もう要らないよね?


 結婚式から三日目。

 もう三日目だぞ?


 しかもやっと寝室から出てきたのはルーカス一人だ。


 彼はさも当然という顔で公爵の執務室に入ると、積み上がっていた報告書に目を通した。


「怒り狂っている?ふぅん。会いたいと手紙をね」


 王都にいると分かりやすくていいね。

 ルーカスはそう言ってから、一応証拠だから取っておくようにと言い添えて、侍従にそれを手渡した。

 持っていたくない、いや目にも入れたくないから預けたのではないか。

 汚れものを持つように、端を摘まんで渡していたぞ。


「まったく。まだ邪魔をしてくれるとは思わなかったね」


 ルーカスとシャーロット。


 シャーロットはすっかり忘れているが、二人は幼い頃に出会っているし、当時は友人同士だ。

 領地が隣り合わせであること、そして母親たちの仲が良かったためである。

 社交シーズンに王都に出て来る際にも、予定を会わせて道中を共に楽しんだりもしていた。


 そんなわけでルーカスは物心ついたときには、もうシャーロットが大好きだったのである。


 意識したルーカスの動きは早かった。

 絶対にシャーロットと結婚すると言って聞かなかったのだ。


 一時は無理だと突っ撥ねてみた父親。

 するとルーカスはそれなら家を継がないと本気の家出を試みた。

 もちろん目指すはシャーロットのいる隣の侯爵領だ。


 無駄に賢い子どもルーカスは、幾度回収されて部屋に閉じ込められようと、また家出を試みた。

 しかも段々と捕獲される場所が家から遠くなっていく。

 学習能力も際立っていた子どもだった。


 父親がこの幼くも賢い息子に手を焼くうちに。

 母親たちは幼い子どもたちの恋にすっかり盛り上がっていた。


 味方が増えれば、ルーカスの勝利は決まったも同然で。

 父親が陥落すれば、話は早かった。

 

 どういう流れか知らないが、国にも易々と認められ、ルーカスは晴れて幼くしてシャーロットとの婚約を果たしたのである。



 結婚までは順風満帆に思えた。


 だがどうにもあるところから雲行きが怪しくなってくる。


 シャーロットの母親が亡くなってしまったのだ。



 ここから急にシャーロットの父親がしゃしゃり出て来た。

 しかもこの男、葬儀から三日目にして後妻となる女性とその娘を連れ帰り、シャーロットに引き合わせたのだ。


 ここも三日だぞ?三日だ。

 この国は皆三日が好きなのか?


 それを知ったルーカスの第一声は「はぁ?」である。

 うん、まだ幼い子どもだったはずだが。


 それからもルーカスは幾度あの男をこの世から抹消しようと考えたか分からない。

 それも毎度本気なもので、父に止められ母に泣かれてなんとか心を鎮めてきたルーカスである。


 シャーロットから父親を奪わないでやってくれ。


 この一言にルーカスは弱かった。


 困ったらとりあえずシャーロットの名を出しておけ。

 両親はもう十分に息子を理解して、彼が間違った方向に進まぬようにと、横からシャーロットの名を使った息子の操縦が始まっていた。


 ちょろいな、ルーカス。

 本当に賢い子どもだったのか?


 問題はいちいちルーカスを激昂させるシャーロットの父親だった。


 この男が後妻とその子を家に連れて来ようとも。

 それがいかに非常識な行いであったとしても。

 シャーロットを最優先にして大事にしているならば、まだぎりぎり許せていた幼いルーカス。


 しかしあの男はそれをしなかった。

 家でのシャーロットの立ち位置を後妻とその娘の下に置き、あまつさえ公爵家に婚約を解消したいという打診までしてきたのだ。


 ふざけるな。シャーロットを引き渡して貰おうか!


 乗り込んで行って、堂々脅迫……いや宣言したルーカスは、意外にも返り討ちに合ってしまう。

 その返り討ちをしたのが、まさかのシャーロットだった。


『おとうさまはおかあさまがいなくなってさびしいといっているの。だからわたしはいえにいるわ。わたしがいえをでたらおとうさまがさびしくてないちゃうのよ』


 どこをどう見たら、この男がシャーロットのために泣くと思えたのだろうか。

 シャーロットは幼くして少々世間の常識からズレた子どもだったのである。


 しかし惚れた弱みか。

 これを天使だと絶賛し、シャーロットの望みを易々と受け入れてしまったルーカス。

 未だにそれを後悔しているが。

 

 やはりちょろいな、ルーカス。

 本当は賢くなかっただろう?


