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 後ろに気配を感じて振り返ると、そこには男の子が立っていた。

「初めまして。三森要人といいます」

 駅前に現れた私の恋人は、とても綺麗な人だった。男子に対して、綺麗という言葉を使うのもどうかと思うが、ひと目みて思い浮かんだ言葉がそれなのだから仕方がない。

 真っ直ぐな眉毛の下から覗く涼しげな切れ長の目、スッと通った鼻筋、上品な唇。一つひとつのパーツが整っている。髪もサラサラで真っ直ぐだ。

 身長は、私よりちょっと高いけれど、見上げるほどでもない。男子の平均くらいかな。女装したら格好良い美人になりそうだけど、骨格にはやっぱり男性らしさがあって――。

「どうかした?」

 いけない。じろじろ見すぎてしまった。三森要人が美形だということに驚いた私は、柄にもなく緊張していた。超美形だよ、ってひと言書いておいてくれればよかったのに……などと、花蓮に対する理不尽な恨み言を心の中だけで吐いておく。

「あ、いえ、すいません。えっと、甲斐春奈です」

「知ってるよ」

「あはは。だよね」

 私は彼のことを知らないけれど、彼は私のことを知っている。

 それは、とても歪な関係性だと思う。

 だけど私たちは恋人同士なのだと、少なくとも三森要人と遠野花蓮の二人は証言している。それなら今は、この状況を受け入れるしかない。

「あの、私の顔に何かついてます?」

 彼は私の方を見て、何も言わずに微笑んでいたので、そう聞いてみた。

「ううん。会えたのが嬉しくて」

 堂々としたストレートな台詞に、私はちょっとびっくりする。

「私も、会えてよかった……です」

 嬉しい、とまでは言えないけれど、ひとまず彼が、怖い人とか変な人ではないことが判明して、私は安心していた。

「うん。それに、今日が日曜日なのもよかった。僕のことを知ってもらうのに、一日使えるから」

 三森要人はそう言って、また柔らかく微笑んだ。様になるなぁ……。


 私たちは近くのファミレスで昼食をとることにした。

 私は朝食が少し遅かったこともあり、そこまでお腹は空いていなかったので、控えめにハーフサイズのパスタとドリンクバーを注文した。

 食事をしながら、私が花蓮に教わっていたよりも細かいあれこれを、三森要人は話してくれた。

 彼の話す内容は主に、私たちの先月までの思い出についてだった。

 去年のクリスマスはイルミネーションを見に行って、私がマフラーを彼にプレゼントしたとか、春休みにはテーマパークに出かけて、一日ですべてのアトラクションを制覇したとか。

 全部、私の記憶にはないけれど。

「そんな感じかなぁ」

 要点がまとめられていて、とてもすっきりした話し方だった。さすが理数科といったところだろうか。

「ところで、一応毎回聞いてるんだけど、春奈って呼んでもいい?」

「うん。大丈夫」

 少しくすぐったいけれど、恋人だったら当然だ。わざわざ確認するところに、気遣いが感じられる。

「よかった」

 彼は安堵したような表情を浮かべた。

 どうやら三森要人は、聡明で誠実な男の子らしい。

 でもやっぱり、私にとっては初めて会った人だ。

「春奈は何か、聞きたいことある?」

 たくさんあったけれど、まずは無難なものから選んでいく。

「えっと……たぶん私の方も記憶が消えるたびに毎回聞いてると思うんだけど、私は三森くんのこと、なんて呼んでた?」

 質問しようとして、彼のことをどう呼べばいいのか迷ったため、それを先に聞くことにした。

「ダーリンって呼んでたよ」

「えっ⁉」

「噓」

 お茶目な一面もあるらしい。

「もぉ! で、本当は?」

 おかげで緊張がだいぶほぐれはしたが。

「要人、って普通に呼んでた」

 彼は遠くを見るような目をして、過去を懐かしむように答えた。

「ん。わかった。じゃあ要人は、私の忘恋病のこと、理解してくれてるってことで合ってるんだよね? もしかしたら、これも毎回聞いてるかもしれないけど」

「うん。最初はびっくりしたけどね。付き合って一週間くらいで、恋人のこと全部忘れるなんて」

 要人はからっとした笑顔で言った。

「でもそれは、春奈のことを好きじゃなくなる理由にはならないよ」

 その言葉に、心臓が音を立てて跳ねた。

 とても威力が強い台詞だった。要人の整った容姿も相まって、恋愛ドラマのヒロインになったような錯覚さえ抱く。

 だけどすぐに、色々なことを考えてしまう。

 それがどれだけ嬉しい言葉だとしても、たったひと言では、今の私の不安をすべて拭うことはできない。

「うん、ありがとう。嬉しい」

 私は笑って答えた。そうすることが、きっと正解だと思ったから。

「あ、何か入れてこようか?」

 空になった私のグラスに気づいた要人が立ち上がる。

「じゃあ、メロンソーダで」

「了解」

 ドリンクバーに向かって歩いていく要人の背中を、私はじっと見つめていた。

 忘恋病の発覚から、約一年が経とうとしている。

 私にとって、恋は一ヶ月ごとに忘れるものというのは、当たり前になりつつあった。

 だから今日の朝、知らない男子が私の彼氏を名乗っていても、戸惑いはしたけれど、ある程度冷静に対応することができたのだ。

 それに不思議と、忘恋病であることに対してコンプレックスのようなものを、私はあまり感じていないようだった。

 きっと今まで、私のことを受け入れてくれた恋人のおかげで、恋に対して前向きになれているのだろう。

『恋の記憶が消えるだけで、積み重ねてきた恋そのものがなくなるわけじゃない』

 忘恋病が発覚したとき、私を診察してくれた先生が言っていたことだ。

 その意味が、今ならなんとなくわかる。

「はい。メロンソーダ。あれ、どうかした?」

 要人が戻ってきた。

「ううん。なんでもない。ありがと」

 そのときの記憶がないとはいえ、紛れもなく私は恋をしていた。絶対にまた好きになることができる。そう思っていたし、彼だって、それを受け入れてくれたはずで。

 だから私は、胸を張って恋をしようと決めていた。

 それなのに、今はどうだろう。

 私に、恋をする資格なんてないんじゃないかと思えてくる。

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