第2話 秋継と凜太

02 秋継と凜太

「結婚してから自分の性癖が知ったとか、いろんなパターンはあるでしょうよ。残念だけど、想い出として残しておくべき。名前は聞いたの?」

「お互いに名乗ってない。プロフィールにはリンって書いた。向こうはアキ」

「リンってまんまじゃん。本名で入れる人も少ないだろうし、捜しようがないわね」

「しばらくは想い出に浸っておくよ。できればまた会いたいけど」

 コーヒーを飲み干し、紙コップをくずかごに入れた。零時まで三十分以上あるが、日にちをまたぐ前に帰らなければならない。

「そういや、ゴールデンウィークにお茶会のイベントをやるんだって?」

「うん、そう。大きい会場を借りてね。茶道を広める会みたいなもんだよ。僕は跡継ぎじゃないからまだ気が楽だけど、姉さんはけっこうぴりぴりしてる。ハルは?」

「お稽古」

「お互いがんばろう」

 いわゆるお嬢様である春は、茶道だけではなく華道や舞踊も学んでいる。

「一日くらいは遊べる?」

「もちろん。また出かけよう」

 春を送ってから家に戻ると、すでに祖母は眠っていた。

 なるべく足音を立てずに部屋へ戻り、紅茶を淹れてひと息ついた。

 アプリを開くと、自分のアバターがこちらへ向かって手を振っている。手紙を持って喜んでいた。

──住んでるところが近いけど、会わない?

 挨拶なし。いきなりの出会い目的。

 凜太はメールを削除した。こういう輩は不特定多数に同じメールを送っている。関わるべきではない。

 畑に水をやり、いくつかの野菜と果物を収穫する。キッチンではジュースが作れたり、料理もできる。

 料理などを売って得たコインで、この前はベッドを買った。アバター同士が恋人になったとき、一緒に寝られる広いベッドだ。

 買った当初は嬉しくも恥ずかしかったが、寝てくれる相手がいないとなると満たされていた心に穴が空く。恋人を作るのが目的のゲームではないが、それでもやはりほしくなる。


 凜太の入っている星空散歩同好会は、春と二人で作ったものだ。人数合わせで秀明も入れ、実質三人のみのサークルである。

「うぃーす、それなに?」

 サークル教室へ入るなり、田宮秀明は机の上の菓子を目ざとく見つけた。

「ハルからの差し入れ」

「いただきます。ありがたやありがたや。ハルはどこ行った?」

「今日は来られないって。さっき顔出して、そのまま帰った」

「あいつも忙しいからなあ。さすがお嬢様」

 羊羹を二人で分け合い、缶コーヒーで乾杯した。

「男と会ったんだって?」

「ぶっ」

「コーヒー吹くなよ。どんな男だった?」

「どこまで聞いたの?」

「お前が男に飢えてよくわからんアプリを使って会ったとかなんとか」

「なんで会ったんだろうね……今となっては僕もよくわかんない」

「惹かれるものがあった?」

「それかも。いろんな人からお誘いのメールが来たりしてやりとりするんだけど、まずは僕が会いたいって思った。趣味が似てたりして、話しやすかったから」

「理由はそれじゃん。やっぱ話が合うって最低条件だよな。向こうも星が好きだったり?」

「問題出し合ったりしてたんだけど、夏の大三角とか全部答えられた。それに茶道もちょっと詳しかった」

「茶道を? それはすげー。普通の家ならあんまり縁ないじゃん」

「僕が茶道やってるって話したら、表と裏どっち?って」

 茶道には表千家、裏千家、武者小路千家と三つの宗派がある。茶を点てるときの泡立ち、座り方など、宗派によってそれぞれ異なる。

「社会人だったけど、僕に話を合わせてくれたりした」

「でももう会えないんだろ? 寂しいけど縁がなかったと思って切り替えるべきだよ」

「何万っている中で一つの大切な星を見つけるのって、ほんとに大変」

「あんまり会ったりするなよ。たまたま変な人じゃなかったから良かったけど、男相手じゃどうしたって力じゃ敵わないんだ」

 秀明の言うとおりだ。アキと会う前、危険も頭によぎりはした。けれど初めて顔を合わせたとき、相手をもっと知りたくてたまらなくなった。

 軟派な男がよく使う褒め言葉連呼も特になく、向こうも警戒した様子だった。顔を合わせてからほっとした様子を見せ、なりふり構わずメールを不特定多数に送っていたわけではないとと思えた。

「ハルにも言われたけど、縁があったらまた会えるかもくらいに考えておくよ」

「そう、それがいいって」

 大切な親友である春も秀明も、本音は会ってほしくないのだろう。かく言う凜太自身も、ふたりが顔も知らない人と会うとなると心配くらいする。

「シュウってゴールデンウィークの予定はある?」

「バイトとバイトとバイト」

「お疲れ様」

「そっちも仕事だろ? 頑張ってな」

 こうして話してる間も、アキのことが頭から離れなかった。

 彼は今、どうしているだろうか。元気にしているだろうか。家族がいるなら残念な気持ちは拭えないが、幸せでいてほしいと伝えたい。




 ゴールデンウィークは最高な天気に恵まれて、イベントは大盛況となった。

 茶道だけのイベントではないが、日本の伝統文化を学ぼうというもので、舞踊や華道、通路を挟んだ隣のフロアでは、柔道や剣道の体験教室が行われている。

 茶道のフロアはそれぞれ宗派が固まっているが、それぞれの違いを知ってもらう良い機会でもある。

 客寄せパンダ状態なのは、姉の愛奈だ。実の弟にはきついが、客人に対しては愛想を振りまくのがうまい。

 一般の人からすれば、日本人であっても伝統文化に触れるのはハードルが高いと思われがちだ。だが茶道はお菓子が食べられる、点てたばかりの茶を飲めるといったところに興味が向く。おかげで人の波が途切れなかった。それに茶名といった珍しい文化も興味を持ってもらえる対象だった。誰だって自分以外にはなれやしないが、新しい自分をもう一つ手に入れられるのは気分がいい。

「宗凜、未来の花嫁さんから差し入れが届いていますよ」

「ありがとうございます。そろそろ休憩になりますので、受け取ってきます」

 裏口から控え室へ入ると、テーブルには白い紙袋が置かれている。差出人の名は桜田春。律儀に平野凜太様と書いてある。達筆な字は彼女のものだ。

 中身は首や頭部の凝りを解せるマッサージ器だ。色気もないプレゼントに涙が出る。

「あー、いいー、気持ちいいー」

「こら、宗凜。袴を着てなんてだらしない格好なの」

 家元の祖母がいるとは思わず、慌てて椅子から立ち上がった。

「………………え?」

 家元の後ろにいた男──凜太は知っている。

 なぜいるのかとか、どうして、なんで、いろんな言葉が巡るが声にならない。全身の血が抜かれたように、指先ひとつ動かせないでいた。

「こちらの方は?」

 凜太のよく知る声だ。当然だ。ホテルのベッドであれだけ乱れに乱れ、求め合ったのだから。

 会いたかった、と口から出かかるも、彼の態度は「初めまして」だ。動揺が見られないのは気になった。その代わりにあの日のことは言うな、と目が血走っている。

「私の孫にあたる凜太ですよ。跡継ぎではありませんが、男子として平野家を守るようしっかりと育てたつもりです」

「とても美しい方ですね。初めまして、相沢秋継あきつぐです」

「…………平野凜太です」

 ちょっとだけ噛みついてやろうと凜太の「リン」を強調した。彼の眉毛がひくりと動く。

「秋継さんは表千家の方で、愛奈さんのお見合い相手ですよ」

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