【完結】逃がすわけがないよね?
春風由実
どうして逃げようとしたの?
夕暮れに西の空に浮かんでいた三日月も早くに落ちて。
時折雲が流れる空には月のない闇夜を楽しもうと星々が瞬いている時間だ。
「さぁ、逃げようとした理由を話してもらおうか?」
分厚い毛布にぐるぐる巻きにされて、その上から帯で結ばれて。
ひっ捕らえられていると言うには、それはあまりに弱い拘束ではあったけれど。
ぐるぐる巻きで尋問を受けている姿はまさに罪人。
だが冷たい床ではなく(そもそも絨毯が敷き詰められているこの屋敷に冷たい床はなさそうだが)、ベッドの上に座らされこの通り動けないシャーロットは、怯えるでもなくしきりに首を捻っていた。
それは悪いことをした覚えはないと開き直った子どもの様子に重なる動作である。
そんなシャーロットだから、聞かれたことに答えるどころか、逆に相手に問い掛けた。
この状況だ。鋼の心でもあるのか。
「契約は終了しましたよね?」
「契約?」
ぴくりと眉を上げて答えたのは、尋問をする側の公爵家嫡男のルーカス。
部屋には今、シャーロットとルーカスの二人だけだ。
ルーカスはベッドの側に立っている。
「結婚式が終わるまでの契約でしたでしょう?ですから終わったので帰ろうと思ったのですが……」
式後侍女らに連行されたシャーロットには、出て行くタイミングを見い出せなかった。
それも侍女たちが施してくれたマッサージのあまりの気持ち良さに負けたシャーロットが途中からぐっすりと寝ていたせいなのだが。
気付いたらこの部屋に入れられて一人残されたシャーロットは焦った。
外が真っ暗だわ!急いで帰らないと! 急ぐなら窓ね!
何故その考えに至るのかは常人にはまったくもって理解出来ないことではあるが。
それしかないと方法をひとつに絞ったシャーロットは、窓を開け、窓枠に足を掛け……今まさに外に出ようというところで現れたルーカスに捕まったのだ。
ちなみにここは三階である。
樹を伝い降りるつもりだった?猿なのかな?
だが捕まったのであれば、シャーロットからすればそれはそれで好都合となった。
より上の立場の人に話せば解決することを、シャーロットはいつも信じていたから。
一介の侍女より侍女長で、侍女長よりは家令。
そういうことだ。いや、どういうことだ?
「ふぅん。契約ね」
面白くなさそうに腕を組んだルーカスは、続くシャーロットの言葉に耳を傾ける。
「報酬はあとから頂けると聞いておりましたし、もう私がここにいる理由はありませんよね?居座っては契約違反にもなるのでしょう?ですから急ぎ帰ってもよろしいでしょうか?」
「へぇ、帰るね。帰るってどこに?」
「家に戻りますけれど」
おかしい。
思った反応が返ってこないことで、シャーロットはそわそわと動き始めたが。
拘束されているので、毛布の塊がベッドの上で揺れて見えるだけだ。
「家からそう言われてきたんだ?」
「はい。契約終了次第戻りなさいと」
まだ元気に答えるシャーロットと、「ふぅん。そう。へぇ」と不穏な声を続けるルーカス。
二人の様子は表情を含めて対照的で、明らかにその想いは噛み合っていないだろう。
「どうやら君とは一晩掛けてじっくり話し合わねばならないようだ」
シャーロットは目をぱちぱちと瞬いて、「一晩もですか?」と言葉を返した。
完全に予想していなかったという顔だ。
「すまないが付き合ってくれるね?」
「え?でも契約は終了しておりますよね?」
「していない。結婚は生涯の契約だよ?」
「へ?え?生涯ですか?」
「知らなかったのは、おかしいな。婚姻証書にも書いてあったと思うけど?」
「え?あれは偽装では?」
「国に偽装の証書が提出出来ると思うのかな?」
「……確かに」
安易に納得したシャーロットのそれは、まだ自分の置かれた状況を理解出来ていない顔だった。
納得したのに、やっぱり釈然としないと首を傾げるシャーロット。
目の前の男は笑顔だけれどその目が完全に捕食者のそれであることに、シャーロットは何も感じないのだろうか。
「やっと結婚したのに。手放すわけがないよね」
「やっとですか?それほど結婚されたかったと?」
「そうなんだ。だから生涯よろしく頼むよ。ね、私の奥様?」
こうまで言っても、シャーロットの頭の中は契約のことでいっぱいだった。
生涯ということは……どういうことだろう?と。
でも契約というものは、シャーロットの中でも絶対である。
よく読んではいなかったけれど、書類にサインをした記憶はちゃんとあったシャーロットは、受け入れるのも早かった。
「分かりました。では今夜は契約についてのお話を聞かせてください」
「物分かりのいい子だね。心配になるけれど、もう大丈夫だ」
にこにこと笑うルーカスはベッドへと近付くと、先ほど自分が結んだ帯へと手を掛けた。
「もう逃げないね?」
「そうですね。契約が生涯のものであるならば……あ、でも!」
「まだ何かあるのか?」
手を止めたルーカスは、不満そうに眉を顰めた。
「約束はどうしましょう?すぐに帰ると言ってしまったのです」
「ふぅん。約束ね。それは結婚という契約より大事なことなのかな?」
「契約より大事なものはありませんが、困らせてしまうと思います。明日の朝食の下ごしらえもしていませんし、明日のお洋服の確認も。それから朝の湯の用意と──」
「それは気にしなくて大丈夫だ」
シャーロットから見たルーカスは、ただにこにこと微笑んでいた。
だがその目はやはり捕食者のそれ。
シャーロットはどうしてこの不気味に光る目に気付かないのだろう。
「それについてはこちらで何とかしておくよ。だから私たちの契約の話をしようね」
「なんとか出来るのですか?」
「これでも私は公爵だからね。それくらいのことは容易いものだよ」
「公爵様って凄いのですね」
「そう、凄いのだよ。だから、今夜は私たちだけの話をしようね」
「はい、お願いします!」
シャーロットが元気いっぱいに答えられたのは、このときまでだ。
一晩という約束も破られる。
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