ねぇ分かるよね?


 その日、ご機嫌にのこのこと王都の公爵邸へとやって来た男は、案内された応接室で、出された茶菓子にも手を付けて、大分くつろいで過ごしていた。


 この時点で大物だな。


 だがそんな男も、しばらくして姿を見せた若造を見るや背筋を伸ばした。


「公爵はどうされたので?」


 うん、残念。背筋を伸ばす理由がこちらの予想とはかけ離れていた。

 そんなに伸びて若造の後ろを見たってな、背が低いわけでもない公爵が隠れているわけはなかろうよ。


 それよりもだ。

 まずは立て。立って挨拶だ。

 貴族の基本だぞ?

 いや庶民だって人の家を訪問したら、立って挨拶を交わす。

 それがなんだ、足を組んで動かないとは。


「今は旅行中でね。今日君を呼び出したのは私だよ」


 男の無礼は華麗に見逃して自分も座り、にこにこと微笑むルーカス。


 一瞬は青ざめた男だが、ルーカスのこの笑顔を見て、まさかの安堵の息を吐いた。


 こやつ、本物だ。本物の大物に違いない。

 シャーロットの鋼の心臓は父親譲りだった。


「あの手紙はルーカス殿からでしたか。公爵と書いてあったものだからてっきり」


 それは偽装文書なルーカス。

 そこに何の疑問を持たない男が相手で良かったな。

 え?分かっていてあえてだ?本物の公爵が泣くぞ。


「では不在中のお父上から話を聞いていらっしゃると?うちとそちらで提携する事業のお話ですな?」


 娘をやるのだから、それくらいもっと早くに融通してくれればいいものを。

 ここまで待たせやがって。


 そんな長きに渡る恨み辛みを隠して、男はとてつもなく嘘くさい笑顔を浮かべてそう聞いた。


 ここは胡散臭い笑顔選手権の会場なんだな?


「今日はそんな話はしないよ」


 笑顔のままのルーカスにそう冷たく言い放たれて、男の笑みが大分崩れた。


 結婚して四日目にして花嫁の父親に対しこの対応。


 おのれあの娘。何か失態を犯したに違いない。

 あれほど気に入られているからと、仕方なく未来の公爵夫人という高い身分を与えてやったというのに!

 この役立たずが!


 罵る相手が目の前にいない男は、急ぎ娘に会わねばと考えた。


「娘はどうしているでしょうか?せっかく伺ったので、会っておきたいのですが」


「会わせるわけがないよね」


「え?会わせるわけがない?」


 男も少しは考え始めた。


 その幸せそうな頭の中でどういう経緯でそこに至ったのかは知らないし、知りたくもないが。


 あぁ、分かったぞ。そっちか!


 悟りを得た男は、急にへらへらと作り笑いを浮かべて語り出す。


「分かりますよ。たとえ父親にでも新妻を会わせたくないお気持ち。私も新婚の頃にはありましたからなぁ」


 そう来たか。

 いやこれはなかなかいい線を言っているぞ?

 少しは考えることも出来たんだな!

 

 だがな、足りていないんだ。

 発言前に考える時間を長く長く、それは長く取っておけ?

 これからがあったらの話だけどな。


「へぇ。君も経験があるんだ。それはどちらの新婚のときに?」


「は?え?あぁ、えぇ。それはもちろん最初のときも……その次も……ははは。二度も経験してしまいましたな」


「ふぅん。そう。二度も経験したんだ。それなら分かってくれるね?」


 今度こそ男も自分の置かれた状況を理解したのか、笑顔が大分引き攣っている。

 元から無理やり作った笑顔にしか見えなかったから、それは酷い顔だった。


「あの契約については覚えているね?」


「もちろんですとも。いやぁ、懐かしいですなぁ」


 この国では婚約時にあえて正式な契約を交わさないことになっている。

 当人たちの気が変わった場合に、絶対となる契約書が問題となるからだ。


 婚約における各家同士での取り決めについては、契約書を交わすことはあるけれど。

 あくまで婚約自体は口約束として捉えられた。


 だから男も、状況が変わったからと娘の婚約の解消を願い出ることが出来たのだ。

 この男だって、それくらいの理解はあった。


 シャーロットとルーカスの婚約に関して、両家と王家がどんな契約を交わしているかまでは知らなかったけれど。



 それがどうだ。

 子どもだと思って甘く見ていたら、あわや家ごと潰されそうになったあの日。

 男にとっても忘れられない苦い記憶だ。


 とても黙っていられなかった男は、満足そうに契約書を抱えたルーカスが引き上げて行った直後に、公爵家に不満の手紙を送っている。

 遠回しでもなんでもない、嫡男をどうにかしろよ!という抗議の手紙だ。

 ほらな、やっぱり大物だったぞ。


 しかしルーカスの父親もなかなかの男だった。

 幼い息子のしたことだから目を瞑れと返したのだ。


 息子に甘いろくでもない貴族だな!と自分を棚に上げて憤っていたあの頃のことなんか、男は今の今まで忘れていたのだけれど。


 ちょっと待て。忘れられない苦い記憶だったのに、忘れていたのかよ。



 そんな忘れっぽい男は、今さらに思い出して憤る。


 甘やかし続けたせいで、この若造はあの頃と何も変わっていないのでないか?

