竜の花嫁

第9話 時は親なり

 コンコン


 扉を叩く音でレオネルは現実に戻った。

 ベランダから部屋の中に戻って扉を開けると、城の侍女がいた。


「お手紙です」

「ご苦労様」


 頬を染めて自分を見る侍女の誘いかける仕草に、レオネルは眉間にシワを寄せ、容赦なくその鼻先で扉を閉める。


 苛立った気持ちは手紙の内容で消える。

 「着替え、いや、その前に風呂だ」とレオネルはバスルームに飛び込んだ。



「おはようございます、オジサマ」

「おはよう、エレーナ嬢」


 爽やかな笑顔に酒の臭いはきちんと消えたか不安に思いながら挨拶を返し、そのまま隣にいるレーヴェに挨拶をする。


「お久しぶりです。父上が王都にいらっしゃるのは珍しいですね」

「エリーを王都まで連れてきたのは私だからな」


「”エリー”?」


「可愛い愛称だろ?エリー、俺の息子でアイシャの元夫だ。私に何かあったらこのおじさんを頼るんだぞ」

「分かりました、おじい様」


「”おじい様”?」


「いちいちうるさい奴だな。十代の女の子からしてみたら五十代の男なんてじいさんだろうが。さあ、朝食にしよう」


 「はい」と応えたエレーナはテーブルに着く。

 その向かいにレーヴェが座ったので、残った席にレオネルは座った。


 レーヴェがテーブルの上のベルを鳴らす。

 しばらくすると給仕の侍女が部屋に入ってきた。


(侍女の質が落ちたな)


 好奇心を隠さない侍女の表情に、さっきの侍女のことが重なって、レオネルは内心でため息を吐く。


 不快な思いもしていないか心配でレオネルがエレーナを見ると、視線に気づいたエレーナがニコッと笑顔を返す。


「オジサマ、カモミールのお茶はお好きですか?朝はいつもこれで、今日も淹れてもらったんです」


「ああ、好きだよ」

「良かったです」


 エレーナはニコニコと微笑む。

 十代の少女とは思えない何も読めない表情に感心すると同時に、レオネルはここまで成長する間にあったことを何も知らないことに寂しさと悔しさを覚えた。



「失礼いたします」


 朝食後のカモミールのお茶を飲んでいたとき、王妃付きの侍女が来た。


「王妃様が庭園でエレーナ嬢とお茶を共にしたいと」

「ほう、王妃陛下が。エレーナ、どうしたい?」


 レーヴェの対応に侍女の頬がピクリと動く。

 その様子に「未熟だ」とレオネルは城の侍女たちの質の低下の原因を悟る。


 この国は妖精の保護で成り立っている。

 逆を言えば妖精の保護がなくなれば国が成り立たない。


 過去にアイシャが国王に無礼な真似をしても、国王が不敬だと喚く程度でアイシャには何もできなかったのはそこにある。


 王がいなくなっても代わりはいるが、妖精の愛し子の代わりは直ぐに見つからないのだ。


 愛し子が国を守るのはボランティアに近い。

 ヴィクトルはそれを分かっているから、『命令』ではなく『お願い情に訴える』をする。


 代わりなど腐るほどいる王妃と、国を守ってあげている愛し子の娘。

 立場の差を理解していない王妃に頭を悩ますヴィクトルがレオネルの頭には浮かんだ。


 同時に目の前の二人の獲物の一つが王妃であることも理解した。

 その証拠に、


「ご一緒させていただきます。おじい様、この服装なら失礼ではありませんよね?」

「大丈夫さ、エリーはアイシャに似て美人だから何を着ても素敵だ」


 「なあ?」と気さくに尋ねる父親の意図を察して、レオネルは「もちろん」と笑顔で応える。


「そうだ、せっかく王都に来たのだからじいさん達がドレスを買ってやろう」

「うわあ、ありがとうございます」


 二人の会話を微笑みながら傍観し、レオネルはこの場にいる二人の侍女を観察する。


 先にいた部屋付きの侍女は好奇心のみ。

 そわそわしている様子から、侍女仲間にいま仕入れた情報を話したくてたまらないのだとレオネルは判断した。


 一方で、王妃付きの侍女の顔に一瞬だが浮かんだのは焦り。


(輿入れのときに王妃陛下の実家からついてきた侍女、腹心、共犯、実行犯……南部辺境伯家、なるほどな)


