王都にて
子は親を映す鏡(レオネル)
―――コンコン。
扉を叩く音で現実に戻ってきて、中に入って部屋の扉を開けると城のお仕着せを着た侍女がいた。
「お手紙をお持ちいたしました」
軽く頷いてトレーにのった手紙を受け取るものの、下がろうとせずそわそわする侍女に他の用件を問う。
「宜しければお茶をお淹れしようかと」
「必要ない」
気遣いに見せかけて部屋に入ろうとする侍女の鼻先で扉を閉める。
これだから城は嫌なんだ。
苛立つ気持ちのまま手紙をひっくり返し、『エレーナ』の名に驚く。
友人三人の誰かからきた朝食の誘いだと思っていたゆえの気軽さが吹っ飛んだ。
「急いで着替えを……いや、酒の臭いが残っていたら嫌だから湯浴みを……いや、時間がないからシャワーだな」
部屋中を動き回り、服を選ぶ。
選ぶと言っても謁見用の軍服は着てきたし、最小限の荷物だったから大した服はない。
蜻蛉返りだからとスーツの一着も入れてこなかった自分の迂闊さを悔やみつつ、なんとか格好のつく姿になってあの子が滞在しているという部屋に案内される。
外国からの大使などが滞在する客室。
警備面とあの子を隠すための配慮なのだろう。
「ウィンスロープ公爵をお連れしました」
中から許可を出すあの子の軽やかな声に緊張が高まる。
「おはようございます、小父様」
「おはよう、招待してくれてありがとう」
俺を迎えにきてくれた気の利く侍従長から渡された花束を渡せば嬉しそうに笑ってくれた。
そして先にテーブルに着いていた父上と目を合わせる。
レーヴェ・フォン・ウィンスロープ。
父は俺の前の南部将軍で、砂漠地帯に棲む魔物の討伐に関する知識と技術を俺に叩き込んでくれた師匠でもある。
将軍位は父上たちの代から俺たちの代へと移ったけれど愛し子であることは変わらず、俺に付いてきていたアイグナルド数匹が父上の元へ飛んでいった。
「お久しぶりです、父上」
「元気そうだな」
彼女が言った「お母様とお爺様」、そのうちお爺様が父上であることはヒョードルから聞いていた。
「お爺様、小父様がきたのだから新聞を読むのはやめて」
「はいはい」
こんなやり取りをする二人の姿をみる限り随分と昔から面識があるようだ。
「父上が城にいることをあの女は知っているのですか?」
「今のところ突撃訪問されていないから知られてはいないのだろうが、直ぐに知られるだろう」
父上はサンドラを蛇蝎のごとく嫌っているが、サンドラは父上に妄執している。
そう考えると城での滞在がベターだろう。
ホテルに滞在しようならば元王女の特権だとばかりに無茶難題を叫び、泣き喚いて迷惑をかけるに違いない。
「エリーに危害を加えるならもう容赦はしない、全力全開で消し炭にしてやる」
「エリー?」
「ああ。可愛い愛称だろ?」
「小さい子どものようで恥ずかしいと言ったのに、お爺様ったら」
「その、お爺様とは?」
「いちいち煩い奴だな。十代のエリーからしたら五十代の私なんて爺さんだろう?」
爺さんというには些か若い気もするし、精霊の加護で三十代後半にしか見えない父上が『お爺様』と呼ばれるのには違和感しかない。
正直に言えば、俺を飛び越えて祖父扱いされていることが気に食わない。
「色々聞きたいことはあるだろうが、まずは食事にしよう」
そう言った父上がテーブルの上のベルを鳴らす。このベルは魔導具で城の使用人を呼び出せるようになっている。
しばらく待つと侍従長がやってきて、続けてワゴンを押した侍女が数名部屋に入ってくる。
どの侍女も好奇心の隠せない顔をしており、先ほど言い寄ってきた侍女といい城の者の質が大分落ちている。
彼女は不快に感じていないだろうか。
彼女に目を向ければパチッと目が合って、彼女はニコッと微笑む。
人畜無害な無垢な少女に似合う微笑みであるが、アイシャを知る者ならば誰もが口を揃えて「何か企んでいる」と言うに違いない。
「小父様、カモミールのハーブティーはお好きですか?」
「え?」
想定外の言葉に戸惑って、味は好きではないけれど時々飲むなんて言ってしまった。
―――レオは何でも難しく考え過ぎよ。
そう言って、アイシャはよくカモミールのハーブティーを淹れてくれた。
もちろんアイツは素直じゃないから「ストレスで胃を痛くするんだから馬鹿よね」と余計な一言付きで。
「小父様は薬みたいで好きじゃないくせに意地を張って好きだと言うから沢山飲ませてやったわ、って母様が言っていたのを思い出しました」
「なんだ、それは」
なぜ突然そんな話をするのかと問う目を向ければ、彼女は目線だけ少し侍女たちに向けたあとニコニコと微笑む。
仕掛けたのか。
十代とは思えない自然な演技力に感心しながらも、ここまで成長するのに俺はその過程の何一つ知らないことが悔しかった。
「失礼いたします」
食後のデザートを嬉しそうに頬張る彼女を父上と共に見ていたら王妃の専属侍女がきた。
なぜ?
この子はもちろん、アイシャも王妃とは特に面識はないはずだ。
「エレーナ様、王妃様がよろしければお茶をご一緒したいと仰っておいでです」
「王の小父様もご一緒ですか?」
王の小父様とヴィクトルを愛称で呼ぶことで、この子は自分を王ではなくヴィクトル個人の客としてここにいることを主張している。
ヴィクトルたち夫婦によばれるならまだしも王妃に呼び出される筋合いはないってことだ。
同じくそれに気付いたのだろう。
王妃の専属侍女の微笑みが硬質なものになる。
「国王陛下は朝議がありご一緒ではありませんが、王妃様は朝露の美しい庭をお嬢様にお見せしたいそうです」
その言葉に苛立つ。
朝露で美しい庭を見せたいと朝のこの時間に言うということは「今すぐに来い」という意味になる。
「おい……」
「エリー、お前の好きにしなさい。君はスフィンランの将軍アイシャの名代でここにいるのだから」
俺を遮って父上が発した言葉に専属侍女の顔が青くなる。
この国の安寧が精霊によることは常識で、耐魔物戦線の防衛の要は大精霊の加護を持つ将軍位をもつ愛し子。
国を守るために王族も大精霊を敬い、その愛し子には王族へのものと同等の振舞いをする。
それがこの国のルールだ。
それに加えてこの子はあのアイシャの娘。
アイシャが国を守るのはボランティアだと豪語したのは有名で、気に食わなければいつだって将軍を辞めると宣言している。
魔物の大海嘯と例えられるほど絶え間なく湧き出る北部の強い魔物を単身で退けるアイシャ。
彼女がいなければこの王都などあっという間に魔物たちに飲み込ませてしまうだろう。
―――愛し子に戦いを任せきりにすることを当然の権利だと思わないでほしいのよね。
そう言うアイシャの手は豆だらけで、体もあちこち傷だらけだったけれど、「どうせなら美しい世界で生きたいじゃない」と笑う彼女はとても美しかった。
「お爺様、王妃様のお茶会に行ってまいりますわ」
「無理する必要はないぞ」
「だって王妃様は私にどうしても会いたいみたい。どうしてなのかしらね?」
いたぶる獲物を捕まえた猛獣の目。
子は親を映す鏡とはよく言ったものだ。
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