第8話 恋は突然降ってくる

「疲れた」


 二時間も頑張ったのだから少しの休憩を自分に許そう。

 そう思って出てきたベランダで欄干に寄りかかり、「今夜は星がキレイだな」と空を見ていたら現実逃避をしていたら中からカレンデュラの悲鳴が聞こえた。


 少しの休憩も許されない事実にレオネルはため息を吐く。


「あんな女との結婚なんて本気でイヤだ……妙ににぎやかだな」


 誰かにぶつかったとか。

 ワインがドレスの裾にかかったとか。

 そんな些細なことどうでもいいことに悲鳴をあげたのだとレオネルは思ったが、会場の煩さに眉間にしわを寄せた。


 バキンッ


 聞き覚えのある音と同時に視界が変貌し、レオネルはギョッとする。


 窓ガラスが内側から濡れたと思った瞬間に大きな音を立ててその水が氷る。

 すぐ傍でマリナとスフィンランが『うなくいった』とハイタッチしていた。


「マックスとアイシャ嬢の仕業か……息ピッタリだな」


 水を扱うマクシミリアンと水を素材として氷にするアイシャの相性はいい。

 演習でもよく二人は一緒に組んでいる。


 この組み合わせについてヒョードルに愚痴ったことはあるが「相性だから仕方がない」の一言ですませられた。


 理解できるのだが、消化不良のようなモヤッとした気持ちを思い出していると、


「アイグナルド?」


 ビタンッと顔にひっつく勢いで飛んできたアイグナルドに一歩引くと、もう一匹もう一匹とわらわらと飛んできてレオネルを建物の中に引っ張っていこうとする。


 中の人を助けるように言っているような妖精たちの姿をレオネルは訝しんだ。



 妖精は基本的に愛し子以外に無関心だ。


 レオネルが「助けたい」と思わない限り、妖精が人間を助けようとはしない。

 逆にレオネルが危険なところに行くと思って止めようとすることさえある。


「一体誰を助けようと……」


 次の瞬間、アイグナルドたちがレオネルが通れるくらいまで氷を溶かす。

 そうしたアイグナルドたちをスフィンランたちが褒め、嬉しそうにクルクル回るアイグナルドにレオネルは唖然とした。



― 愛し子が恋をすると、妖精もその子に恋をする ―


「ちょっと待て、待て……嘘だろう?」


 妖精は愛し子を愛し、愛し子が愛する者も守ろうとする。

 だから愛し子の子や孫が愛し子になりやすいと言われている。


 そんな妖精の習性を知り、想像力の豊かなものが『恋』という言葉を使った。

 だからこんな言葉は想像で、こんなことがあれば素敵だと創作された仮定のもの。


「嘘だろう」


 数分前の自分なら鼻で笑い飛ばしていた。


 恋は人を狂わせる。

 恋は醜悪な欲を美しく見せかける。


 自分を産んだ女は父に恋をしたと言った。

 その瞬間、レオネルにとって『恋』は唾棄すべき醜悪なものだった。


 自分が何よりも嫌悪している『恋』。

 その『恋』を自分がするとは思わなかったからだ。


(こども騙しだ、そんなことあり得ないって笑い飛ばせばいい)


 口では何とでも言えるが、レオネルの心にずっと寄り添ってきたアイグナルドには嘘がつけない。


「俺、彼女に嫌われているんだぞ」


 こんなことを相談できるのはアイグナルドたちしかいない。

 しかしレオナルは真面目に相談するのだが、アイグナルドはきょとんとしていて分かっているのか、分かっていないのか。


「気に入らないときつく当たったのは悪いと思っている」


 時間を巻き戻せるならとレオネルは思ったが、巻き戻ってももう一度同じことをするに違いないと思った。

 レオネルにとってアイグナルドたちは家族のようなもので、妖精を軽視するような態度は誰であっても許せないのは変わらないのだ。



「アイグナルド、どうして俺は『ウィンスロープ公子様』なんだ?」


 何を言っているのか分からない、という風にアイグナルドが首を傾げる。


「ヒョードルやマクシミリアンは名前で呼ばれているのに」


 愛称でとは言わないが、名前なら四つの音なのにわざわざ長い呼称を選ぶ。

 それは相手との距離感に他ならず、自分で言っていてレオネルは自分で凹んだ。


「この夜会だって来て欲しくなかった。呼ぶつもりもなかったのにあの女、美味しいものが出るのが楽しみって何だよ。そんなに食うのが楽しみかよ、何だよ『婚約おめでとうございます』って、あの恰好すっげえ可愛いんだよ!」


