さよなら、初恋の君(098:墓碑銘/2006.05.28)

 生まれてから二十七年、ずっと東京で暮らしているのに、青山には初めて来る。地下鉄の青山一丁目駅で降りるのだろうと、駅名から単純に思い込んでいたけれど、念のため確かめたら最寄りは外苑前駅だった。夕刻には改札口がやけに混みあって、一体何だろうと不思議に思って眺めていたら、どうやらスワローズらしきユニフォームを着ている人の姿が目について、それで神宮球場に行くにもこの駅を使うのだとわかった。ぼくはプロ野球には興味がないから、きみと知り合わなかったら、そしてきみがこんなことになってしまわなかったら、生涯ここに来ることはなかったかも知れない。いつだって行けると思っているところほど、なかなか人は行かないものだ。

 青山にお墓があるんだ。何の話をしていたときだったか、きみはそう言ってぼくを驚かせた(あの有名な青山墓地が都の管理下にあって、くじ運さえ良ければ一般人でも入ることができるのを、そのときは知らなかったのだ)。

 死んでから行くところまで今から決まってるなんて、ちょっときゅうくつだよね。どうしてもお墓にはいんなきゃいけないんだったら、せめて自分でデザインしたいよ。いま、結構奇抜なかたちとかもつくれるらしいじゃない? 私、現代芸術のオブジェみたいなのがいいなあと思って。シュールでちょっと悪趣味で、もう意味がわかんないようなの。せっかく、墓碑銘も考えてあるんだし。

 きみは感情の起伏を面に出すことがあまりない、淡々としたひとだったけれど、あのときは特別に機嫌がよかったのか、よく喋った。カ行の音がなめらかに響く話し方のきみのお喋りは、何時間聞いていてもうんざりしなかった。

 本当にきみらしい、といつものように感心しながら、墓のありかや墓碑銘なんかより携帯電話の番号とかメールアドレスとかを教えてくれよ、とこれもいつものようにぼくはこっそり思っていたのだった。飼っていたイグアナの歴代の名前とか、嫌いなアイドルタレントとか、婿養子に入ったお父さんの旧姓だとか、そういったこまごましたことは何かのはずみで話に出て知っていたけれど、ぼくが本当に求めていた情報、きみの誕生日や血液型や休日の過ごし方や恋人がいるかどうかについてはぼくは何ひとつ知らなかった。

 毎日のように顔をあわせていたけれど、きみとぼくが親しく口をきくのは橡木先生の研究室で手伝いをしているあいだだけで、それ以外のプライベートに踏み込む間柄には、とうとうなれなかった。


 けれど実際問題、携帯電話のメモリーにきみの番号やらアドレスやらが登録されていたとして、なんでもないときにきみに電話をかけたりメールを送ったり、そういうことが出来たとも思えないので、結局、死後の住所のほうが意気地なしのぼくには有益な情報だったのだろう。いくぶん自嘲的にそう思いながら、ぼくは花を買って電車に乗ったのだった。

 その考えすら楽観的に過ぎたと、目的地に着いて幾らも歩かないうちに思い知らされた。予想していたよりもずっと広い。この広大な墓地の、夥しい数の墓石をひとつひとつ覗きこんできみを見つけるのは、気が遠くなるような、ほとんど不可能と言っていい作業だった。

 わかっていてもそのまま引き返す気にもなれなくて、整然と並ぶ墓を眺めながらぼくは出鱈目に歩き回った。天気が好かったから、犬を散歩させている人や、ジョギングしている人の姿をちらほら見かけた。喪服で、花束をぶら下げて、夢遊病者のようにさまよっているぼくは、さぞかし奇異に映ったことだろう。墓石のあいだで昼寝している野良猫たちさえ、ぼくを見て訝しげにないた。


 日差しは春を感じさせても、吹きつける風はまだまだ冷たいので、長く屋外にいると次第に肌寒くなってくる。指先がつめたい。桜の木がざわざわとゆれ、咲ききらない花が音もなく地面に落ちる。

