第6話 醜い過去は膿みとなる

※児童虐待の描写があります※


「やあ、アイシャ嬢。元気かい?」

「元気ですわ。そして金曜日の夜まで元気です」


「君は天気予報みたいだね。でも予想だから毎日きちんと確認しないと、あと君の気分が悪そうな顔はクセになるね」


「悪趣味ですわ、王太子殿下のくせに。王子様なら国民に夢をみさせなければ、そんな変態じみたマゾ気質が知られては大変ですわよ」


 顔いっぱいに『相手するのは面倒です』と描いたアイシャと、一部の隙もない笑顔のヴィクトルのやり取りは毎朝の日課になっていた。



「婚約者候補たちとは公平に触れ合うように言われていてね。他のご令嬢とは昼食を共にしたから今日は君の番なんだ、一緒にどうだい?」


「卑しい身の上では想像もできないようなクズ発言、お断りしま……」

「今日の王族専用特別室のランチメニューは肉汁あふれるひき肉の塊をコクのある野菜のソースで煮込んだもの。肉汁たっぷりで……ああ、ランチのデザートはチーズケーキだったかな」

「……ご一緒いたします」


「清々しい手の平返しだね。このランチは私のおごり、迷惑料と思ってくれていいよ」

「返されていない迷惑料が小山のようになっており、今回の件で丘くらいまで高くなる可能性もあるのですが?」


「それは申しわけないね」

「全く申しわけなく思っておりませんね。次は最初のご令嬢が宝飾品を強請ることを願っておりますわ」


 アイシャの言葉にヴィクトルは意外なものを見る目を向ける。


「気持ちのこもらない宝飾品などただの金目のもの。私はそれ相応のケーキを所望しますわ」


「え、何百個食べるつもりなの?」

「目録をくだされば結構。しばらくケーキに不自由しませんわ」


 王太子の婚約者候補にあげられてから毎日アイシャは苛立っていた。


 『孤児のくせに』とひがむ女性たちをアイシャは歯牙にもかけていなかったが、アイシャを愛するスフィンランたちはそれを許さず、風邪の症状を訴える女生徒を毎日量産していた。


 スフィンランたちが生き生きと仕返しする姿は愛おしくもあったが、そんなのでは癒されないほど『王太子殿下の婚約者候補』は面倒くさい。


(この王子の誘いに乗ろうが断ろうが状況は変わらない。それなら精神的苦痛分の慰謝料をキッチリと払ってもらわなければ)



「それでは時間になったら特別室に行きます」


 そう言ってアイシャが背を向けて歩き出すと、ヴィクトルはくるっと後ろを向いてマクシミリアンに微笑みかける。


「そういうわけだからランチは彼女と食べるね」

「殿下……私の背中がチクチク痛むのですが」


 マクシミリアンの言葉にヴィクトルは笑ってマクシミリアンの肩越しに教室の中を見る。


「あはは、無表情で不貞腐れてる。レオは器用だな」

「レオで遊ぶな」


「だって面白いじゃないか。しかも本人は無関心を装っているのに、アイグナルドたちがその努力を全て無駄にしている」


 レオネルの周りにいるアイグナルドたちがこっちに向かって小さな火の玉を投げているのだが、火の玉は数センチも飛ばずにアイグナルドたちの傍に落ちる。

 アイグナルドたちは不満気にレオネルを見るが、レオネルは窓の外を見たまま気づかない振りをしている。


「俺、レオに愛されてる」

「その愛に胡座かいて調子こいたら消し炭にされるぞ」


「マックスがね、燃えないように頑張れ」

「頑張るよ!頑張るけどさ、自重もしてくれよ。そもそもだけど、アイシャを妃になんて本気で考えてはいなんだろ?」


「過去に例がなかったわけじゃないよ、将軍は国民に人気があるからね」


 女性の将軍が王子妃や王妃になった例は過去に多い。

 将軍という地位は国民に人気がある上に、一騎当千の武力は国内の安定につながり、他国にとっては脅威となる。


「でも彼女の気性は愛人を許すことはないね」

「……側妃だろ」


「どんな言い方をしても同じさ、側妃なんて王族にとって都合のいいキレイな呼び名ってだけだ。将軍でもある妃との間に子はできにくい、物理的に離れている時間が長いからね。だから将軍を妃にもった王や王子は特例で側妃を持つことが許される、それをよいことに望む女性を側妃に召し上げた例はとても多い」


