? 城から逃げて来たんだろう? このままここにいたっていつかは見つかって連れ戻されるだけじゃないのかい?」
パドマの言う通りだった。
本来、怪我さえ治っていたらもっと遠くに逃げるつもりだった。
しかし、今の状態だと自分は動けそうにない。
ガドゥプルだけでも故郷に帰ることが出来たらいいのだけれど、彼女が故郷を覚えているようには思えなかった。
「体が動けるようになったら、ガドゥプルを北の端の島、レジュノルティア島に帰そうと考えています」
「レジュノルティア島ってここから歩いて何年もかかる距離だよ。航海だって必要だし、この辺であの島に辿り着いた奴の話なんか聞いた事もない。今じゃ、伝説の島って呼ばれているよ」
「わかっています。それでも探してみたいんです。そこにならまだ、ガドゥプルの仲間たちが暮らしているかもしれないから」
エンジュは必死だった。
竜は非常に珍しい魔獣となった。
もっと昔ならこの大陸にもいたという話はあったが、ここ最近では目撃情報さえ少ない。
ガドゥプルが捕まった時も、おそらく群れから逸れてさ迷っていたところを捕まったのだろう。
伝説にはまだ北の末端の島に竜の群れが暮らしていると言われていたが、もうそれを確かめる素手はない。
それでも可能性が少しでもあるならエンジュは諦めたくなかった。
パドマはエンジュの心意気を知ると止める気も起きなくなって、小さく息を吐く。
「そう言うことなら、身体が動くようになってすぐ、私の仕事を手伝ってもらうよ。そこで山菜や食べられるキノコや危険な物な植物について学びな。ついでに薬の作り方も教えてやる。薬を作れるようになったら自分たちで使う以外にも、いざという時売って金にすることが出来る。それとあの竜の餌。ガドゥプルだっけ? あの子はまだ自分で獲物を捕まえられないんだろう? なら狩りの仕方はスターチスに聞きな。どの道あんたが食べていくためにも必要だし、何かあった時、自分たちの身も守れる」
つまり、パドマはここで島に行くまでの必要な知識や技術を学んで行けというのだ。
こんなに嬉しい申し出はない。
おそらく、エンジュたちが逃げ出して、今頃それを追いかけようと兵士たちが再度捕まえるために動き出している。
あの時、ガドゥプルが必死に逃げて距離を稼いでくれたから、この距離なら城の追跡者たちもそうすぐにはエンジュたちを見つけ出せすことは出来ないだろう。
その間にパドマたちに学べるものは全て学び、何処にでも旅立てるようにしようと思った。
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