第5話 意味
存在しない筈の心臓が高鳴っているようだ。こんな気持ちは、生きていた時以来だ。三郎達の去った稲佐山で独り、美代子は満たされた気持ちで夜景を眺めていた。
やっと来てくれた。もう何十年待ったか覚えていない。三郎の老け方を見るに、十年二十年ではないだろう。まさか僧侶になっているとは思わなかったが、姿形が変わっても、互いを認識し合えた事が幸せだった。
あの日――――何の前触れもなく唐突に、人生が終わった。死んだという実感を抱けず、そういう浮遊霊がここには沢山いた。
しかし、時間というのは残酷なもので、徐々に世界から置き去りにされていくのが感じられた。町は復興し、人々は老いていくのに、自分だけが変わらない。声を掛けても、誰も振り返らない。そうしてぽつり、ぽつりと、霊達は消えていった。
それでも美代子は、存在し続けた。夢も恋も、何一つ成就しないまま死んで、世界に忘れ去られ消えていくなんて、そんなの嫌だ。それでは、何の為に生まれてきたか分からない。せめて、好いた人に一目会いたい。それくらいの幸せを願う権利はある筈だ。
「ありがとうございます、神様。これでやっと、私も消えられる」
自分に言い聞かせるように言う。願いは叶った。名前を呼んで、涙ながらに抱き締めてくれた。これ以上、何を望もう。
「本当にそうかい?」
出し抜けに問われ、振り返る。割烹着を着た老女が、じっとこちらを見つめ立っていた。
「あ、あなた、私が見えるの?」
「もう本当に未練はないのかい?」
ないと言えば嘘になる。確かめたい事はある。しかし、気が引けた。何となれば自分は、もう存在しない筈の人間なのだ。
「私は死んだ人間だもの。あの人の人生に、これ以上立ち入るべきじゃないわ」
「それは、残酷な選択かもしれないよ」
「どういう意味?」
それには答えず、「はい、これ」と、不思議な老女は藍色の巾着袋を渡してきた。意味は自分で確かめなさいと、そう言われている気がして、美代子は巾着の口を開けた。
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