第3話 許嫁と親友と

「………………は?」

「凜太さん、仲良くしなさいね。休憩が終わりしだい、入れ替わりに秋継さんを紹介しますので、愛奈さんを呼んできてちょうだい」

「ちょっと待って。お見合い? 姉さんはこのこと知らないんじゃ……」

「本人にはお見合いのお相手を紹介しますと事前に伝えてあります。会わせるのは今日が初めてですが」

 気の強く大きなイベントでも臆せずこなす姉が、いやにぴりぴりしていたのは気になっていた。こういうことかと、納得する。

「せっかくだし、凜太さんと一緒に食事でもしたいのですが」

 何を言っているのだと凜太は小刻みに首を横に振った。

「あら、良い考えですね。では、私はフロアに戻ります。凜太さん、失礼のないのうに」

「ご案内ありがとうございました」

 祖母の足音が遠退いたのを見計らって、先ほどの態度とは打って変わり、秋継はどっかりと椅子に腰を下ろした。

「っ…………、最悪だ…………!」

「こっちだって最悪。なんで……こんな」

「いいか。絶対にあの日のことは言うな。忘れろ」

「嫌だ」

「今、うんと言ったな。よし、いい子だ」

 綺麗な笑顔をへし折りたくなった。

「っていうか、あんまり驚いてないよね。知ってた?」

「知ったのは家に帰ってからだ。見合いの話が平野家から来ていてな。愛奈さんのプロフィールや家族構成や家族写真まで同封されていた」

「うわあ…………」

「俺も同じリアクションをした」

「似たもの同士じゃん」

「まったくだ。お前だってばれたくないだろ?」

「男の人が好きなのはばれたくない。家元が知ったら勘当どこじゃないよ。多分、倒れる」

「うちも同じ事情だ」

「っていうか、キャラ作ってたわけ? ホテルではあんなに優男だったくせに」

「お前もキャラ作ってただろうが」

「僕はこのまんまですー」

「どうするか……これから」

 秋継が背もたれに背中を預け、椅子が嫌な音を立てる。心の不穏の声だ。

「見合い、受けるの?」

「とりあえずは」

「……………………」

「なんだよ」

「断って」

「それができたらここにはいない。なに、そんなに姉が好きなのか?」

「なんでそうなるのさっ。人の気持ちも知らないでっ」

「お前だって同じだろ」

「同じ? なにが?」

「…………もういい」

 深い深い、とてつもなく深いため息だ。凜太も同じくらい息を吐いた。

「なんだ、それ?」

「マッサージ器」

「桜田……春?」

 秋継は差出人の名前を見て呟いた。

「僕の親友」

「桜田って、地主の娘さんか」

「知ってるの?」

「雑誌にもよく載ってるからな。典型的なお嬢様だろ」

「お嬢様ねえ……今度会わせてあげたいよ。あ、お弁当食べようよ。お腹空いた」

「のんきだな……午後は仕事か?」

「ううん。僕のお稽古は終わった。午後は姉さんがお茶を点てるんだ。アキさんは?」

 アキ、と名を呼んだだけなのに、彼は咀嚼を止めて物言いたげにこちらを見ている。

「アキはないだろう。俺たち『初対面』だぞ」

「じゃあメールの中だけにするから、連絡先教えて」

「お前な……。なんで俺がアプリごと消したと思ってる」

「僕がどんだけ泣いたか知りもしないで」

「…………それは悪かった」

「だから連絡先教えてほしい」

「それは無理」

「どうして?」

 凜太は悲壮な声を上げる。

「お前とのやりとりを万が一見られでもしたら……」

「ならゲーム内でやろう」

「もう一度インストールしろって?」

「うん」

 一度は破れたと思った。縁があってか、また彼が目の前にいる。最悪な出会い方だが、なりふり構っていられなかった。

「インストール中」

「やった」

「条件つきだ。あの日のことを誰にも言わないこと」

「忘れろ、じゃないんだね」

 涙が流れそうになる。忘れられるはずがない。あんなに優しく抱いてもらえて、世界一の幸せ者だと思っていたくらいだ。