 だがそこはただでは引かないルーカス。

 婚約に追加して新たな契約を交わしてきたのだ。


 作成されたのは『シャーロットが成人次第すみやかに二人は結婚する』という旨の契約書だ。


 しかしルーカスはまだ子どもで甘かった。

 それから長くシャーロットに会えない日々を送ることになったのだから。


 婚約者同士は定期的に会うこと。その一文を追加しておけば良かったのに。


 シャーロットの父親は、ルーカスがシャーロットの言葉に弱いことを悟っていた。

 いや、彼でなかろうと、ルーカスの弱点を知らない者はルーカスの周囲にはいないだろう。

 それだけ分かりやすいルーカスは、上手いことシャーロットの言葉を引き合いに出されながら誘導されてしまう。


 妻を亡くした傷心のためとかなんとか言い訳を並べた男は、娘が望んだからという理由も付けて、シャーロットを連れて領地に戻った。

 それから一向に王都に戻って来なかったのだ。


 いくら公爵家の嫡男とはいえ、まだ他家の領地である侯爵領を探ることは難しい。

 それに相手の許可なく訪問も出来ない。


 シャーロットがいいよ、と言ってくれたら良かったが。

 それはあちらが上手いことシャーロットを言い含めていたのだろう。

 

 成人したら会いましょう。楽しみにしています。


 そんな手紙を受け取って、嬉しくも落ち込むルーカス。

 いや、そこは喜ぶところではないだろう。

 え?内容はなんでもシャーロットの手紙は嬉しい?宝物だ?

 うん、ちょろいなんてものじゃなかった。


 シャーロットの父親は、ルーカスの初恋は幼い子どもの気まぐれだと信じていたらしい。

 だから距離を置いて、長く会わなければ、気が変わるだろうと。


 そう信じて、成人まで放置した。

 ついでに側にいるシャーロットにあることないこと吹き込んでいたと思われる。

 契約の話も含めて。


 そうしてシャーロットは会わないうちに、ルーカスのことを忘れてしまったのである。



 だがそれでも契約は契約。

 一度交わした契約は、この国では絶対的な力を持つのだ。


 シャーロットもそれは教え込まれていたから。

 どんな風に聞かされていたかは知らないが、『成人次第結婚』これは絶対だと知っていた。


 そうして契約を履行するためにと、成人直前に王都へと戻ってきたシャーロット。

 今さらルーカスが手放すはずはないのである。



「侯爵家、もう要らないよね?」


 ルーカスの不穏な言葉を受けて、侍従は静かに頷いた。

 いや、そこは止めような?


「父上たちが旅行中にすべて終わらせないとね」


 新婚夫婦への気遣いが裏目に出ることを、まだ公爵は知らない。


 しばらくは屋敷で二人きりにしてあげようと、結婚式を見届けた公爵は妻と二人で旅に出ていた。

 戻ってきたら、今度は新婚の二人で旅行でもしてくるといいよ、とさらなる気遣いまで残す優しい父親は、帰宅後に何を想うか。


 そう、公爵はまだルーカスの父だ。

 ルーカスは今、公爵代理でしかない。

 それも公爵不在中のみに得られる期間限定の権力である。


 新妻にさっそく嘘を吐いたルーカスであるが、悪びれることなく使える権力をさくっと使って、侯爵家の残り滓、いや不用品、いや廃棄物……駄目だ悪い言葉しか出ないな、とにかく彼らを排除することにした。


 まぁ、彼らは放っておいても先のない者たちではあったけれど。


 消滅するのが早まっただけである。

 と言えば、公爵も少しは気が晴れようか。


 事実、すでに彼らは破滅へと前進していた。

 ルーカスが頼んでもいないのにだ。


 分厚い書類を立てて持ち、とんとんと机を叩き揃えたルーカスはにんまりと笑う。

 見ている人を不安に誘うなんとも嫌な笑顔だ。




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