こんなに簡単に(090:イトーヨーカドー/2005.09.30)

 火と戸締まりを確認して家を出る。台風が来るとか来ないとかで、今日も天気ははっきりしない曇り空だけど、傘は持たずに出かけた。どうせ歩いて十分、走れば五分の通勤時間だ。

 昼下がりの町には銀行へ行く主婦と、ジョギングをする年寄りと、学校帰りの小学生、誰もかれもつまらなそうにのんきな様子で往来している。私もそこらにふらりと買い物に出る格好、学生時代に買ったコムサのシャツにジーンズ、手にはトートバッグという出で立ちで、昼下がりののんきな町に溶け込む。

 角の信号を渡ると国道に出る。交差点に差しかかる少し手前に、花がいっぱいに咲いている。いまの時期はコスモスだけど、つつじやあじさいもきれいだった覚えがある。何年も、毎朝同じ道をつかっていたはずなのに、こんなに花が咲いていたと最近、気がついた。

 通りに出てすぐのイトーヨーカドーの目の前にバス停があって、半年前まで私はそこからバスと電車を乗りつぎ、一時間半もかけて東京の、都心の、ど真ん中まで通っていた。九時からの始業に間に合わせるためには、何やかやで七時に家を出なければならず、六時前に起きていた。いまはヨーカドーをゆき過ぎてちょっと歩いたところにある、小さなレンタルビデオの店で働いている。遅番のシフトは午後の一時半から九時半までなので、「笑っていいとも」がちょうど始まるくらいに起きても充分間に合う。


 のんびり歩いても定時の十分前には店に着くのに、それでも永井さんより先にタイムカードを押せたことがない。私が入っていくと、彼はもうエプロン姿でレジに立っていて、おはようございます、と声をかけてくれる。そのたびに不意を衝かれた思いで、どぎまぎしてしまう。毎日のことなのに、心の準備がうまくできない。

 私が支度を終えてカウンターに入ると、永井さんは真顔で突拍子もないことを言った。

「安住さん、俺、昨日、帰りにへんなもの見ちゃった。何だろうあれ、妖怪かも知れない」

「えっ」

「ゆうべ、雲の切れ間から月が出てて、ああいい月だなあって自転車こぎながら見てたんですよ。そんなでずっと上見てたら、急にふッて目の前に人の気配がして。びっくりして慌ててブレーキ踏んだんですけど、何かべつに誰もいなかったんですよねー。おっかしいなあ、確かに誰かいたんだけどなあ」

「それが、妖怪? ユーレイとかじゃなくてですか?」

 見間違いじゃないの、なんて身も蓋もないことを私は言わない。そんなことより、遭遇した未確認の物体についてお化けとか霊とかじゃなく「妖怪」などと言い出す永井さんに、私はつい頬がゆるんでしまう。

「だって俺、霊感ないですもん、ユーレイなんか見えないですよ。あれはきっと妖怪ですよ、月もきれいだったし」

「かなりまるい月でしたね。そういえばそろそろお月見ですよね」

「安住さん月見だんごって食べたことあります? 俺食べたことないんですよ、食べたいなあ」

 永井さんは低い声で優しい話し方をする人だ。いつも柔らかい調子で喋り、声を荒げるところを見たことがない。業務連絡以外の他愛ない話ができた日は、永井さん機嫌がいいのかな、とひとりで勝手に嬉しくなる。

 棚からDVDをひとやま作業台にのせて、私は検盤をはじめた。中古品としてワゴンで投げ売りするぶんだ。永井さんは入荷したばかりの新作を、棚に並べられる状態に加工している。隣で作業している永井さんの空気に少し緊張し、なんだか中学生みたいな自分が恥ずかしくなる。


 小学校から私立校に入れられて世田谷の方まで通わされていたので、地元には縁が薄かった。確かに埼玉に家があったけど寝に帰るだけだったし、すっかり東京都民のつもりだった。学生の頃の遊び場は渋谷で、服もCDも本も全部渋谷で買った。映画を観るのだって東急やシネセゾンやシネマライズだった。

