一歩進んで三歩下がる(レオネル)

 寮の部屋の机の上に置かれていた手紙に気分が悪くなる。


 しかし手紙には既読魔法が施されているのが分かっている。

 仕方なく封を開けて最後まで目を通し、魔力の流れを感じて既読魔法が実行されると俺の手元で手紙が燃えた。


「ありがとう、アイグナルド」


 俺の気持ちを感じて手紙を燃やしてくれたアイグナルドの頭を撫で、燃えて黒くなった紙を屑箱に捨てて部屋を出る。


 外の空気が吸いたくなった。



 手紙の送り主はサンドラ。

 内容はカレンデュラ嬢の誕生日に彼女のエスコート役をしろというものだった。


 返事を出していないから毎日のように送ってくる。

 しかし断っても毎日催促の手紙が送られてくるだろうから、結局は読んでは燃やすのを繰り返している。


 ヒョードルが集めた情報によると、カレンデュラ嬢はその日に俺との結婚式の日取りを発表するつもりらしい。


 求婚は愚か、婚約すらしていないのにどういう頭の構造をしているのか謎だ。


 カレンデュラとの婚約についてサンドラは聞く耳を持たない。

 いや、一度だけ聞く耳を持ったが「当主の言葉でなければ聞く道理はない」と跳ねのけられた。


 確かにサンドラは父上の言うことなら聞いてくれるだろう。

 しかし、父上にそれを頼むことはしたくない。



 だからこそ自分でどうにかしようと思っているのだが、「カレンデュラと結婚する気はない」と幼等部の子どもでも理解できる文章をサンドラは理解しない。


 何を言っても「わがままを言うな」というだけで、「わがままを言って母の気を引こうとしないで頂戴」と言われたときはそのミラクル解釈に仰天した。 




「うんざりだ……もう、本当にバカの相手は面倒くさい」


 アイグナルドたちしかいないから子どものような愚痴が漏れる。

 こいつらがいてくれてよかった。



「俺は母だとぬかすあの女が嫌いだ……「あんっ」……あん?」



 なんだ、いまの声?

 なんだか聞いてはいけないようなアイシャ嬢の声がした気が……まさか!


 俺を越えて後ろに飛んでいく数匹のアイグナルドの様子に血の気が下がり、慌てて後ろを見ると案の定アイシャ嬢がアイグナルドたちに襲われていた。


「……ちょ、ちょっと、見てないで助けて!」

「あ、ご、ごめん!」


 とりあえずアイシャにくっついているアイグナルドを捕まえては反対側の腕で抱え込む。


 荒い呼吸をして乱れた髪を直すアイシャ嬢が妙に艶めいて見え、ジタバタ暴れるアイグナルドたちにハッとして抱え直す。



「本当にすまなかった、怪我は?」


 よく考えたらアイグナルドがやったことで俺がやったのではないが、飼い主の責任のような気持ちでしっかり謝罪する。


「大丈夫、それよりもごめんなさい」

「え?」


 どうしてアイシャ嬢が謝るのか。


「盗み聞きするつもりはなかったの。言わせてもらえるなら、あなたのほうが後から来て突然愚痴りだした……ひゃっ、んうっ!」

「あっ、おいっ! バカ、やめろっ!」


 アイシャに飛びつかなかったアイグナルドたちは放置していたのだが、そのうち二匹がアイシャにとびかかる。


 もう、一体なんなんだ?


「ごめん」


 謝ってばかりだ。


「あの、少し髪に触れるかもしれない」

「別に構わないからっ! 早、くぅっ!」


 アイシャ嬢の声をこのまま聞いていたら変な気分になりそうだ。

 慌ててアイシャ嬢の首筋に顔をうずめているアイグナルドを掴んで後ろに放り投げる。


「大丈夫か?」


「だ、大丈夫だけど」

「ん?」


「その、ちょっと、近い……ひゃんっ」

「え?」


 ケガはないか確認しようとしただけで疚しいことはなにもない。

 しかし細い首筋に触れたときアイシャ嬢が甘い声を上げ、自分がやったことが原因だと気づいて慌てて手を離して後ろに飛びのく。


「……すまない」

「う、ううん、その、気にしないで」


 アイシャ嬢もあんな声を出して照れ臭いのだろう。

 赤い顔を冷ますようにパタパタと手で仰ぐ。


 ……あんな声。


「あ、熱いな」

「そ、そうね。それならスフィンランに……え?」


 足元に影ができ、アイシャ嬢と揃って上を見る。


 なんだ、これ?

 雲?


「ちょっと、止めな……きゃああっ!」

「うわっ!」


 どんっと頭に衝撃があったと思った瞬間、ドシャッと音がして足元が白くなる。

 次に理解したのは頭と足の冷たさ。


 雪?



「スフィンラン!」


 アイシャ嬢は怒っているが、俺は突然現れた雪に驚いていた。


「どうして雪が? 君が使うのは氷の魔法では?」

「え? あ、えっと、公子様は今日の空気はベタベタするなとか、乾いているなとか思ったことはない、あっと、ありませんか?」


「ある」

「乾いているって感じるってことは空気の中には水があるんじゃないかって思ったの、あっと、思ったんです」


 興奮気味でやや早口。

 敬語では話にくいようだから敬語はやめようというと、驚きつつも説明を続けたい気持ちからか頷いた。


「水があるなら、凍らせれるんじゃないかと思って」

「それだと氷の粒ができるんじゃないか? 雪ってもっとふわっとしていると思うが」


「そこは気合いで、えいっと花が咲く感じに凍らせるの」

「気合い……えい……」


 アイシャ嬢はイメージで魔法を使うタイプなんだなあ。


「そうしたらできちゃった」


 そう言うとアイシャ嬢は手のひらからパラパラッと雪を降らせて見せる。

 アイシャ嬢の容貌と相俟って―――。


「雪の女神みたいだ」

「へえ!?」


 ……あ。


 恥ずかしい……。

 妙にメルヘンな、夢見る乙女のようなことを言ってしまった。


「ご、ごめん」

「う、ううん……その、謝ることでは……褒めて、くれたんだし」

「まあ、うん……あ、うん」


 なんか、何を言っても失敗する気がする。


「そ、そうだ。空気中にある水の粒を蒸発させれば乾いた空気で気持ちいんじゃないか?」

「え? あ、まあ、理屈ではそうなるけれど……え、ちょっと待って!」


 ばふんっ


 大きな音がして真っ白な視界になる中、大きく揺れているのはアイシャ嬢のスカートで、綺麗な脚が―――。


「きゃああああっ!」


 膜れ上がったスカートをアイシャ嬢は慌てて押さえ、俺はその隙に回れ右をする。


「あ……の……これは、その、本当に……え!?」


 右肩を強く掴まれて強制的に回れ右。

 俺の目の前には真っ赤な顔のアイシャ嬢。


「バカ!」


 ぶわっちーんという音が骨越しに聞こえた。

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