 いったい何のためにこんなことをしているんだろう。履き慣れない革靴で擦れて痛む踵に顔をしかめながら、ぼくは思う。きみのためでないことだけは、たぶん間違いない。

 それはきみがすでにこの世にいないから、というだけの理由ではない。きみが、ぼくの目の前で話したり笑ったりしていたときから、ぼくがきみのために何かをできたことなど、なかった。きみのために何かをしてあげられたなら一一この考えかたそれ自体が、ひどく傲慢なようにもぼくは思うのだけど一一、それがぼくの自己満足にとどまらず、真にきみのためになったなら、どんなに良かっただろう。

 きみと知り合って、まめに鬚をあたるようになった。毎朝寝ぐせを直すようになった。シャツにアイロンをかけるようになった。人の話を最後まで聞こうとするようになった。何もかもきみの目を意識してのことだったけれど、そんなことはすべて、最終的にはぼくのためでしかなかったように思う。

 愛は、とりわけ一方的な愛を一方的に押しつけることは、暴力だ。ぼくは今でもそう信じている。そしてそれを言い訳に、ぼくは何もしなかった。きみに働きかけること、きみと向き合うことを、ぼくは完全に怠ったのだ。


 広い通りに突きあたったところで案内板を見つけたので、立ち止まってぼんやり眺めた。何丁目とか、何とか通りとか、墓地にもあるんだなあと少し驚きつつ見ていると、「外人墓地」の文字が目に飛び込んできた。どうやらぼくの現在地の近くだ。きみを見つけるという当初の目的をしばし忘れ、ぼくは外人墓地を目指した。

 こんなところにもあったのか。横浜まで行かなくとも、こんなに近くに。きみは知っていただろうか? 十字架や、横長の墓石に桜が散りかかる静かなこの情景をきみに見せてあげたかった。いや、きみと一緒に見たかった。

 墓誌は英語で刻まれているものが多かったが、片仮名のものもあった。墓碑銘を、ぼくはひとつひとつ読んで歩いた。いつか、きみが横浜の外人墓地で、墓碑銘をひとつひとつ読んで歩いたと言っていたのを思い出しながら。

 その日は、今日のように晴れた日だったろうか。晴れていたなら、きみは黒いレースの日傘をさしていただろう。異国の、異教の死者たちのあいだをひとり静かに歩くきみの、お気に入りの黒いサンダルを履いて青紫のペディキュアをきれいに塗った爪先。きみは墓地を偏愛していたし、実際、墓地によくなじんだ。竹下通りや伊勢丹の地下食品売り場や東京ディズニーランドにいるきみを、ぼくは想像できない。どこまでもタナトスに惹かれているせいか、痩せて、血色が悪く、いつも疲れていたきみ。きみのそんなところが、ぼくは、とても好きだったのだ。

 ……墓はぼくも好きだけど、横浜の外人墓地にはそう言えば行ったことがないな。ぼくはそう言った。ひとりでもわざわざ出かけるほどの行動力がないので、ぼくはいつも口ばかりで何も知らない。でも、あそこって不定期開園なんじゃないの。行っても、運良く開いてないと入れないとかなんとか。

 最近はそうでもないのよ。土日は大抵開いてる。少し皮肉っぽい笑みを浮かべて、意地の悪い口調できみは言った。観光客が来ればそれだけ儲かるから。寄付も昔よりずっと大っぴらにやっているし。

 へえ。行ってみようかなあ。内心とは裏腹のさりげない調子で、ぼくは言う。

 うん、いいんじゃない。掛け値なしのさりげなさできみが答える。何だかんだ文句言って、雨さえ降らなきゃ日曜日はほとんど毎週行ってるもの、私。ほかに行くところもないから。昼過ぎぐらいからぶらぶらして、一周してお腹空いたらいつも同じお店へ行って。