「でも親友には喋っちゃった。大丈夫、口は重くてべらべら喋る人じゃないから」

「……もう判った。これ以上は広めるな。……IDは?」

「えーとね…………」


 後ろでは猫被り系の秋継と愛奈が穏やかに挨拶を交わしている。うまくいかなければいいと呪いつつ、凜太はフロアへ戻った。

 特にやることもないので、他のフロアを見て回ることにした。

 人だかりができているのは、飴細工職人のコーナーだ。

 ウサギ、金魚、アニメのキャラクターなど、飴細工が次々と売れていく。

「すみません、飴細工を作って頂きたいのですが」

「ここにあるものならいいよ」

「じゃあ……これとこれで」

 軟体な飴が次第に形になり、あっという間に出来上がった。

「早い。すごい」

「早く作らないと冷めちゃうからね。お坊ちゃんはどこから来たの?」

「向こうのフロアで茶道をしています」

「ああ、それで袴なんだね。はいよ、もう一つ」

「ありがとうございます」

 生きている宝石だ。臨場感がある。世界に同じものは存在しないだけで、とんでもない価値が込められている代物だ。

 茶道のフロアに帰ると、秋継が表に立っていた。長身で姿勢の良い彼は、立っているだけで人の目を引く。黙っていれば優男。彼そのものが芸術だ。

 表千家は縁があるようで遠い存在だ。裏千家とは作法も異なる。体験してみたくて予約の紙に平野凜太と書いた。

 凜太の番が回ってきたとき、秋継の笑顔が凍った。そして形式的な質問をする。

「どちらからいらっしゃいましたか?」

「隣の裏千家から参りました」

 見ていた客人からはどっと笑いが起こる。

「ではこちらへどうぞ」

「はい」

 他の客人へはそれはもうご丁寧な作法を教えていたが、凜太へは特にない。

 見ていたのだから判るだろ、と挑発の眼差しを向けてきた。

 歩き方、座り方も異なる。見よう見まねでやるしかない。

「正客の位置」

 結局は教えようとする、こういう小さな優しさに後ろから蹴りたくなった。正客は上位に値し、亭主の一番近くの位置だ。

 茶を点てる仕草も無駄がなく、雑誌のモデルのようだった。

 彼が点てた茶は泡立ちが少なく、水色は夏の鮮やかな若葉色をしていた。

「……時計回りに二度回す」

 秋継は小声で言った。凜太は言われた通りに回し、茶碗を口にした。

 まろやかで後味がすっきりしている。人差し指で口をつけた部分を拭った。

「反対方向に二度回し、畳へ置く」

 慣れないならがも茶碗を置くと、秋継は声には出さず唇のみで会話をした。

──完璧。

 いじわるなのか優しいのか、凜太の心はひどく脅えた。

 夢中になってはいけないのに、これは恋だと自覚するのに充分だった。


「九点」

 生徒のお見送りが終わりあとは帰るだけの状態で、秋継は控え室へ入ってきた。

「突然なに?」

「今日の点数」

「十点満点中?」

「いや、百点満点中」

「ひどい! さっきは完璧だって言ったのに!」

「でもまあ悪くはなかった」

 秋継目線を外した。

「でしょ? あ、そうだ。プレゼントあげる」

 凜太は購入していた飴細工を彼に渡した。

「どうしたんだよこれ」

「向こうのフロアで飴細工のコーナーがあったんだ」

「へえ……。でもなんでハリネズミ?」

 秋継は棒を回して小さなハリネズミを眺めている。光の当たり方によって色が変わった。

「臆病だから」

「なんだって? かっこいいって言ったか?」

「じゃーん。僕は狼」

「なんで狼だよ」

「かっこいいじゃん」

「小鹿の間違いだろ」

 とか言いつつ、彼は鞄の隣に置いていた紙袋を差し出してきた。

「やる」

「いいの? なあに?」

「お前の好きそうなもの」

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