鏡面、心残り

大出春江

鏡面、心残り

「うぇぇ……。やっぱり苦いなぁ」


 四畳半のフローリングに小さな炬燵が一つ。その向こう側。

 深山明莉(ミヤマアカリ)は真っ黒に染まった甘えのないコーヒーを啜り呟いた。


「だから言ったろう、素直に砂糖入れたら?」


 砂糖壺を指先で送ると、「いいえ結構です」と言わんばかりの顔をして押し返してくる。本人曰く、もう子どもではないとのことだが、そう思っているうちはまだまだだろう。

 そんなことを思ったが、麻紐でぐるぐるに縛りつけて箪笥にしまい込んだ。


「——深山さん、そろそろ本題に入りたいんだけど、いいかな?」


 瞬間、明莉はコーヒーの入ったマグカップをそれなりの勢いで置き、こちらを指さした。


「それ! それだよ!」


 あまりの勢いの良さに正直驚いたが、やはり意味が分からないので首をかしげる。


「わたしが北海道旅行に行くってお兄さんに伝えたら「一日時間をくれ」って急に言い出すし、それで期待して来てみれば何もないどころかちょっと空気重たいし……なにこれ」


 明莉は少し疲れたようで静かに縮こまってしまった。


「そ、それは申しわけなかった。——じゃあ尚のこと早く本題に入ろう」




 四カ月ほど前、夢を見た。十二月のこと、札幌に用事があった私は日が落ちかけたころ帰りの電車に乗り込み、程よい疲れと纏わりつく暖房に混ざり合いながら眠りについた。

 随分と深い眠りだったのだろう。真冬に真夏の夢を見たが、それにもかかわらず違和感は覚えなかった。夢の中で不思議な老紳士に出会う。妙に気になった私はその紳士と言葉を交わし、突如として嫌悪感を覚えたと思ったら目が覚めたのである。今となっては、紳士と交わした言葉の全てを覚えているわけではない。

 しかし、何故だか脳裏に焼き付いたように離れないのである。


「苫小牧に行け、ですか」


 あの日みた夢の内容を明莉に話していると、初めこそつまらなそうな顔をしていたが、気が付けば妙に真剣な顔をして耳を傾けていた。


「そう。老紳士が言うには苫小牧には、何かがあるらしい」


 コーヒーを一口含む。


「……その老紳士。見覚えとかないんですか?」



「覚えはない……。けど、おそらくあれは——」


 腕を組んで少し考える。あの日から何度も思い出そうとしたが、あの老紳士の姿は、やはりというべきか覚えはなかった。しかし、不思議と想像できるのだ。


「私だろうなぁ、きっと」


 明莉は「なんで?」と疑問をぶつけてきたが、私としても「なんとなく」としか返しようがなく、ただ苦笑いを浮かべた。


「……行きましょう」


 慣れない真っ黒なコーヒーを一息に飲み干して立ち上がる。


「わたしが気になるから! もはやお兄さんだけの問題じゃないので、急ぎましょう!」


 深山明莉は好奇心に取りつかれてしまったようで、気づけば私が引っ張られる形で駅へ、苫小牧へと向かうことになった。




「——遠い!」

「それはそうだろう」


 札幌から苫小牧までは電車でおよそ一時間。各駅の間隔が広いことも明莉にとってみればなれない感覚なのだろう。


「こんなに電車が長いんじゃ、お兄さんも大変だね」

「いや……。札幌近辺での移動ならこんなに時間はかからないからね。慣れてしまえば意外と悪くないよ。電車も空いてるし」


 「ふうん」と理解したのかどうか分からない相槌を打つとペットボトルのお茶を飲んで外の景色を眺めた。

 電車の揺れと音が眠気を誘う。一説によると、電車で眠くなるのは母親のおなかの中にいた時の揺れと音に似ているからだとか、そんな話を思い出した。

 そんな時だった


「心残り……」


 明莉が呟いた。


「どうかした?」


 追求せざるを得ない。


「お兄さんは、桜さんが心残りなのかなぁ……って思って。どうなの?」


 今までの明莉からは想像もできないほど落ち着いた真面目な話しぶりに少しだが驚いた。


「まぁ……心残りは、あると思うよ」


 明莉はピクリと反応するがそれ以上は動かずにこちらの話を待っている。


「なにも隠す必要はないし、自分に嘘はつけないなぁって。最近、思うんだ。そう考えると、やっぱり心残りの一つや二つあるんだと思う。——それで、いいと思う」

「なんで?」


「桜が好きなことに変わりはない。この世にいないことは辛い。——でも、今を生きるのは生きるものだけの特権だからね。彼女の残した温もりで今日を生きる、……それでいいんだよ」