 相談がどんどん愚痴になる。

 惚気も混じり始めてくると、アイグナルドたちが一匹一匹と離れていく。


「……冷たくないか?」


 慰めろとまで言わないけれど、傍にいて欲しい。


「おい?」


 突然アイグナルドたちがわさっと一斉に飛んでいく。

 それはある人物と会ったときだけ起きる現象で、


「父上?」


 王都に来るだけでも珍しいのに、あの母親がいる空間に来ることなど絶対にあり得ないと思った人物レーヴェの登場にレオネルは驚く。


「その……すまん」


 向こうも驚いている……というよりも、気まずい表情にレオネルは察する。

 その整った顔には『聞いてはいけないことを聞いてしまった』と描いてあった。


「お前の恋の悩みを聞くつもりは一切なかったんだ」

「……どこから?」 


「『俺、彼女に嫌われている』あたりから?」

「最初からですね」

「あ、そうなのか」


 父親に対するいつもの気まずさや申しわけなさが羞恥心で包み込まれて、


「いるならいると、大きな声で存在を主張してください」

「すまない……こんなところでお前がアイグナルドに恋の相談を愚痴っているとは思わず」


「すみませんね、変なところで愚痴って。パーティー会場ならばあちらですよ」


 レオネルが会場を指さす。

 そんなやさぐれた態度にレーヴェのほうが少し驚いた表情をする。


「そうか。しかし、やけに盛り上がっているな……氷?」


 少し離れたところでガラスの割れる音が響く。

 庭園にパラパラと破片が散るのを父と息子は口をあけて見上げながら、


「ちょっと盛り上がり過ぎじゃないか?」

「そうですね」


「暴漢でも出たのか?まあ、ホーソン侯爵は大勢に恨まれているもんな」

「そうですね」


「この氷はアイシャ嬢か」


 近くにいたスフィンランを目にとめたレーヴェは納得した。

 そのスフィンランに頭を撫でられて喜ぶアイグナルドの姿にもっと納得した。


「もうすでに尻に敷かれているというわけか。惚れたほうが負けというしな」

「そうですね」


「潔く認めたな」

「あんな恥ずかしいことを聞かれたのでいまさらです。それでは失礼します、中が気になるので」


 いまこの瞬間にも窓ガラスがバンバン割れている。

 「気になる」ではなく「気にしなければいけない」レベルなのだが、いまはともあれ父親の前からの逃亡の口実にした。


「私も行こう」



 ***



「予想外で予想以上だ」


 会場の中はレオネルの予想以上に荒れていた。


「東の坊主か。マリナたちを使って上手く参加者を保護しているな、気遣いもよくできている」


 ホーソン侯爵とカレンデュラ父娘をいれた結界、公爵夫人だけをいれた結界。

 その他の参加者を入れた結界と分けているマクシミリアンの気遣いにレーヴェは感心していた。



「結界の中で騒がれたら面倒だから」

「合理的だな、東の。魔物はなにで、どこにいる?」


「魔物は鳥で……いまはどこにいるか、ちょっと分かりません。ただアイシャが追っています」


 ドコオンという音がして太い氷の枝が壁から生える。


「やる気満々だな」

「豪快だな」


 父と子の素直な感想にマクシミリアンは苦笑しつつ、この二人が並んでいてこんなにリラックスしているのは初めて見た。

 嬉しかった。


「ホーソン侯爵は捕獲を希望しましたが、無理なので殺害する予定。おかげでアイシャは遠慮と配慮が欠如中です」

「睡眠香もないんだ、正しい判断だ。思いきりがいいところも心地いい……しかし、いいのか?」


 呆れて上を見ているレオネルにレーヴェが問いかける。

 「何がです?」と首を傾げるレオネルの分かっていない表情にレーヴェは苦笑する。



「スカートで上に飛んだら中が丸見えだぞ」

「あ゛?」


 父親の目線を追ったレオネルは頭上でふわりとアイシャのスカートが花開き、きれいな脚が上まで続くその光景に顔を真っ赤にした。


「息子よ、貴族男子の嗜みはどうした?たしかにきれいな脚だが」

「なに見てるんだ、変態親父」


「初めてまともに口をきいた父親に『変態』……まあ、いい。そして安心しろ、彼女は下に短いズボンを履いているようだ」

「それでも……あのバカ女」


「青春しているようで結構、結構。それにしても気持ちのいい戦い方をする女だな。見た目によらず力技で押していくタイプか。しかし決め手にかける、選手交代だな。息子よ、両腕をまっすぐ前に出せ」


 レーヴェは楽しそうに笑うと「早くしろ」とレオネルを急かし、


「彼女を落とす、しっかり捕まえろ」


 そう言った公爵の指先から炎を凝縮したような赤い線がでて、その熱でアイシャの作った氷の足場を壊す。


「キャッ」


 あると思っていた足場がないことにアイシャが悲鳴を上げて落ちてくるのと、レオネルが腕をまっすぐ前に伸ばしたのが同時で、


「うわっ」

「よし。スフィンランの愛し子、ご苦労だった。あとは俺が引き継ぐ」


 そう言うとレーヴェは氷の枝を飛び移り、「鳥は焼き鳥に限る」といいながらあっという間に鳥の魔物を焼き払った。

 真っ黒になった固まりが床におち、人ひとり分しか離れていなかった公爵夫人が悲鳴をあげて気絶した。


(絶対にわざとだ……内容はどうであれ、精度や威力はすごい)


「格好いい」

「は?」


「南方将軍閣下って格好いいですね、ウィンスロープ公様」

「ちょっと待て、お前のこんな目をキラキラした顔は初めて見るぞ」

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