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私には少し、いや、かなり変わった病気がある。
満月の日ごとに、恋に関する記憶がリセットされてしまうのだ。
正式名称は、月光性恋愛健忘症。世界でも数例しかない病気だった。月光性以外にもいくつか存在する『
忘恋病が発覚したのは、高校一年生の秋だった。
ある男子に告白されて付き合い始めた私は、一週間もしないうちに、その人のことを完全に忘れてしまっていた。それだけでなく、恋人がいたということすら覚えていなかった。
そのときは、親友である
そのこと自体、自分が体験した出来事というよりも、他人の物語のような形で、私は理解していた。
告白されたことはもちろん、恋人のことを忘れてしまったということすら、今の私は忘れてしまっている。詳細を知っているのは、後から花蓮に教えてもらったからだ。
恋愛に関係しない部分は覚えている。例えば、病院でのこと。恋に関する記憶だけが定期的に消えてしまう病気だと告げられたときは衝撃を受けた。
どのくらい記憶がなくなるのかというと、寝ているときに見る夢に喩えればわかりやすいと思う。
夢を見たかもしれないけれど、どんな夢かは覚えていないし、夢を見たかどうかすら、曖昧な状態。
恋をしていたかもしれないけれど、相手が誰か、どんなことをしたかは覚えていないし、恋をしていたかどうかすら、曖昧な状態。
そんなふうに、私の記憶は消えてしまう。
記憶は寝ている間になくなっていて、消えるのは決まって満月の日の夜――つまり、だいたい一ヶ月ごと。
ちょっとややこしいのだけれど、自分は恋に関する記憶が消える病気を患っている、ということは忘れないでいられる。
ただ、恋人がいたかどうかは自分でもわからないので、満月のたびに、自分の恋愛事情について確認しなくてはならない。
発症例が少なく、具体的な治療法は見つかっていないけれど、決して治らない病気ではないらしい。
原因は精神的なものがほとんどで、過去に恋愛によって傷ついたというパターンが大多数を占める。わかりやすく言ってしまえば、トラウマというやつだ。
どうやら私は、過去に恋愛絡みの出来事で心に傷を負ったようだ。
まったく心当たりがないのは、そのときの恋の記憶も失ってしまっているからだろう。
定期的に心療内科に通っているが、今のところ、治る見込みはない。
だからといって、悲しんでばかりいても仕方がない。
病気が発覚したとき、この先、もう恋なんてできないのではないかと思ったのはたしかだ。
でも今は、できるだけ前向きに恋をしていこうという気持ちがある。
きっと、周囲の人に支えられて、私は恋をしてきたのだろう。
恋人を名乗る知らない男子からのメッセージに、不安になるのは当たり前だ。
今までだって、恋の記憶を失ったときは、不安だったに違いない。今回もきっと大丈夫だ。自分にそう言い聞かせながら、デートに着ていく服を選んだ。
「お父さん、ちょっと出かけてくるね」
「ん。気をつけて」
「行ってきまーす」
胸中に渦巻く不安を吹き飛ばすように、わざと明るい声を出して、私は家を出た。
白い半袖のシャツに落ち着いたブラウンのフレアスカートというシンプルな服装で、待ち合わせ場所である隣の駅まで歩く。
駅には待ち合わせ時刻の十分ほど前に着いた。球の形をした大きなオブジェが鎮座しており、定番の待ち合わせスポットになっている。周囲を見渡すと、休日ということもあってか、たくさんの人が誰かを待っていた。私の恋人を名乗る三森要人という男の子は、もう着いているだろうか。
相手の顔もわからないので、ぼーっと空を眺めながら待つことにする。
雲一つない快晴だった。九月後半とはいえ、まだまだ暑さは残っている。かといって、八月に比べれば暑すぎるということもなく、湿度もそこまで高くはない。お出かけ日和と言って差し支えない、快適な日だった。
今のうちに、花蓮がまとめてくれた情報を再確認しようと思い、スマホを開いた。
恋人に関する情報は、毎回、花蓮から教えてもらうことにしている。
自分でメモしておいたものを見る方が楽かもしれないが、やはり、記憶にないことが書かれているのは少し怖いし、自分で自分のことが信じられなくなってしまう。
その点、信頼できる友人からの情報であれば、幾分か受け入れやすい。
付き合い始めたのは約一年前で、三森要人からの告白がきっかけ。
三森要人は、私と同じ高校二年生で、同じ学校の理数科。部活には所属していない。映画が好き。中学生の弟がいるらしい。
その他にも、出身中学や血液型、誕生日などが書かれていた。
箇条書きで書かれている情報はあくまで表面上のもので、三森要人という人間の、深いところまではわからなかった。
今日、話してみれば、彼のことが少しはわかるだろうか。
周囲にそれらしき男の子がいないことを確認してから、再びスマホの画面に視線を落とす。
インテリアピールしてくるところがちょっとウザいけど、基本的にはいいやつ。
最後に書かれた花蓮自身の感想に、くすっと笑みがこぼれそうになった。
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