 国民の期待と妃としての責任は女将軍が背負い、傍に侍る側妃が子を産み社交界の花としてすべての貴族に頭を下げさせるのだ。



「俺はね、女将軍を娶っておきながら自分都合で側妃を持った過去の王たちを軽蔑しているんだ。将軍と相思相愛だったならなおさらだ、どの面を下げて愛する女性に我慢をさせたんだろう」


 愛って言葉は不思議だねとヴィクトルは嗤う。


「地位も財産もない家でも愛人は問題になるのに、国の王の愛人が問題にならないわけがないだろう?俺の知る限り『愛妾』にろくなのはいない。父王の愛妾たちは家ぐるみで互いに足を引っ張って国政に影響を与えているし、祖父も政治はできたのに愛妾のおねだりに負けて子育てを彼女たちに任せるなんて愚かな真似をした」


「それでもアイシャにこうして構うのは?」


「公平性を保つためは本当。でも九割が面白いからかな。俺のものにできない女性だけど、王太子に向かって素直に感情を向けてくる者は実に好ましい。レオネルが惚れるのも分かるな」


 視線に気づいてそちらを見れば、自分を睨むレオネルの目に灯る悋気にヴィクトルは楽しくなると同時に安堵する。



「王太子妃候補って箔が少しはレオの役に立てばいいんだけれど。王家はウィンスロープ公爵とレオに本当に申しわけないことをしてしまったからね……情けない話だけど、王子でしかない俺にできることはここまでだ」


「ヴィクトル……すべてはレオのために……」

「アイシャ嬢の軽蔑にレオの嫉妬。クセになりそう……俺って実はマゾだったのかな」


「感動を返せ」



***



「毎日ご苦労なことだ。『母より』、ふん、反吐が出る」


 憎々しげに吐き捨てたレオの手元で持っていた手紙が勢いよく燃えて消し炭になる。

 突然燃えたことに軽く驚きはしたが、熱くない炎を生み出したアイグナルドをレオネルは優しくなでる。


「大丈夫だ、でもありがとう」


 レオネルの礼にアイグナルドは泣きそうだった顔をパッと笑顔に変えて、他のアイグナルドのもとに飛んでいく。


(アイグナルドに気を使わせてしまったな)


 手紙は消し炭にされてしまったがレオネルは内容を覚えている。

 ここ数日、毎日のように同じ内容の手紙が届くからだ。


 レオネルの母である公爵夫人からの手紙の内容は八割が愚痴。

 残り二割は婚約者であるカレンデュラを、彼女の誕生日の夜会で必ずエスコートするようにという内容だった。


(俺とカレンデュラの結婚式の日取りを当日に発表するつもりだな……相変わらずどういう頭の構造をしているのか)


 侯爵夫人はろくに話したこともないくせに、息子レオネルは自分に従順だと思い込んでいる。


 実際はカレンデュラとの婚約に関して「同意していない」「勝手をするな」「破棄しろ」と誤解しようのない手紙を何度も出している。


 しかしどういう思考回路なのか、彼女は「母の気を引こうと息子が甘えている」と解釈していた。



「うんざりだ……もう、本当にバカの相手は面倒くさい」


 アイグナルドたちしかいないから、レオネルは子どものように愚痴を漏らす。

 幼子のようなアイグナルドたちが自分の話をどこまで理解しているかは分からないが、聞いてくれるだけでもレオネルにはありがたかった。


「俺は、俺の母というあの女のことがきらいだ」


 レオネルの母親は公爵である父親と結婚する前はこの国の王女だった。

 先代国王は「政治はできた」と評される人物で、模擬戦での王の発言などから分かるように子育てには失敗した人物だった。


 国王とは異母兄妹の間柄だが、王は正妃の産んだ子で、レオネルの母親は愛妾が産んだ王女だった。

 先代国王は「政治はできたのに」と評される人物で、子育てには失敗した。


 特にレオネルの母親は特に寵愛された愛妾の娘だったため阿る周囲に甘やかされて育った。

 

