第62話 サファイア~暴走する天使炉~

「な――っ、サファイアを殺せだと!?」


「ははっ、そうだ! 世界かあの子供か、選ばせてあげようじゃないか。さぁさぁどちらを選ぶ、正義の味方カケル・ムラサメくん?」


「てめぇ、ふざけた真似をしやがって……! そもそも世界が滅びたら、お前も死ぬってことだろうが! 自分が何をしているか分かってんのか!?」


「はん! この私が永久に刑務所に入るだと!? そんな世界なら滅びてしまうがいいさ! 私を認めない世界など、もはや存在する価値もない――プぎぃゃっ!」


 血を撒き散らしながら早口で捲し立てるエンドレス・ウォーカーを、俺は殴りつけた。

 魔力を流し込むことで気絶させ、静かにさせる。


 もはやこいつとグダグダ話している暇はない。

 俺にはやらなければならないことがあった。


「ふぅ……」


 俺は大きく息を吐くと、サファイアとミリアリアが乗っている車へと向かった。


 俺が近づいていくと、まるで待ち構えていたかのように、天井やボンネットが吹き飛び、フロントガラスが粉々に砕け、ドアがぐしゃりと捻じ曲がる。


「世界で最も硬い希少金属オリハルコン製の車が、まるでペーパークラフトのオモチャだな」


 思わず不真面目な感想を漏らしてしまった俺の前で、ボロボロになった車からサファイアが現れた。


 サファイアはフワフワと地面の少し上に浮かんでいる。

 目は完全にうつろで、焦点があっていない。


「あ、あ、ああああ……」


 そして口からはうめき声のような、悲鳴のような声を発していた。

 魔力が可視的な真紅のオーラとなって、身体中から立ち上っているのがはっきりと見て取れる。


「サファイア……どうしたの……いい子だから、落ち着いて……ね? ほら、ポメ太も、いるわよ……」


 ふよふよと浮いているサファイアの腰を右手で抱えたミリアリアが、左手でサファイアの目の前にポメ太を差し出す。


 異様な様子のサファイアをなんとか元に戻そうとしているが、かなり身体が痛むのだろう、ミリアリアの表情は見るからに辛そうだ。


 しかしサファイアはというと、ミリアリアに全く意識が行っていない様子だった。

 いや、そもそも意識がないんだ。


「あ、あ、あああああああ――――!」


 サファイアが絶叫するとともに、魔力が放射状に放出され、ミリアリアが弾き飛ばされる。


「きゃう――っ」


 俺はミリアリアが吹き飛ばされた先へと瞬時に回り込んで、その身体をお姫様抱っこの形で優しく受け止めた。


「大丈夫かミリアリア」

 天使炉を完全覚醒させた今の俺なら、これくらいの芸当は朝めし前だ。


「カケル……無事だったんですね……」

「ああ、エンドレス・ウォーカーは逮捕したよ」


「よかった……でも、サファイアが急におかしく、なって……さっきまで静かに目をつむっていたのに……」


「サファイアの天使炉が暴走したせいだな。俺とエンドレス・ウォーカーのやりとりは聞こえていたか?」


「はい。少し意識が飛んでいたので、薄っすらとですが……カケルが天使炉を持っていたとも……聞こえました」


「なら話は早い。俺のことは後で話す。なーに、サファイアなら大丈夫だ。俺に任せろ。プランはある」


「プランって……それはまさか……サファイアを殺す……つもり、ですか……? ダメ、です。それはダメ、です……ダメ、ダメ……」


 俺の腕の中でミリアリアが懸命に顔を左右に振って、ダメ、ダメと懇願するように伝えてくる。


 そこにいたのはクールに任務を遂行するエージェントではなく、一人の母親だった。

 感情を優先する姿は、エージェントとしては完全に失格だ。


 だけど。

 あれほど優秀なエージェントでありながら、世界を救うためだからと自分の子供を見捨てる選択肢を取らなかったことに、俺はどうしようもないほどに安堵していた。


 優しいミリアリアのためにも、絶対にサファイアを救うという強い気持ちが、俺の中で強く強く湧き上がってくるのが分かる。


 だから俺はまず、ミリアリアの不安がなくなるように優しく微笑んでから、言った。


「もちろんそんなことはしないさ。だから安心してくれ」

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