第3話 山中のお寺

 朝の勤行を終え、屋外に出た和尚は、賽銭箱の前で手を合わす割烹着の老女を見付けた。この所、毎日のように見る。和尚は声を掛けてみた。


「お母さん、偉かねぇ。毎日お参り来て、きっと功徳のあっとね」

「さて、どうなんでしょうねぇ」

 老女は、目尻に皺を作って答えた。

「ご利益があるかは分かりませんが、こうやって毎日仏様に手を合わせている限りは、人の道から外れる事はなかろうと思って」

 はっとする。仏の道の本質と思えた。


「お母さん、長崎の人やなかとですか?」

「ええ」と頷く。聞けば、日本各地を転々としているのだという。老女にして風来坊とは、不思議な人だなと和尚は思った。


「和尚様は、地元の人なんですかえ?」

「いえ、出身は東京です。こっちの暮らしの長かもんで、標準語もすっかり忘れてしまって」

「そうですか」

「考えてみたら、もう何十年ここを出とらんかなぁ。お母さんが羨ましかです」

「ほいじゃね、これ」


 老女はポケットから藍色の巾着袋を出し、手渡してきた。


「東京土産です。調度この間行ったもんで」

「えっ、よかですか私がもろうて。すみませんね、ありがとうございます。何だろうなぁ」

「ちょっとした小道具です。ここに来た訳を思い出した時、開けてみて下さい」


 意味深な発言に首を傾げている間に、「ほいじゃ」と老女は会釈して去って行った。ほとほと不思議な人だなと思いつつ、受け取った巾着を袈裟の懐に仕舞う。


「ごめんください」

 暫くして、来訪者があった。表に出てみると、少年と少女がいた。

「卓也君。どげんしたと?」

「和尚様、ちょっと相談があるとです」


 本堂に二人を招き、話を聞いた和尚は、「うーん」と難しい顔で腕を組んだ。

「話は分かった。ばってん、霊能力者やなかけん、多分どげんも出来んとよ」

 梓と名乗った少女の顔に絶望が浮かぶ。

「駄目元でよかですけん、出来る事ばして貰えんとですか。お経ば唱えっとか……」

 切実な顔で卓也が言う。剃髪をとんとん指で叩きながら、「分かった」と和尚は請け負った。


「そん霊ば見たっちゅうとこ、連れてってくれんね」

 行って何が出来るのか、と自問する。こんな厄介事に首を突っ込もうだなんて、我ながら酔狂だと思うが、一方で、梓が口にした幽霊の特徴に関心があった。

「はい」と、少年と少女は嬉しそうに頷いた。


「今日は夕方まで用事あるけん、行くんは明日でよか?」

「きょ、今日、夕方からじゃいかんと?」

 おずおずと言う梓の顔には、一刻も早く解放されたいという心中が現れている。太い鼻息を吐きながら、「しょんなか、よかよ」と答えた。

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