黄昏


「ほお」


 黄昏は興味深そうに呟くと、感情の読めない目でこちらを見てくる。


「それで、弟さんとは何を話したいんですか?」


「俺、記憶喪失なんだ。ここ数ヶ月の記憶だけ、ごっそりと抜け落ちてる。あいつが死んだ日、俺たちは確かに一緒だった。記憶がなくても分かる。俺が出かける時は、いつだってあいつが付いてきてたから。だけど……それならどうして死んだのか。どうしてあの日、崖になんて行ったのか。……知りたいんです。弟が死んだ本当の理由を」


 黄昏は少しの間沈黙していたが、突然持っていたかばんを開くと、何かを取り出し始めた。


 出てきたのはぬいぐるみだった。

 黒い色をした兎のぬいぐるみで、目はボタンになっている。


「これは……?」


依代よりしろみたいなものです。ここに弟さんの魂を呼ぶことで、一時的に会話が出来るようになるんですよ」


 見た限り、普通のぬいぐるみにしか見えない。

 けれど、これを逃したらもう二度と、弟とは話せないかもしれないのだ。


「どうすれば……いいんですか?」


 ぬいぐるみを見ながらそう問いかける俺に、黄昏は指を一本立ててきた。


「ご依頼を成立させる前に、一つお伝えすべき注意事項があります」


「注意事項?」


「はい。我々も仕事ですから、依頼に応じて対価たいかを要求しております」


 対価……。

 念のため、所持金は全て持ってきているが、それが支払える金額なのかはあやしいところだろう。


「お金は必要ありませんよ。頂いたところで、大した使い道もありませんしね」


 黄昏は一瞬、鼻で笑うような態度を見せたが、すぐに完璧な笑顔を張り付けると、対価について詳しい説明をしてくる。


「対価は、呼び出した相手の願いを叶えることです。願いの大きさは、貴方が相手に向ける思いと、呼び出された相手が貴方に向ける思い。この二つの差によって決まります。つまり、貴方と相手がほぼ同じだけの思いを持っていれば、叶える願いは極めて小さなものとなるでしょう。ただし、その逆もまた然りです」


 思いの差……。


 見た目以外は正反対の双子。

 だけど、周りが何と言おうと、俺たちはずっと一緒にいた。

 何を願われるかは分からないが、弟の最後の願いくらいは叶えてやりたいと思う。


「分かっ、りました」


「では、このままご契約ということでよろしいですね?」


「はい」


 俺の返事を聞くと、黄昏は笑みを深め立ち上がった。

 そして、ぬいぐるみを掴むと、何故か墓石の上に置いている。


「ご契約ありがとうございました。それでは、私はこれにて失礼を」


 ぬいぐるみと俺を向かい合うように立たせ、黄昏はその場を離れていく。


「あの!」


「物品は後ほど回収に参ります。二人だけのお時間を、どうぞお楽しみください」


 それだけ言い残すと、黄昏の姿は夜の闇にまぎれ、完全に消え去っていった。




 ◆ ◆ ◇ ◇




 しんと静まり返った墓地で、ぬいぐるみと向きあいながら立ち尽くしている。

 ぬいぐるみの黒が夜に溶けて、今や目をらせばかろうじて見える程度だ。


 待てども何も起きない状況に、じわじわと諦めの気持ちが湧いてきたその時、ぬいぐるみがふわりと浮き上がった。


 青く発光し始めたぬいぐるみは、俺の目の前までくると、ピタリと動きを止めている。


「……まさか、お前……なのか?」


 口の中が乾燥して、上手く言葉が出てこない。

 小刻みに震える手を握りしめた俺の前で、ぬいぐるみの耳がピクリと動いた。


「兄さん……?」


 聞こえた声は弟のものだった。


「ほんとうに、俺の……」


「そうだよ兄さん。僕たち双子だよ? 間違うはずないじゃないか」


 クスクス笑う癖と、俺を兄さんと呼ぶ時のトーン。

 俺よりも僅かに高く響く声は、紛れもなく弟のものだった。


「それで、聞きたいことって?」


「あ……えっと……」


「うん。なぁに?」


 心臓がうるさいくらい鳴っている。


「死んだのは間違いなく……お前のはず、だよな……?」


「そうだね」


「……っなら、ならどうして! ──墓に、俺の名前が書いてあるんだよ……!」


 吐き出した言葉と、震える拳。

 墓石に彫られた名前には、はっきりとこう書かれていた。


 ──比翼ひよく 朝緋あさひ、と。


 朝緋は俺の名前だ。

 なのに何故か、墓には俺の名前が刻まれている。


 ずっと気になっていた。


 夕緋が死んだ原因も。

 夕緋の話をするたび、両親が悲痛な面持ちをする訳も。

 死んだのが夕緋ではなく、俺になっていた理由も。


 頭がおかしくなってしまいそうなほど、気になっていた。


「もしかして、覚えてないの?」


 弟の……夕緋ゆうひの声が遠く聞こえる。

 ぐらぐらと揺れる頭の上に、ぬいぐるみの手が優しく当てられた。


「それなら、思い出させてあげる」


 忘れていた数ヶ月分の記憶が、一気に脳内へと流れ込んでくる。

 まるで濁流だくりゅうにのみ込まれるように、俺の意識はそのまま遠のいていった。


 

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