黄金色の星降りとアキの邂逅

不来方しい

第1話 アキとリン

 東京へは久しぶりに出た。同じ地球にいて同じ星を見続けているのに、なぜかここは時間が急速に動いている。時計の針も、長針は焦ってどんどん進んでいく。

 シャワーの音が止まった。ベッドの上で無意識に姿勢を正していた。

「お待たせ」

 長身に黒髪、色白。社会人。彼の言うように嘘は書いていない。それどころか、プロフィール以外に魅力的なところがありすぎて心臓が狂い出している。

「俺、下になるの無理だけどいい?」

「下?」

 男は怪訝な顔をする。

「受ける側はしないってこと」

「ああ、うん。どっちでも大丈夫…………あっ」

 バスローブの帯を解かれた。下着も身につけていない。

 男は一点を見つめては、額に唇を落とした。

「優しくする」










 初めての経験は、それはもう痛みと圧迫感で死を感じるほどの恐怖だった。

 気持ちいいとか、心が暖かいとか二の次三の次で、とにかく激痛。

 それでもなんとか耐えられたのは、いつでも見守ってくれる星や天体のように、男があまりにも優しかったから。触れる指先が柔らかくて腫れ物を扱うように慈愛に満ちていた。

「本当にいいの?」

「なに?」

「お金」

 これでやりとりは二度目だ。一度目は性行為の後に身体を拭いてもらった後、彼は財布を取り出した。万札を何枚か渡してきたが、首を縦には振らなかった。

「同意の上、でしょ?」

「そうだけど」

 アキとだけ名乗った男は、裸体を何度も見つめ、吐息を吐いた。

 おそらく、ばれているのだ。ゲームアプリ上のプロフィールには経験人数は二人と書いたが、実際はこれが初めてだということを。

 彼は数人と書いていたが、間違いではない。優しい指先に触れられた過去の男に嫉妬するくらいには、彼は経験がある。

「でもありがとう。優しくしてくれて。嬉しかった」

「優しい? 俺が?」

 本気で思っていないのか、男は目を丸くする。

「そんなこと言われたの初めてだよ」

「うそ、ありえない。前戯は時間をかけてくれたし、身体は拭いてくれたし」

「それは…………」

 男は目を泳がせ、財布の代わりに別のものを手に乗せた。

「飴?」

「べっこう飴、あげる」

「これ初めて食べる」

「本当? じゃあもう一つ」

 べっこう飴をふたつもらった。存在は知っていたが、駄菓子屋で売っているイメージで、社会人が食べる印象はなかった。

 袋を開けようとしたが、男は三つめのべっこう飴を口に入れると、口を塞いできた。

 口内が甘みで満たさせている。飴だけの甘さではない。唾液ごと吸い取ると、音を立てて離れていった。

「ありがとうな、リン」

 お礼を伝えたいのはこちらなのに、なぜか彼は笑った。

「ありがとう、アキさん」

 凜太も負けじとお礼を伝えた。「ありがとう」の五文字にはたくさんの気持ちが込められている。お互いに本名を名乗る間柄ではないけれど、優しくしてくれたり飴をくれたり、ひとときでも幸せのおすそ分けだ。








 家へ帰り、登録したてのアプリを覗くと、メールが届いていた。

──ありがとう。

 差出人──不明。送った相手がアプリから退会した証だ。

 恋と名乗るには短すぎるが、凜太はめいっぱいの涙を流した。








「お疲れ様でございました」

 祖母の家元に滑舌よく頭を下げた。

 平野凜太は茶道の一家に生まれ、幼少期から作法を叩き込まれている。継ぐのは姉の愛奈であり、凜太ではない。気は楽ではあるが、家元の指導はいつも緊張の糸を張らせていた。

「凜太、本日もサークル活動ですか」

 呼び方が茶名の宗凜から凜太へ変わった。茶名とは千利休の法名である千宗易から宗をもらい、名前の一文字と合わせた呼び名だ。茶名をもらうと同時に、専任講師としての資格を得られる。

 呆れた物言いはいつものことだが、稽古以外のプライベートな時間は凜太のものだ。

「ええ、そうです。早めに帰ります」

「そうしてちょうだい。大学の講義もあるのですから、くれぐれも遅れないように」

「はい」

 凜太は大きな返事をし、茶器を片づけ始めた。祖母はため息をつくだけで、特に何も言わなかった。




「リン、遅刻!」

「ごめん」

 仁王立ちで立っているのは、幼なじみの桜田春だ。地主の娘であり、いわゆるお嬢様である。長い黒髪を揺らし、怒りながらこちらへ向かってくる。

「シュウは来られないって。急にバイトが入ったんだってさ」

「そっか。じゃあふたりで活動しよう」

 凜太と春、秀明の三人の所属している星空散歩同好会は、こうして夜にも活動する。昼間は天体に関する研究を行ったり、宇宙について語り合ったりと様々だ。

「今日は雲がほとんどないから星がよく見えるわね」

「そうだねえ、降ってきそう」

「あ、降った」

 緩い坂道を登っていき、ときどき流れる星を指差す。

「あれがスピカ、デネボラ、アークトゥルスね」

「春の大三角」

「そう、小学生の頃、テストに出たわね」

 山頂へ行く途中にある小さな山小屋の脇には、一本の木から作ったベンチがある。星空散歩同好会の活動の場だ。

「はい、どうぞ」

「ありがとう」

 春は温かなコーヒーを水筒に入れて持ってきていて、紙コップで受け取った。

 代わりに凜太は落雁と温泉まんじゅうを彼女へ渡す。

「急に活動したいって連絡きたから、びっくりした。何かあった?」

「あった。どうしようもないんだけど、聞いてほしくて」

 勇気のいる話であり、家族の耳には入れられない話だ。

「アバターを作って箱庭生活を送れるゲームアプリをやってるんだ。そこで知り合った大人の男の人とホテルへ行ったんだけど」

「いろいろつっこみどころがあるんだけど」

「あまりに優しくて、好きになった。家に帰ったらメールが来ていたけど、アプリから退会してた」

「どこからほじくっていいわけ? この話は。メールってどんな内容?」

「『ありがとう』って。でも差出人不明になってた。退会すると不明になるから」

「わざわざメールくれたのに、退会? 意味わからん」

「僕もわからん」

 ふたりで唸り、空を見上げた。星は穏やかで優しくて、いつだって見守ってくれる。

「その、どんな付き合いを望んで会ったの?」

「自分のプロフィールを書いて、チェック項目に印をつけるんだよ。一日のデートのみとか、将来を見据えての関係だとか。彼はどっちにも印がついてなかった。僕もおんなじだけど」

「それだと向こうは何を望んでいたのかも判らないわね」

「向こうも僕が望むものは判らなかったと思う」

 小さな落雁を口に入れる。口の中だけではなく、狭くなっていた心が少しだけ穏やかになった。

「嫌いになったなら『ありがとう』なんてメールをしないだろうし。多分だけど、好意は多少あっても別れなければならなかったり、二度と会えない事情があったんでないの」

「事情って、」

「例えば、家族がいるとか」

「聞きたくないっ」

「指輪は?」

「してなかった。跡もなかったし、普段からしてないんだと思う」

「結婚してても普段からしない人はいるしね」

「僕と同じで男性が好きなのに、家族はいるってこと?」

 春ともう一人の同好会メンバーである秀明も、凜太が異性愛者なのは知っていた。特別に思わず、「ふーん」で返したふたりは凜太にとって特別な親友だ。世の中の普通に交じることはどうしたって難しく、人と違う道はしんどいこともある。

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