第10話 好奇心は甘い罠
「王妃様は南部辺境伯家のご出身なのですよね」
『南部辺境伯』という言葉にレアは自分の顔の筋肉を引き締める。
そしてにこりと笑って「そうよ」と肯定する。
「おじい様が南部辺境伯様にはいろいろお世話になったと言っておりました」
「おじい様?」
レアは笑顔を崩さず目の前の少女を観察する。
見れば見るほどウィンスロープ公爵レオネルに似ていると思った。
父親ではありえないと否定した男によく似た少女。
東方将軍ヒョードルが連れてきた瞬間からエレーナの話題は城を駆け抜け、王都を走り回っている。
「十代の私からみて五十代の自分はジジイだろうって。アイグナルドたちの加護があるので若く見えるため『おじい様』と呼ぶのには抵抗もあるのですが」
「そうだったの」
一般的に高齢な相手を呼ぶ『おじい様』だと少女は言う。
しかし先ほど侍女からは『祖父と孫』、そして『父と娘』だと認め合っている会話だったと報告を受けている。
(どちらを信用すべき?いえ、好奇心でそこまで気にかける必要はない)
「南部はどういうところなのですか?」
「暖かいところよ」
「南方砦からの砂漠の景色は美しいそうですね。おじい様たちはあれを見ながらお酒を飲むのが好きだと、そのお酒も南部辺境伯家が揃えてくださるのですよね」
「そうよ」
「おじい様たちが南部辺境伯様は自分たちが必要なものを欲しいときに提供してくれたと。食べ物、兵士、すごいですよね」
「お父様が聞いたら喜ぶわ。南方砦を支えることは南部辺境伯の誇りだもの」
目の前の少女は何も変わらない。
ただその口から紡がれることが、言葉一つ一つが十五年前の罪を刺激する。
(この子はどこまで知っているの?この子が知っているということは他の者は?レーヴェ様は知っているだろう。レオネル閣下は?ご存知なら陛下はどうなのかしら)
***
南部辺境伯家の次女として生まれたレアは、年齢と政局のバランスを鑑みてヴィクトルの妃候補にあがった。
―――初めまして。
遠目では見たことがあった。
でも初めて言葉を交わした瞬間にレアはヴィクトルに恋をした。
貴族の娘としていつか父親が選んだ誰かと結婚するのだと思っていたから誰かに恋をしたことがなかった。
初恋だった。
この男性の妃に絶対になりたいと思った。
ヴィクトルは魅力的な青年だった。
そしてそんなヴィクトルに、王子という地位はなくても輝くその魅力に惹かれたのは自分だけではないと直ぐに分かった。
連れて来られた感があった令嬢たちの目の色がヴィクトルの登場と同時にガラリと変わったのだ。
彼女たちに勝たなければいけない。
自分を選ぶのが得だと王太子に立証しなければいけない。
南部辺境伯家は他の候補者に比べて血筋が劣ったが、レアは問題にしていなかった。
王太子の親友であるウィンスロープ公子レオネルが、スフィンランの愛し子で美しいが孤児のアイシャを娶ったことで『血筋』は大した問題ではないと分かっていた。
レアの持っているカードは軍部とのつながりだった。
レアは南部辺境伯家に生まれ、母が西部辺境伯家の三女だったため軍部とのつながりがそれなりに太かった。
(それでも私は不安だった。だからあの誘いにのった)
レアが王太子妃となるのを後押しするという人物が現れた。
あまり評判はよくないが、元王女で公爵夫人の彼女の協力を得られるならと誘いにのった。
公爵夫人がレアに願ったのは些細なことだった。
―――レーヴェ様の助けになりたいの。砂漠の蛮族と戦う南方砦に送る物資の内容や兵士の数を教えてくれないかしら。
「そんなことか」とレアは思った。
辺境伯家は守りに徹している分だけ外から間者が入りにくいからだろうか、中の管理は緩かった。
砦に送る物資の一覧が倉庫の扉に張られていたり、送る兵士のリストが机の上に置きっ放しになっていたり。
重要な情報をきちんと管理していなかった父が悪いとレアはいまでも思う。
隠してあれば重要な情報だと判断して漏らしたりしなかったと。
―――分かりました。約束ですよ、私を王太子殿下の妃にしてください。
いけないことをしている。
その気持ちはヴィクトルの妻になりたいという欲望と、小さなスリル感で覆って包み隠した。
―――うちに間者が入り込んだ。
レアの父親が家族を集めて沈んだ声で告げたのは、公爵夫人とのやりとりが終わって二ヶ月ほど経ったときだった。
予測では一ヶ月で終わるはずの蛮族平定が終わらない。
砂漠の蛮族に情報が洩れているようだ。
間者がいると判断したレアの父親は執事から洗濯係の下女まで一人残さず全員を解雇し、当たらな人材を雇うまで不便をかけると家族に謝った。
南方砦が落ちたら南部は砂漠の蛮族や魔物に蹂躙される。
南方砦と、アイグナルドと共に南方砦を守る将軍を辺境伯家は絶対に守らなければいけないのだと。
(結局父は間者を見つけられなかった。今さら分かるはずがない、でもそれはレーヴェ様もご存知のはず。それならなぜこの子はそんなことを?)