 南部辺境伯家。

 レオネルが守る南方砦の管理をしている、有事の際は物資や人員を送る役割がある家。


 南方辺境伯はレオネルから見て実直な人物だ。

 常に南方砦を過不足なく支え、砂漠の蛮族が出たときは率先して兵を送り、レオネルやレーヴェと南部を守ることを誇りにしている人物だ。


(王妃陛下は辺境伯夫人似だと思っていたが、辺境伯に似て政治的な駆け引きが上手くないらしいな)


 エレーナはその存在だけ国の中枢を揺さぶっている。

 レオネルのもとにも今朝から大量の手紙が届いており、レオネルはその対応に従者や部下に指示を出し続けていた。


 言葉を変えても皆が気にするのは、エレーナは王都に来た理由。

 公爵家の特徴といえる顔と色を堂々と晒して微笑むその理由は?


(アイシャが表舞台から姿を消して十五年……油断大敵とはよく言ったものだ)


「エレーナ、こっちは気にせずに行っておいで」

「はい。お二人とも、どうぞごゆっくり」


 エレーナの声にレオネルは顔を上げ、軽く口元を緩めるだけで答えた。



「驚くほど似ているだろう?」

「いつから?」


「十五年前から、時々な」

「どうやって?」

 

 レオネルと別れたアイシャは北方砦に行くと誰も北方砦をさにたどり着けないようにした。


 北方砦の場所はわかっている。

 しかし一定以上進むと濃い霧に包まれて、気づいたら追いやられるようになっているのだ。


「別に。普通に訪ねていったら扉を開けてくれたぞ」

「あいつ、父上が好みだって言っていたから」


「妬くな、みっともない。惚れた腫れたがない分だけ、奴らの腐った性根を知っている分だけ俺にはアドバンテージがあったんだ」

「父上は俺以上に公爵家がお嫌いですからね」


 レオネルの言葉にレーヴェの顔から表情が抜ける。


「自分が公爵家の繁殖馬だと理解していたから強姦魔を殺さず妻にまでしたのに、やつらがやったことは私が心から愛した女性を殺すことだった。お前はそういう奴らを愛せるか?」


 初めて聞く話にレオネルは驚いた。

 レオネルは離縁後すぐにレーヴェから公爵位と南方将軍の責務を継いだが、南部に就任したときにはすでに「あとは任せた」という手紙を残してレーヴェは消えていた。



「父上は俺たちのことに興味はないと思っていましたよ」

「一般的な父親よりは興味が薄いかもしれないが、興味がないわけではない。お前たちの結婚を後押ししたのは私だしな」


「後押しした理由は俺の母という女性へのいやがらせでしょう?」

「八割くらいはな。でも残りは息子の幸せってやつに父親として責任があると思っていたからだ」


「意外です」


 レオネルの言葉に、レーヴェは「アイシャが言った通りだな」と苦笑した。


「お前が知っているように、お前の出生にはいろいろあって、私はお前も含めて公爵家の連中を避けていた。私も恨みつらみを消化できない若造だったわけで……いや、違うな。すまなかった」


 父親の謝罪にレオネルは少し驚き、そして苦笑する。


「アイシャが俺に謝れと?」

「いや、アイシャには何も言われていない。ただ、さっきのお前の顔を見て、悪いことをしたなって実感したんだ」


「そうですか」


 父親の謝罪で今まで感じていた恨みごとやつらみが消えたわけではない。

 しかし許さないというのも何かが違う複雑さで。


(ああ、アイシャもあのときこんな感じだったんだな)



「そうですかって、それだけか?」

「父上、謝ったら許されて当然と思われていませんか?」


「アイシャみたいなことを言うなあ」

「昔、彼女にそう言われたんです。父上のおかげであのときの彼女の気持ちがわかりました」


 レオネルはふうっとため息をついて、



「父上、アイシャはいまどうしているのですか?」

「話さないと二人に約束した、すまないな」


「何となくそんな気がしました……エレーナが登場したことで騒ぎが起きています。父上が俺に協力を求めたのはそういうことですか?」


 レオネルの言葉にレーヴェは満足そうにうなずいた。


「昨夜、二人来た。急いで雇ったのだろう、質の悪い者だったし、私もよほどの相手や状況でなければやられない。ただ何ごとにも万が一がある、そして万が一を起こしてはならない。使えるものは何でも使う、アイシャも納得してくれるだろう」


「父上、俺をあの子の傍にいさせる口実を作ってくださってありがとうございます」


 レオネルの言葉にレーヴェは笑った。



「彼女のいない人生なんてつまらないだけだと思ったが、長生きしてみるもんだな」

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