第2話 子供達の怪談

 一九九〇年、長崎市稲佐町。


 チャイムが鳴った。帰りの会を終え、担任教師が教室から出て行くのを確かめると、野原梓は背凭れに肘を乗せて振り返った。

「たっくん」

 机上にランドセルを乗せ、帰り支度をしていた内村卓也が視線を寄越した。


「今から皆で稲佐山行くけん、たっくんも来んね?」

「なんしに行くと?」

「肝試し。霊の出るって噂になっとーけん、見に行くっさ」

「そげなん、よーなか。遊び半分で行くとこじゃなかとよ」


 卓也が咎めるような目をする。真面目な彼らしい。からかうつもりで、梓は悪戯っぽく言った。


「なんね、怖かと?」

 ふんと鼻を鳴らして、卓也は立ち上がった。

「どうなってん知らんけんね」

「あっ、たっくん」

 黒いランドセルが出入口の向こうに消える。なんね、と梓はむくれ顔になった。


「梓」と聞き慣れた声に呼び掛けられ、振り返る。

「また内村君に振られたと?」

 からかうように言ってくるのは、友達の佐藤祥子だ。「やかましかぁ」と、梓は口を尖らせて答えた。

「振られとらんし」

「はよう行こー」


 かくて梓達は、放課後、学校からほど近い稲佐山に入った。夜の山は怖いけれど、今時期は十七時を過ぎても明るい。蝉の鳴き声を聞きながら、傾斜の緩やかな坂を上っていく。肩で風を切る男子達の後に続いて、梓は祥子と並んで歩いていた。


「肝試しじゃなくて、普通に映画とかに誘えばよかとに」

「そいじゃデートばい」

「そうよ、デートに誘うっさ。内村君真面目やけん、きっと断らん」


 視線を俯けた梓は、ぼさぼさの前髪をいじった。赤面の自覚はあった。二人きりのデートだなんて、誘える筈ない。断られたらと思うと足が竦む。

「うち、がさつだし、ずぼらだし。髪もこがんやろ? 多分、女子として見とられんとよ」

「そがん事なかってー! 梓素はよかけん、女ば磨くっさ。美容室とか行ってさー」


 ちゃき、と背後で妙な音がした。立ち止まった梓は、振り返った。誰もいない。夕方の木漏れ日が山道に斑模様を作っている。


「どがんしたと?」

「なんか今、後ろで音せんじゃった? 鋏でなんか切るみたいな」

「こ、怖か事ゆわんでよ」

 祥子の顔が引きつる。


「わいら、なんしよっと」

 前を行く男子グループの一人が訊いてきた。訳を話すと、彼らは興奮した。

「噂通りたい。本当におったんか」

「噂?」

「白かワンピースに鋏ば持っと、若か女の霊らしか。野原、姿は見たと?」


 かぶりを振ると、見付けてやろうと男子達は盛り上がった。虚勢を張っているようにも見える。明らかに乗り気でない祥子と一緒に、ずんずん進む黒いランドセルを追い掛ける。

 上に行くにつれ、山道が狭まっていく。暫くして、男子達が足を止めた。見晴らしのいい開けた所で、かなり登ってきたのだと分かる。隣の祥子は息が荒く、苦しそうだった。


「この辺で出たらしかばい」


 恐る恐る辺りを見回す。薄暗くなってきたので、男子達も流石に心細そうだ。しかし、彼らの言うような霊の姿は見付からなかった。

「なんね、なんもおらん」

「デマやったんか。わい、びびっとったやろ」

「びびっとらんし」

 男子達が元気を取り戻す。祥子もほっとした様子だった。


「はよう帰ろ? 夜になっちゃう」

「そやね」と頷いて、何の気なく後ろを向いた時だった。


 目の前に、いた。白いワンピースに鋏を持った若い女――――話に聞いた通りだった。

「きゃあ!」

 甲高い自分の悲鳴が森に反響する。それを合図とするように、皆一斉に駆け出した。


 慌てて家に帰ってきた梓は、泣きたい気分だった。今日に限って母がいない。確か、婦人会の旅行とか言っていた。父は仕事で、兄は部活の夜練で帰りが遅い。肝試しなんて行くんじゃなかった、と後悔したところで後の祭りだ。 

 

 TVでも見て気分を紛らわそうと思い、リモコンをTVに向けた梓は、黒い画面を見てぞっとした。リビングのソファに座っている自分の背後に、誰かいる。ぼんやりしてよく見えないが、正体は分かった。


 霊だ。つ、つ、ついてきてしもーた!


 逃げ出したいのに、身体が動かない。歯の根が合わず、心臓の拍動が聞こえてきそうな静寂の中、ちゃき、と音がした。ちゃき、ちゃき、ちゃきと、足音よろしく背後から近付いてくる。振り返る勇気はない。


 ちゃきと、うなじのすぐ傍でその音がした途端、ひんやりした感覚とともに後ろ髪の数本が切り落とされた。金縛りから解放された梓は、靴下のまま外に飛び出した。


 隣の家のインターホンを押す。早く出てきてと祈っていると、Tシャツにサンダルを履いたマッシュヘアの少年が顔を出した。


「たっくん!」

 思わず泣きすがるような声になる。

「ど、どがんしたと」

「お願い、家入れて。お兄ちゃんの帰ってくるまででええけん」

「そいは構わんばってん……」


 心配そうながら、卓也の顔は訝しげだ。訳を話すと、やれやれとばかりに彼はかぶりを振った。


「つれてきてしもうたんか。やけん、いかんゆうたやろ」

 何も言い返せない。

「明日、一緒にお寺に行こ。和尚様ならどげんかしてくれるかもしれん。今日のとこはほら、入りや」

 梓は、卓也の厚意に甘える事にした。

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