 周囲も我が儘に育ったという認識はあったのだろう。

 しかしその周囲の認識を上回り、王女は二十歳のときに十三歳の少年に一目惚れして「レーヴェ様のお嫁さんになる」と騒ぐ恥知らずに育った。


 王女は成人して四年も経っていたがレーヴェは未成年。

 それだけでも問題だったし、レーヴェはアイグナルドの加護をもつウィンスロープ公爵家の嫡男だった。


 当時は砂漠の蛮族の力が強く、それを抑える当時将軍だったレオネルの祖父と次期将軍のレーヴェは人気が高かった。

 特にレーヴェは線の細い儚げな雰囲気の少年で、我の強い成人女性である王女の相手になど常識と良識のある者が「絶対にやめろ」と盛大に諫めた。


 しかし王女は自らの願いを叶えた。

 それはもう、常識と良識が唖然とするほど最も醜悪な方法で。


 王女は公爵家の侍女を買収し、当時違法だった薬を飲ませて妖精が忌避する効果のある違法の香を焚かせ、薬によって興奮状態になったレーヴェを襲った。


 王女の誤算は公爵が公子が襲われた件で堂々と王家を批難したことだった。

 特に理由がないから反意を示さなかっただけで、いくらでも代わりのいる王族と代わりのいない愛し子では価値が違った。


 それでも王女がレーヴェの花嫁となったのには、あの一夜で王女が妊娠したこと、それを知った公爵がショックで倒れて急逝したことだった。

 レーヴェの母である公爵夫人は昔に亡くなっており、公爵位を継いだがまだ若いレーヴェには国王の要求を退ける術がなかった。



「父上はあの女と結婚をする理由になった俺を憎んでいる」


 現将軍と次期将軍。

 同じアイグナルドの加護を持つ者として演習や式典で顔を合わせることはあるが、会話は短く「元気か?」くらいしかない。


「まあ、別にいいけど「あんっ」」


 突然割り込んできた艶めいたアイシャの声にレオネルが慌てて後ろを見ると、


「……は?」


 アイシャがアイグナルドたちに襲われていた。

 突然のことに状況が理解できずにレオネルが呆然としていると、


「ご、ごめんなさい。盗み聞きするつもりはなくて、でも言わせてもらうなら後からここに来て一人語りをし始めたのは……んぅっ!」

「あっ、おいっ、バカ、やめろっ」


 聞きたいことはいろいろある、アイシャの首筋に顔を埋めるアイグナルドを急いで掴んで放り投げる。


「す、すまない。その大丈夫か?」


「だ、大丈夫だけど」

「ん?」


「その、ちょっと、近い……ひゃんっ」

「え?」


 ケガはないか確認しようとしただけで疚しいことはなにもない。

 しかし細い首筋に触れたときアイシャが甘い声を上げ、それを自分がやったと気づいて慌てて手を離し、「近い」と言われたから距離をとる。



「……すまない」

「う、ううん、その、気にしないで。その、私を気づかってくれたのは分かる、から」


 心配そうなレオネルにアイシャは顔の前で両手を振って、


「ケガとかしていなから安心して。犬みたいに突進してきたからバランスを崩しただけ……で……へえ!?」


 ケガなどしていないことを見せようと立ち上がったとき、スカートの中から二匹のアイグナルドが転がり出てきたため、ビックリしたアイシャの口から変な声が出た。



「あ……の……その、本当に……「このスケベ!!」」


 ぶわっちーん、という音が裏庭に響き、ジンジンする頬をレオネルは押さえながら呆然と走り去るアイシャを見送るしかできなかった。

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