 あのね。不意にきみがあらたまったのでぼくはどきっとした。動揺があらわれないように、注意して声を出す。……なに。きみが声を落とす。

 ……私、自分の墓碑銘をずっと考えていたんだけど、昨日とうとう、外人墓地から帰る途中で最高のを思いついて、決めたんだ。これしかない、っていうのが、やっと浮かんだの。

 そうして重大な秘密のようにきみが教えてくれたフレーズは、確かにかっこよく、何よりきみらしい、素晴らしい文句だった。


 ……ただ、そのときぼくが欲しかった言葉は、次の日曜日一緒に外人墓地を散歩しない? とかそんなたぐいの、陳腐なものだったのだけれど。べつに日曜日の外人墓地に限らず、いつ、どこでもよかったのだが、とにかくぼくはきみに誘われることを秘かに期待し続けていた。

 きみがぼくの期待に応えることはとうとうなかったので、ぼくたちは研究室の外で会うことはなかった。きみが望まない限り、きみに立ち入らないことを、ぼくはきみへの誠意だと思っていた。きみの時間を邪魔するようなことだけはしてはいけないと、それが礼儀だと思っていた。

 ひどい勘違いだったと、今は思う。ぼくはさっさと日曜日の横浜へ行くべきだった。そこできみが迷惑そうな素振りを見せたら次の週からはきっぱりやめればいいだけなのだから、とにかく行けばよかった。

 外人墓地だけじゃない、トリエンナーレだとか、ベルリンの現代芸術展だとか、草間彌生の回顧展だとか、お互い行きたいと言い合っていた展覧会も芝居も映画も幾つもあったのだ。そのどれかひとつにきみを誘えばよかった。何もしなかったぼくは、どこかで何かを拒絶していたのだ。それがわからなかった。万が一きみがぼくを誘ってくれたとき、それを断らないことがきみを受容することだと、本気でそう思っていた。


 どれくらいたったのだろう。既にぼくは、自分がどこにいるのかよくわからなくなっていた。太陽がだいぶ西に低く傾いているので、かなりの時間がたっていることは何となくわかった。気がつけば花もすっかり萎れている。

 こんなことをしていても、何にもならない。帰ろう。冷静な声が頭の中で頻りにそう言っているのに、どうしても立ち去り難くて、ぼくは崩れるように座り込んだ。急に全身に疲労を感じて、ぼくはぐったりと頭を垂れ、両腕で抱えこんだ。

 莫迦みたいだ。有り余るほど時間があったのに少しもきみのことを知ろうとしないで、今になってこんなふうに無駄に一日を費やして。きみの供養なんかではなく、ぼくの自己満足のために。

 ……きみに会いたい。幽霊でもいい、きみが現れて、ぼくの道案内をしてくれないだろうか。はっきり意識しないようにさんざん押し殺していた妄想が、隙をついてぼくを襲った。ここは墓場だ、舞台装置は万全だし、疲れでぼくの頭もだいぶおかしくなってきている。あとはぼくが、きみに会いたいと強く願うだけでいいんじゃないだろうか。幽霊とはそういう仕掛けのものだと、きみが薦めてくれた本に書いてあった。この期に及んでまだ勝手なことを願うのか、と思う、けれど自己嫌悪よりも、いまは願望のほうが強かった。

 幽霊でも何でもいい。きみに会いたい。もう一度。

 葬儀のときにも泣けなかったのに(そういえばあの時もそれで随分自己嫌悪した、)今更泣けてきて、こぶしで目を擦った。ふと、視界に細い足首が見えた、ような気がした。ぼくは反射的に顔をあげた。

 きみが立っていた。鉄黒と朱の縞模様の着物姿で。それはいつか、友人が雑誌で見せてくれた球体関節人形が着ていたものと似ていたが、同じだという確信は持てなかった。きみ自身の和装を見たことはない。ただ、きみの黒い髪と青白い膚に着物はさぞや映えるだろうとは秘かに思っていた。目の前のきみはぼくの期待を裏切っていなかった。

