第5話 欲望と我慢と

 肉、アイスクリーム、肉、クレープ……と交互に食べていく。秋継はバランスよく肉もサラダも取っていた。

「美味しい。最高。パラダイスって存在してたんだ」

「それはよかった。リンは欲に忠実だな」

 凜太は喉を詰まらせそうになった。

「リンって呼ばれた。うれしい」

「……平野は欲に忠実だな」

「今のはなし! リンって呼んでよ」

「はいはい。ほら、次の肉が来たぞ」

 秋継はもう満腹なのか、アイスクリームに手を出している。

 新しく運ばれてきたステーキを食べた後は、ワッフルにソフトクリームとストロベリージャムを乗せて腹を満たした。

 帰りに財布を出そうとすると、頭を叩かれた。指先が耳をかすめていく。彼はこちらを向いていなかった。

 お釣りを受け取り、見えたポイントカードには二つ目の印がついている。前に来たことがあるらしい。

「二回目?」

「いいだろ……気にするな。ほら車に乗れ」

 秋継の運転は丁寧だ。ルールに忠実で、荒さの欠片もない。

 ハンドルに手をかける指先は、爪も手入れされている。

 ハリネズミカフェは予約制であり、土曜日だからか混み合っていた。

「すんごい、フェレットもいる。ミーアキャットなんて動物園でしか見たことないよ」

「俺も」

「アキさんも来るの初めて?」

「初めて。ひとりでハリネズミカフェに来ようと思わん」

 ひと通りの説明を受けて、まずはフロアを見て回った。

 慣れて人に寄ってくる子もいれば、眠っている子もいる。

 手袋を借りて、忙しなく動いているハリネズミをそっと抱き上げてみた。

「針、意外と痛くない」

「可愛いな」

「アキさんってペット飼おうと思わないの?」

「思わない。動物見たければ動物園で充分だ。それに旅行もするから、動物を飼うのは難しい」

「どこに旅行?」

「草津とか。元々病気持ちなんだよ。もしかしたら治るかもしれないって一縷の望みをかけて温泉に行き続けていたら、いつの間にか好きになってた……冗談」

「っ……何が冗談? 温泉好き? それとも……」

「悪い、そんな顔をするな。病気が冗談で、温泉好きは本当」

 冗談のわりに、どうして悲しそうな顔をするのか。

 触れていたくて、彼の胸に手を当てた。放したハリネズミが不思議そうに首を傾げている。

「可愛いな……本当に」

 秋継はハリネズミには視線を送らず、凜太の目をまっすぐに見て微笑んだ。

 きっと冗談交えてお礼を言っても、可愛いと言ったのはハリネズミに対してだ、などといつもの返しがくるだろう。

「なんでこう、まっすぐに生きられるんだろうな」

「もうちょっとどん欲に生きていいと思うよ。ハリネズミだって欲に忠実で食べ物のためにずっと走るとかいうじゃん」

「欲に忠実なのは俺も同じだ」

「ああ……確かに」

「こら。何を想像した」

 秋継に笑顔が戻った。凜太は安堵の息を吐く。

 一時間ほどカフェで過ごして外に出ると、空はオレンジ色の光を放っていた。

「やる」

 ラッピングされた袋を渡された。中を開けると、ミーアキャットのぬいぐるみが入っていた。

「ありがとう。でもなんでミーアキャット?」

「お前に似てる」

「ええ? どこが? 僕って狼じゃん」

「それこそどこがだよ。お前は小鹿かミーアキャットだ。一生懸命背伸びをするところとか似てる。あんまり無理やり大人になろうとするな。そのままでいい」

 大学生と社会人はどうしたって差がありすぎる。年齢的にはそれなりに違いはないのかもしれないが、気持ちはどうしても大人にはなりきれない。

 帰りは駅まで送ってくれた。名残惜しくてドアが開けられない。

「リン」

 呼ばれて顔を上げると、目の前に顔が迫っていて唇を塞がれた。

「今日は楽しかった」

 どうやって帰ったのかも思い出せないが、ミーアキャットのぬいぐるみだけはベッドに飾っていた。

 呼ばれても夕飯へは顔を出せなかった。昼食を食べ過ぎたこともあり、胃に何も入らなかった。

 あのキスはどういう意味だろうと考える。深く考えれば考えるほど、別れのキスだったらどうしよう、と頭を抱えた。




 連絡を途絶えてから一か月が過ぎた。話題をうまく引き出せなくなってしまったのもあるが、キスが頭から離れなくてメールを送れなかった。最後のキスの意味をたどっても「嫌いではない」が境界線で、結局彼に聞かないと判らないのだ。

「たった三人のサークルでも部屋もらえるんだな」

「人数で割り振ったらそれこそ大問題よ」

 今は春と秀明と文化祭の準備を進めていた。

 割り当てられる部屋はくじ引きで、一番人の多く通る部屋だ。いわゆる一等地。他のサークルから恨めしい視線と小言をいわれたが、厳選なくじ引きの結果だ。

「大きい部屋だけど、どうするんだ? 三人しかいないからカフェとかもできないけど」

「プラネタリウムがいいな。家庭用のなら持ってるよ」

「おお、いいじゃん。椅子並べれば、それっぽい」

「音声も流れて星の説明してくれるものもあるし。何種類か持ってるよ」

「聴かせてもらいたいわ」

「持ってくる?」

「大丈夫。来週の日曜日にあなたの家に行くことになってるから」

「え?」

「聞いてないの? お茶会があるってお呼ばれされてるの」

「お茶会は知ってるけど、ハルが来るのは知らない」

「なんだよ、上級国民だけかよ」

「シュウもおいでよ。僕のお客様として歓迎するから」

「残念。バイトがあるんだ」

「なんで聞いたのよ」

「だって寂しいじゃんかよー」

 来週の日曜日に春が来ると知り、いくつかある家庭用のプラネタリウムを用意した。小学生の頃によく使っていたものもあり、懐かしくてベッドに横になりながら聴いてみる。

 星空を観ていると、無になれた。余計なことを考えないで済むし、板挟みにある現状でも「なんとかなる」と乗り切れた。

 今も好きで好きで仕方ないし、天体に関する仕事に憧れる。けれど生まれた家は選べない。秀明に上級国民などと揶揄されたが、一般的に恵まれていようとも劣等感や苦悩に苛まれるときだってある。今までは悩みを打ち明ければ、金持ちだから悩みはないだろうと冷たい目で見られ続けてきた。

「凜太、ご飯よー」

「はーい」

 母から呼ばれ席につけば、彩りの良いおかずが何品も並んでいる。ラーメンが食べたい、ハンバーガーが食べたいと言えば、口にしてはいけないと家元からお叱りが飛んでくるだろう。

 皆がしている当たり前を味わえない。

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