深夜


 教室の隅で、俺はいつも黙々もくもくと本を読んでいた。

 クラスの騒音が聞こえなくなるため、本を読むのは比較的好きな方だった。


「あーさひ!」


 耳元でかけられた声に、思わず本を落としそうになる。


「何だ……お前かよ」


「何だってなによ。たまにはクラスメイトと交流でもしたらどう?」


「余計なお世話だ」


 頬を膨らませる女生徒──佐倉さくらは、近所に住む幼馴染だった。

 同じクラスになってからやけに絡んでくるようになった佐倉に、俺はうっとうしさと、少しの照れ臭さを感じていた。


「あれ? 朝緋の読んでる本、都市伝説じゃない! 意外だわー。朝緋がオカルト系も読むなんて」


「偶然手に取ったのがこれだったってだけだ」


「ふーん」


 こちらを見てにまにまと笑う佐倉が面倒で、本を閉じると、そのまま引き出しへ仕舞い込む。

 不服そうな顔で見てくる佐倉に、話は終わりだと言わんばかりに視線を逸らしておいた。


「冷たいわね。せっかく私も、最近知った不思議なうわさを聞かせてあげようと思ったのに」


「二人とも何の話してるの?」


「あ、夕緋」


 佐倉の後ろから顔を覗かせた夕緋は、そのまま空いていた前の座席に座ると、俺の机に肘を乗せてくる。


「朝緋がオカルトの本を読んでたから、私が知ってる不思議な話でもしてあげようかと思ってたの」


「そうだったんだ」


 和やかに話していた二人だったが、佐倉は急に俺の方を向くと、少し低めの声でこう話してきた。


「ねえ朝緋あさひ、知ってる? 死んだ人と話せるようにしてくれる存在がいるんだって」


「何それすごいね!」


「くだらないな」


 そんな話、実際にあるわけがない。

 そっぽを向く俺の隣で、夕緋は身を乗り出し目を輝かせていた。




 ◆ ◇ ◇ ◇




 いつものように、夕緋と帰り道を歩いていた。


「ねえ兄さん。兄さんって、佐倉のことが好きなの?」


「はあ!?」


 唐突な問いかけに、思わず裏返った声が出てしまう。


「違うわ。何でそんな風に思うんだよ」


「うーん。双子の勘ってやつ?」


 そう言って笑った夕緋は、「で、本当のところは?」なんてにやにやした顔で聞いてくる。

 のどの奥でぐっと詰まった言葉が、やけにざわざわと心を荒立たせていた。


「どうだっていいだろ。お前には関係ないんだから」


「えー! そんな言い方しないでよ。佐倉って可愛いもんね。照れることないんだよ?」


 さらに言い募る夕緋の言葉を無視して、俺は足早に家への帰路を進んでいく。

 後ろで「待ってよ兄さん!」と叫ぶ夕緋の声が、やけにわずらわしく感じられた。




 ◆ ◆ ◇ ◇




「あのね、朝緋。私……夕緋のことが好きみたい」


「……は?」


 夕日の差し込む教室で、佐倉は俺にそう言った。

 佐倉から二人きりで話せないかと言われた時、わざわざ教室で待つことを選んだ俺が、とんでもなく馬鹿みたいに思えてくる。


「で? だから何だよ。まさか協力してとでも言うつもりか?」


 少しだけ期待してた俺をぶん殴ってやりたい。

 赤く色付いた頬と、恥ずかしそうに視線を彷徨さまよわせる佐倉の好きなやつが、まさか俺の双子の弟だなんて。


 とんだ皮肉じゃないか。


「えっと、そうじゃなくて……。あの、あのね朝緋……」


「もういいか? 別にお前が誰を好きでも構わないし、勝手にすればいいと思うけどさ。俺を巻き込むのは止めてくれない?」


 傷ついた顔でこちらを見る佐倉に、何でお前が傷つくんだよって言ってやりたくなった。

 そのまま荷物を引っ掴むと、佐倉の横を擦り抜け、教室を後にする。


 どんなに比べられても平気だった。

 性格が似てないのは事実だし、たとえ見た目が似ていようと、夕緋の方が好かれるのは俺にも分かっていたことだから。


 それに、何やかんや言ってもあいつは双子の弟だ。

 自分の片割れとも言える存在を憎む日がくるなんて、今までの俺なら考えもしなかっただろう。


 でも──。


 胸に湧いたどす黒い感情が、煮詰まったように沸騰していく。

 まるでヘドロのようなそれは、その後もずっと絡み続け、消えてくれることはなかった。




 ◆ ◆ ◆ ◇




 その日、俺は一つの計画を実行しようとしていた。


「あれ? 兄さん出かけるの?」


「ああ。気分転換に散歩でも行こうかと思って」


「僕も行く! 支度してくるから待ってて!」


 慌てて2階へと上がっていく夕緋の姿に、リビングから顔を覗かせた母が笑っているのが見えた。


「よっぽど朝緋のことが好きなのねぇ。毎回、必ずと言っていいほど付いて行きたがるんだから」


「そろそろ別行動でもいいと思うけどな」


「そんなこと言って〜。離れたら離れたで寂しいくせに」


 何も答えられなかった。

 茶化す母の姿に、どうしようもなく怒りが湧いてくるのを感じる。


「お待たせ! 行こう兄さん」


 ドタドタと音を立てて降りてきた夕緋は、玄関で待っていた俺を見て嬉しそうに破顔はがんした。




 ◆ ◆ ◆ ◇




 海沿いを歩きながら、吹いてくる潮風に目を細める。

 昨日が雨だったこともあり、道が少し滑りやすくなっているのを感じた。


「兄さん、あのさ……。もしかして、佐倉と何かあった……?」


「なんで?」


 足が張り付いたように動かなくなる。

 聞き返す声が強張っているのに、気づかれたかもしれない。


「いや、最近あんまり佐倉と話してないから。何かあったのかなって……」


 心配そうにこちらを見る目が、神経を逆撫さかなでしていく。


「お前がそれを聞くんだな」


「え……?」


 後ろで立ち止まる夕緋から、戸惑った様子が伝わってくる。

 沼のように溜まった汚い感情に、俺は出来る限りの力で蓋をした。


「そういえば、覚えてるか? 子どもの頃は、家族でさえも俺らの見分けがつかなかったこと」


「もちろん覚えてるよ! わざと服を交換して、お互いの真似をしながら過ごしてたんだよね。みんな入れ替わってることに気づかなくて、ネタバラシした時はすごく驚いてたっけ」


「そーそー。そんで、成長したら見分けもつくようになるから良いんだって言ってたよな。でも知ってるか? 未だに俺ら、黙ってると見分けがつかないらしいぞ」


 あの時のことを思い出して、少しだけ笑みがこぼれる。

 そんな俺の様子を見て、夕緋が嬉しそうに顔を緩めるのが見えた。


「じゃあさ、やってみようよ! 家に帰る前に服を交換して、それでお互いの振りをしながら夜まで過ごしてみるのはどうかな?」


「……いいなそれ。やってみようか」


 心臓の鼓動が、いつもの倍くらいの速さで打っている。

 色々な感情がごちゃ混ぜになって、それがどんな気持ちなのか、自分でさえも分からなかった。




 ◆ ◆ ◆ ◆




 崖下に、洞窟のような場所がある。

 潮の流れが速く、あまり人も近寄らない場所。

 そこで互いの服を交換しようと誘った。


 あいつは俺からの誘いを断ったことがない。

 必ず承諾するはずだ。


 予想通り、夕緋はのこのこと後ろを付いてきた。


 ──これから何が起こるかなど、知りもしないで。


 

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