 そこのヨーカドーで大抵のものは揃うわよ、なんて言われても耳を貸さなかった。おつかいで食品売り場へ行く以外は、イトーヨーカドーなんかに足を踏み入れようとも思わなかった。馬鹿にしていたのだ、地元を。繁華街が好きだったのだ。

 社会人になってからも、丸の内の大きな劇場とか、お台場のシネマコンプレックスとか、派手な職場ばかり選んだ。東京の中心に身を置いていたかったし、そのためにも都心へ出られる定期券はぜひとも必要だった。地元で働くだなんて、可能性を考えてもみなかった。

 あのころはほんとうに浮かれていたな、とたかが二、三年前のことなのにひどく懐かしく思う。ニューヨークやパリやロンドンで、シャネルやグッチやアルマーニに身を包んだヒュー・グラントとジュリア・ロバーツ、あるいはトム・クルーズとニコール・キッドマンが運命的に出会うような、映画のような恋こそが本当なのだと信じていた。「シザーハンズ」のジョニー・デップや、「恋する惑星」のトニー・レオンに本気で片想いしていた思春期を過ぎてもまだ、成田空港のロビーで目があったり初日舞台挨拶の舞台裏ですれ違ったりして電撃的に映画俳優と恋に落ちることを、私は心のどこかで望んでいた。


 加工し終えたビデオを抱え、カウンターに背を向けて永井さんが品出しをはじめている。後ろ姿なら視線に気づかれることなく思う存分眺められるから、私はついつい永井さんの背中をじっと見てしまう。

 こんなに簡単にだれかを好きになれると思わなかった。電話口で茫然とつぶやいたら、鈴木はなかなか信じてくれなかった。「白馬に乗ったオーランド・ブルームがバラの花束持って迎えに来てくれるんでなきゃ好きにならない、って言ってたあんたが?」と言って、笑った。鈴木は大学を卒業して初めて就職した映画館の同期で、しばらくして私がそこを辞めてしまってからも私の恋愛話に辛抱づよくつきあってくれ、ときには空港までハリウッドスターを追っかける私についてきてくれたりもする。私が面食いなのもよく知っていて、「しかもその男の子、べつにかっこよくないんでしょ?」と追い討ちをかけてきた。永井さんは背は高いが、容貌は可もなく不可もなく、というところだろうか。そういえばいちばん最初に会ったときはちょっと間が抜けた顔だな、などとこっそり思っていたのだった。

 つきあっている人がいなくなってだいぶ経つ。最後につきあっていた男は細身で頭の小さい、モデルみたいなスタイルのお洒落な人だった。五歳年上で、報道関係の仕事をしていたその人とは、お台場で働いていたころ、仕事帰りにオープンカフェのテラスで海を見ていたら声をかけられて、知り合った。『羊をめぐる冒険』の冒頭に出てくる女の子を思い出すよ、と言って、私が飲んでいたコーヒーをおごってくれたのだ。いつもセンスのいい、高そうな服をぱりっと着こなして、私の誕生日には花束をくれた。鈴木はそんな浮ついた恋をしている私をずいぶん馬鹿にしたものだ。

 でも当時は、私のほうでも鈴木を馬鹿にしていたから構わなかった。鈴木は研修期間中に彼女の教育担当だった二年先輩の社員とつきあっていた。たまたま属した集団で、たまたま最も長い時間一緒にいた相手とそのまま恋に落ちるなんて、そんなのあんまり簡単すぎる、私はそう思っていた。そんなんじゃない、もっと日常とかそういうものを飛び越したところでなければほんとうの恋なんかできないと、そう思っていたのだ。

 夜景のきれいなレストランや、凝った趣向のバーでデートを繰り返して、自分ではドラマチックな恋だと思いこんでいたそれは、互いの部屋に行き来するようになってから急速に関係が冷えて終わった。何だか急にぐったり疲れ、もう恋なんてどうでもいいオーリィしか好きじゃない、などと散々口走った。何もかも面倒くさい、地元でぼんやり働くのも悪くないかも、などと考えはじめたのも、今にして思えばあの破局がきっかけだったのかも知れない。

