第36話「わたしがカケルにあーんしてあげると、言っているんです」
「いや、なにか言っただろ? 聞き逃したのは俺が悪かったよ。ごめん。だからもう一回言ってくれないか?」
俺は謝罪の言葉とともに、改めてミリアリアに問いかけた──が、しかし。
「なんでもありませーん」
子供が拗ねたみたいな返事が、ミリアリアから返ってくる。
しかも露骨にそっぽを向いていた。
「いやいや、なにか言ったよな? なんでもなくはないだろ?」
「なんでもないでーす!」
「……ならいいんだけど」
どうにも腑に落ちなかったものの、なんでもないと言い張っている相手を追求するのは、それはそれでいかがなものかと思うので、俺はこれ以上の追求をするのはやめにした。
俺は上司でミリアリアは部下。
今はどう見ても家族の団らんタイムなのだが、広義にはオペレーション『エンジェル』の任務中でもあるので、必要以上の強制はパワハラになる可能性があった。
「それじゃあゴミとか食べ残しを片付けちゃいますね」
そしてミリアリアも、何事もなかったかのように別の話をし始める。
もう止めましょうという明確なサインだと、俺は受け取った。
なので俺も綺麗サッパリ頭を切り替える。
エージェントには、割り切りが肝要なのだ。
「俺も手伝いたいところなんだが、サファイアを抱っこしてるんだよな」
「はい。片付けはわたしがやりますので、カケルはサファイアを起こさないようにそのままでいて下さい」
「分かった。よろしく頼むな」
「お任せください。と言っても後片付けをするだけですけどね」
ミリアリアは笑顔でうなずくと、サンドイッチが入っていたバスケットを片付けたり、お菓子の袋や使い終わった紙皿&紙コップまとめて、持ってきた燃えるごみの袋に入れたりと、テキパキとレジャーシートの上を片付けていく。
こんなちょっとしたことでも、実に手際がいいのがミリアリアという女の子だ。
問題なのは、食べ残しが少し発生していたことだけだった。
「フライドポテトとお菓子が少し残っちゃいましたね」
「パンのミミじゃないけど、さすがに捨てるのはもったいないな」
「……そうですね……はい、そうですよね……捨てるのはもったいないですよね……」
と、そこでミリアリアはなにやら考え込むように、口もとに軽く握った右手を当てると、小さな声でつぶやいた。
しかも妙に真剣な眼差しで、残り物を見つめている。
「そうだな、帰ったら食べるから、まとめといてくれないか? 今食べてもいいんだけど、両手が塞がっていて食べられないからさ」
さっきからずっとサファイアを抱っこしているので、俺は両手が塞がっていた。
「そうですよね。カケルは両手が塞がっているから、食べられないですよね」
「なんでわざわざ復唱したんだ? 一応は任務中とも言えるんで、間違いじゃないが……」
確実な情報伝達のためには、復唱は欠かせない。
でもそんな大事な場面ではないよな?
「そうです。カケルは今、とても難儀な状況にあります。苦境にあると言っても過言ではないでしょう」
「いや、まったりとサファイアを抱っこしていると思うが……急になに言ってんだ?」
「だからこれは仕方がないんですよ。義務であるゆえに、わたしは仕方なくやるんです。こう見えてわたしはできる子なので」
「さっきも言ったが、ミリアリアが優秀なのはよく理解しているぞ?」
「そういうわけなので、仕方ないのでわたしが食べさせてあげます」
「食べさせてあげるって、だから何の話だよ?」
「わたしがカケルにあーんしてあげると、言っているんです」
「あーん……?」
って、なんだ?
作戦行動中の隠語かなにかか?
そんな隠語は記憶にないが……。
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