 ……何ということだろう。

 茫然と見つめるぼくにくるり、と背を向けて、きみは静かに歩き出した。慌てて立ち上がったぼくも、ふらふらと後を追う。華やかな柄物の足袋を履いていても、張りつめた踝のあたりが美しいのがわかる。ぼくはきみの踝とうなじが好きだった。

 人形愛だね。友人にそう言われたことがある。連れて行かれた小さな展示会で、彼が贔屓にしている人形作家の作品の、妙になまめかしい首のあたりをぼんやり見上げながら、持って行き場のない感情を懺悔するように呟いていたのだ。うなじを見ていると触れたいと思う。そんな自分が嫌でたまらない。心底醜い生き物に思える。見ているだけでいいはずなんだ。それ以上は望みたくもないんだ。

 それでおまえ、恋をしているつもりなのか。友人は憐れみと蔑みの混じった目で、眼鏡越しにぼくを見た。それはね、人形愛だ。俺と同じだ。……いや、相手が生身の人間なだけ、おまえのほうが始末が悪い。パーツに惚れて、いいように組み立てたその子のイメージに、一方的に欲望を投影しているだけじゃないか。可哀想に。

 そうだ、ぼくのしていたことはひとり遊びに過ぎなかった。そんなことは、誰よりぼくがわかっていた。そこから抜け出して、現実のきみとちゃんと向き合えなどと、言われるまでもない、ぼく自身そうすることを死ぬほど望んでいた。けれど、どうしたらそうできるのか、わからなかったのだ……。わからないでいるうちに、きみはある日突然死んでしまった。車にはねられて、あっけなく。

 ごめん。前を行くきみの背中に向かってぼくは呟いた。きみは振り向かない。当然だ。ぼくは幻覚を見ているのだから。……まだ、ぼくはきみの幻と戯れている。ぼくの中の理想のきみを都合良く呼び出して、感傷に浸っている。きみの華奢な後ろ姿がぼやけ、滲んだ。

 好きになってごめん。こんなぼくが……。きみを、好きになってしまって本当にごめん……

 ――でも、きみを好きだという、そのことに嘘はないんだ。


 現れたときと同じ唐突さで、きみはいなくなっていた。日は完全に沈み、青い紗がかかったような薄暮の空気がたちこめている。白昼夢からさめたような、半分寝ぼけた状態のまま何気なく目の前の墓所に目をやって、はッとした。きみの家の名がある。残光をたよりに墓誌に目を凝らすと、間違いなくきみの名前が刻まれていた。ぼくは膝をついた。震える手で花束を置いて、目を閉じた。

 ……ぼくの浅ましい願望が見せた幻覚だと思っていた。霊魂の存在など信じていない、まして死んだはずのきみがぼくを憐れんで、手をひいてくれるだなんて、そんな都合の良い話があるはずがないと……、でも、ぼくひとりでここへ辿り着けたとは到底思えない。

 ……ほんとうに、きみだったのだろうか?……

 長い長い黙祷を捧げて、ぼくは立ち上がった。きみと、きみの先祖代々が眠る、ごくオーソドックスな形の墓石をしみじみ眺め、彫られることのなかった墓碑銘、きみが大好きだった詩の一節を暗唱した。ぼくも同じ詩が好きだったと、きみに言えずじまいだった。そんなぼくに、墓碑銘を預けてくれて、ありがとう。


 ありがとう。去り際、お墓に一礼してからぼくはもう一度呟いた。最後まで、ぼくは何も返せなかったけれど、きみはぼくに沢山のことを教えてくれた。次は――次があるとするなら、そのときは――、人をうまく愛せるかも知れないと、思う。そんなふうに思えるのも、きみのおかげだ。

 青山墓地の桜はとても綺麗だったから、できれば毎年、春には花を見に来ようと思う。きみに会うことも、きみの眠るこの墓所に花を供えることも、二度とはないと思うけれど。

 さようなら。

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レッスン100(のうちの9) 柳川麻衣 @hempandwillow

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