「そう——なんだ」




 苫小牧に着いた。先程の話をしてから明莉とは会話という会話をしていない。

明莉も桜と仲が良かった。私は彼女のそばで過ごし、失ったが、そうでない明莉の心は整理がついていないのかもしれない。

 電車内での話は、明莉にとっての整理の時間だったのかもしれない。


「お兄さん!」


 変わらない笑顔に心底安心した。


「ここからどこに行くんですか?」

「ああ、たしかにそうだな……」


 苫小牧駅前、言い方は悪いが道中の辺鄙な駅に比べれば幾分か人通りもある。

 もしも、夢で見た老紳士が本当に私自身なのだとしたら、きっと人通りの少ない場所を好むだろう。そんな場所に、何かがあるのだろう。


「海が向こうだから、その逆だ。何となく散歩でもしよう」


 残雪が溶け出す道を歩き出す。


 途中コンビニなんかに寄りながら明莉の気を紛らわせる。

 そんなことをしていると人影はすっかりと少なくなり、空模様は少しずつ濁っていく。


「雨、降りそうですね」

「折り畳み傘はあるから大丈夫だよ」

「お兄さん……もしかして、相合傘ですか!」

「そういうと思って二つ持ってきた」


 明莉は「やられた!」といったような表情をして一つため息をついた。




「あれ……?」


 首を傾げ、明莉が立ち止まる。


「どうかした?」


 そう問いかけるとハッとした様子でこちらを向く。


「北海道ですもんね、キツネくらいいますよね! ちょっとびっくりして」

「意外と住宅街にも出たりするから、珍しいものでもないよ」


 私の眼に狐の姿は映らなかったが、よそ見をしていたからだろう。

 そう思ったとき


「キツネ、初めて見ました。あんなに白いんですね」


 間違いなく、明莉は呟いた。


 確かに白い狐は存在する。いわゆるホッキョクギツネが有名だろう。しかし、当然だが北海道には存在しない。北海道の在来種はキタキツネで、輝く黄金の毛並は冬毛に生え変わっても決して白く褪せたりしない。


「その白狐、どっちに行ったかわかる?」

「え? そこの道を右に——」

「すぐに案内して」


 明莉は意味を理解したようで、何も言わずに頷き後を追った。


「いる」


 とだけ呟いて明莉は歩き出す。

 興奮気味なのだろうか、駆け足とまではいかないものの、かなりの早足で住宅街の路地を巡る。


 雨が降り始めた。

 傘のいらないほどぽつぽつと。そう思ったのもつかの間、小ぶりだった雨は土砂降りとなり急激に体温が奪われるのを感じた。

 北海道三月末の外気温は高くても十度を僅かに超えるくらい。

 すぐに傘を用意しようとするが、その隙に明莉を見失う事を考えると取り出すことはできなかった。




 路地を巡る。

 巡る。

 巡る。


 甘い土地勘ではごまかせないほど進んだころ、ようやく明莉は立ち止まった。


「ついた」


 明莉の背中だけ追っていたからか、気が付かなかった。


 雨は止んでいる。

 道の舗装もされてない、開けた草原。

 神社の前で、私と明莉は立ち尽くしていた。


「なるほど、稲荷神社か……」


 明莉は何も言わずに奥へと入っていく。

 私も、もはや何も語るまいと歩き出す。


 荘厳な雰囲気の境内に圧倒される。

 ここまで立派な稲荷神社が北海道にあるはずがない。それどころか、数ある稲荷神社の中でもこれほどのものであれば数えられるほどしかないだろう。

 

 伏見稲荷大社、本殿、それに見えた。


 近づいて見ると物陰から白狐が飛び出す。


「深山さんが言ってたのはこれか……?」


 ハッと我に返ると、明莉の姿を見失ってしまった。

 この異質な状況ではぐれるのはリスクが高い。当たりを付けて周りを捜索しようとした。


 その時だった。

 

 足元の水たまりに懐かしい顔が映りこんだ気がした。




「久しいね」


 振り返る。


 新橋桜が、そこに立っていた。

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