 永井さんの着ている紺色のTシャツは、色が抜けてくたくただ。お給料はほとんど映画に関することにつぎこんでしまうから、服はヨーカドーで適当に調達するのだと永井さんはきまりわるげに言っていた。やっぱりある程度年齢いったら多少お金のかかったスーツをびしっと着てもらわないとね、知ったように言う数年前の私の声が遠く聞こえる。目の前にある永井さんの肩が、とても広いと、ただ思う。


 先に休憩をとった永井さんがカウンターに戻ってくるのを見計らって、早番の田村さんが「安住さん休憩どうぞー」と言いながらレジを替わってくれた。それじゃあお願いしまーす、と答えて立ち去りながら、私は全身を耳にして田村さんと永井さんの会話を背中で聞いている。二人はほぼ同じぐらいの時期にこの店に入ったらしく、同性の気安さもあるのか永井さんは少し年上の田村さんにとてもうちとけた口をきく。

 永井さんがドイツ映画祭に行ってきた、そんな話題のようだった。やや早口な田村さんに対して永井さんの声はやっぱりおっとりしている。あれがよかったとかこれはイマイチだったとか、いつだったかのイタリア映画祭のほうがよかったとか、彼らは楽しそうに話していたけれど、いわゆるハリウッドでないヨーロッパ映画には詳しくないので、話の内容はよくわからなかった。永井さんは昔のイタリア映画が大好きなのだそうだ。「山猫」は最高です、と嬉しそうに言っていた。私は気の利いた相づちも打てず、今度観てみます、と馬鹿のひとつ覚えのように何度も言った気がする。そこへいくと田村さんはハリウッドの超大作からミニシアター作品、アニメ映画や邦画まで差別なく何でも観ているから、永井さんがかなり趣味に走ってもうまくついていける。永井さんとつっこんだ話ができる田村さんが羨ましくて仕方なかった。

 そう、私が永井さんに望んでいることは、時間を忘れて語り合いたいとか、おすすめの映画を一緒に観たいとか、そんなことばかりだ。あまり色っぽい欲望を抱くことはない、ように思う。親友のように過ごしたいということなのだろうか。私が永井さんに向けている感情は何なのだろう? わからない、ただ、永井さんを好きだなあと思う私がいるだけだ。男友達にさえ妬いてしまうほど好きだなあと思う、だけだ。


 週に五日、七時間、同じシフトの永井さんと同じ場所にいる。いま私が日々の生活のなかで最も長い時間一緒にいる男性は、間違いなく永井さんだ。

「そんな簡単でいいの?」鈴木がかつての私と同じ台詞を言う。「かんたんすぎて嫌になるって、安住、散々言ってたじゃない」

 たまたま属した、十人にも満たない小さな集団、狭い社会のなかで、たまたま最も長い時間一緒にいた相手に惹かれる、なんて簡単なのだろう。そんなの陳腐だ。馬鹿みたいだ。まえの私ならきっとそう言った。

 けれど今、私は、そんなふうに簡単に永井さんと寄りそえたらどんなにいいだろう、と心の底から思う。いまの私にとって、永井さんが私の思いに応えてくれることは、「白馬に乗ったオーランド・ブルームがバラの花束持って迎えに来」るのと同じくらいの奇跡なのだった。


 店を閉めて外へ出ると、夜の九時四十分を少しまわっている。自転車で走り去る永井さんを見送って、私はゆっくり歩き出す。閉店まぎわのイトーヨーカドーの看板が明るい。時たま、用事もないのにふらりとヨーカドーに吸い込まれてしまうことがある。むやみに広い売り場に、くつろいだ格好の男女がぽつぽつといて泳ぐように移動している。

 買い物もCDの予約もチケットの手配もすべてイトーヨーカドーですませるような穏やかな日々に浸かっているのが、とても嫌だった。でも今は、このぬるい生活がいとおしい。ぬるま湯のような日々のなか、簡単に好きになった永井さんと一緒に、イトーヨーカドーの売り場をゆっくり漂いたい。

 見上げた夜空は晴れていて、まんまるい月が出ていた。今夜は仲秋の名月だ。

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