 高位にあるなら、子どもを厳しく躾けておけよ!


 だんだんと蘇った過去も合わせてイライラしてきた男。

 自分をそんなに棚に上げていたら、そろそろ聳え立つ棚の頂上に上り詰めて誰からも見えなくなるぞ。

 今まさに消えようとしているからむしろいいか?


 だが男がそのように心の中で威勢良くいられたのも、ここまでだった。


「へぇ。忘れていなかったんだ。それなのに会えないようにしていたとはね」


 ルーカスの言う通りだ。

 契約は絶対なんだから、ルーカスの初恋が幼い気まぐれだったとしても、結婚は回避出来なかったのだぞ?

 なんのためにシャーロットを遠くにやったんだ?


「いや、ははは。娘がどうしてもと言いましたから」


「へぇ。そうなんだ。へぇ」


 男の目が分かりやすく泳いでいた。

 何も考えていなかったに違いない。


「何であれ、あの契約は確かに果たされた。それについては礼を言うよ。でもねぇ、私とシャーロットが新たに契約を結んだことを君は理解しているかな?」


「へ?それはもちろん」


 結婚は契約だ。

 この国でこれを知らない者はないだろう。


 いや、これがいたんだったな。


 そういやシャーロットもその一人か……。

 彼女の場合は偽装だから契約していないと思い込んでいたわけだが。


 契約が絶対のこの国で偽装なんて無理だろ。

 ん?ここにも偽装文書に手を掛けた男がいたな!

 結婚前から夫の行動をよく理解する妻だったのか?知っているよ、それだけはない!


「ふぅん。分かっているのに、あんなことを言ったんだね?」


「あんなこと……とはどれのことでしょうか?」


 嫁ぐ娘にあれもこれもと言い聞かせていた男は、ルーカスがどれの話をしているか分からなかった。

 そこはもっと隠せ。


「私の妻は結婚式が終わったら家に戻るようにと言われていたのだよ?」


「は?」


「あぁ、やっぱり知らなかったのだね。駄目だねぇ。君が選んだ妻子すら掌握出来ないなんてさ」


 ルーカスにも妻を掌握出来ているかといえば、甚だ疑問だが。

 まぁ今は身体的には掌握していたな……。


「それもね、朝食を作るために帰って来いと言われていたそうなのだよ。ねぇ、君たちは私の妻を何だと思っているのかな?」


「……申し訳ない。すぐに戻って確認を。お詫びは日を改めて」


 しばらく絶句したあとに、やっと言葉を出したときには、男はもう真っ白い顔をしていた。

 この国では契約が絶対だからだ。


「あぁ、それはいいよ。二人を連れて来て、ここで釈明させるといい」


「え、いや、それは少々……」


 粒の汗が男の額に光った。


 妻子の振舞いが貴族としてまずいことを男は理解していたのだ。

 何故そんな女性を後妻にして子ども共々放置している?と聞きたいが、こちらも惚れた弱みというもの。


 この二人、愛妻家同士で意外と気が合うかもしれないぞ。

 よく話し合ってみたらどうだ?


 うん、ごめん。言ってみただけだからやめておけ。

 こちらが辛いから、そろそろ会話を終えてくれると嬉しいぞ。


「私が直々に話を聞いてあげようと言っているのだよ?」


「いや、しかし我が妻は元々平民であったこともあり、公爵家に連れて来るには礼儀が足りず、あまりに無礼となりますので、すべてこちらで……」


 よく言えたものだな。

 人のふり見て~という遠い東の国のあれ、誰かこの男に教えてやってくれ。


「ふぅん、元々ねぇ。それで?」


「それでとは?」


 汗は止まらないが、その汗を拭くこともままならない。

 男は頬を伝う汗になすすべもなく、ぐっしょりと濡れていった。


「父が不在にしていると言ったよね?しばらく戻らない予定なんだ。ねぇ、分かるよね?」


「いやしかしでも」


「時間が惜しいから今すぐ連れて来いと言いたいところだけど。そうだな。向かう用意をする時間くらいは与えようか。明日でいいね?」


「さすがにそれは。貴族とはまず打診を受けてそれから予定を詰めるものですし」


「貴族ねぇ。君だって今日すぐに来たではないか」


 お前たち、本当に暇なんだな……。



 それからもしばらく男は先延ばしの交渉を試みていたが。

 健闘虚しく渋々と承諾した男は、来たときよりもずっと身体を小さくして帰って行った。


 げっそりとやつれてもいたが、大物でも落ち込みはするのだな。


「事業提携の話が出来ると信じていたなんてさ。どうしたらそれほどに愉快に考えられるのだろうね?父上だって話にならないと切り捨ててきたというのに。もしかしてまだシャーロットの父親だとでも思っているのかな?うん、やっぱり。彼らはもう要らないよね?」


 にんまりと微笑むルーカスに、静かに頷く侍従。

 君はなんでそう代理に従順なんだ?本当の公爵が泣くぞ?帰って来たら号泣だぞ?




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