レアはエレーナが怖かった。
デビュタントも迎えていない、地方の砦で育った十代の田舎娘が震えもせずに王妃である自分に対峙している。
にっこりと微笑んで、お茶さえ優雅に飲めるその理由。
どうしてそんなことができるのか。
将軍の娘だから?
(北方将軍アイシャが産んだ娘、言われてみれば彼女の面影もある)
アイシャとレオネルに似たところがある少女。
「ウィンスロープ公爵の子ではありえない」という証拠が次々と出てきた裁判。
嘘だと否定するのはアイシャの言葉だけで、真実とする証拠や証言が次々と出てきた。
貴族も庶民もなくこの国の、他国の人間も注目した裁判。
誤りがひとつもあってはならないと証拠は精査された。
アイシャの子がレオネルの子であるわけがない。
その真実を
刻一刻と嘘は暴かれる。
嘘には目的がある。
(私の嘘も暴かれる、あのひとに知られてしまう)
「エレーナ嬢、なにか私にできることはないかしら?」
***
「王妃が落ちた」
王妃がエレーナをお茶に誘ったことがヴィクトルに疑問を生んだから調べた。
そして証拠にはならないが当時王妃が犯した罪を推察できる程度の材料は見つかった。
罪の深さは客観的に決められる。
誰がやったか、何をやったか、それによってどれだけの者が傷ついたか。
「ヴィクトル、お前はこの件をどうするんだ?」
「何もしない。騒いだところで俺の何かはスッキリするかもしれないが、この件は王家に損失しか生まない」
ヒョードルの問いにヴィクトルは肩を竦める。
王妃の失敗は動いたことだとヴィクトルは分かっている。
何をやったにしろ、やった以上は責任をとらなければならない。
そして責任の取り方はいくつもあり、何もせずに知らんぷりする責任の取り方もある。
王妃のやったことは国民を殺した。
流した情報で戦は長引き、その間に国民が一人以上は確実に死んでいる。
王としてヴィクトルも人を殺す選択をしている。
国は広く、人口も多く、様々な思惑が交錯している以上は誰も死なない平和なんて夢物語だ。
様々な思惑に政治的判断を合わせてヴィクトルは天秤にのせる。
そしてのせた結果、誰かが死んでもヴィクトルは謝らない。
「必要だから」で片づけて、何もせず、怨嗟の声に知らんぷりをして責任をとる。
王妃もそうすべきだったとヴィクトルは思う。
罪悪感、好奇心、恐怖心、動いた理由はなんでもいいが十五年前のことだからと割り切ってなにもするべきではなかった。
「そうか」
ヴィクトルの責任の取り方をレオネルは一言で受け入れた。
そして一度浮かんだ疑惑は波紋を広げ、まずは近くにいる者にぶち当たる。
そう、マクシミリアンもヒョードルも考えてしまうのを止められない。
十五年前のあのとき、自分たちは誰の手で踊ってしまったのか。
身近な人の裏切り行為にうなだれるマクシミリアンとヒョードルからレオネルは目をそらした。
「これがエレーナ嬢の狙いなのか?当時の罪を大小問わず浮き彫りにして不和を生む?」
「いや、そんな復讐をアイシャはやらない」
「あいつは優しいから、子どもを巻き込むことなく自分で……」
マクシミリアンの声が小さくなり、「マジかよ」という言葉で消える。
「アイシャは来ないじゃなくて、来れないなのか?」
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