第一章 甲斐春奈の苦悩
1
何が正解なんだろう。
どんな選択をすれば、誰も不幸にならずにすむのだろう。
――ジリリリリリリリリ。
頭上でアラームが鳴り響いた。
意識が、別の場所から現実に戻ってきた感覚。どうやら、夢を見ていたらしい。とても懐かしい夢だった気がする。
アラーム音を頼りに、手探りでスマホをつかんで、アラームを消すと――。
『私には素敵な恋人がいます!』
画面には、そんな一文が表示されていた。
「……んー?」
それを数秒見つめても、上手く情報を処理できずに、文章の意味をのみ込めないでいる。そもそも朝に弱いというのもあって、なかなか頭が働かない。
とりあえずカーテンを全開にして、太陽の光を浴びる。強い朝陽に、私は目を細めた。
「そっか……昨日は満月の日だった」
寝ぼけていた脳が少しだけ動き始めて、やっと文章の意味を理解する。
そして私は、昨日までの一ヶ月間を振り返って――。
たしかに、恋が消えてしまっていることを確認した。
「あぁ……またか」
弱々しい呟つぶやきが、自分の口から漏れる。
切なさのような、寂しさのような、言葉では言い表せない何かが、全身に染み渡っていくようだった。
スマホをタップすると、詳細画面が表示される。
『詳しくは、
指示通りにメッセージアプリを開く。
すると、知らない名前の男子から、こんな文章が送られてきていた。
三森[あなたの恋人の三森要人です]
みもり……かなと、だろうか。
聞いたことも見たこともない名前に、心臓の鼓動が強くなるのを感じる。
恋人。一般的には、お互いに想いを寄せる相手のこと。もっと簡単にいえば、好きな人。
つまり、そのメッセージによると、三森
私の恋人を名乗る三森要人よりも少し前に、遠野花蓮からもメッセージが届いていたので、そちらも見てみる。
同じ高校に通う花蓮は、中学時代からの私の親友で、誰よりも信頼できる人だった。
かれん(遠野花蓮)[三森要人って人からメッセージがきてると思うけど、その人が春奈の彼氏で間違いないよ。春奈の事情も知ってて、受け入れてくれてるから大丈夫。]
……ああ、そういうことか。このメッセージを見て、私はうっすらと状況を理解した。
花蓮からのメッセージの続きには、三森要人のことが簡単にまとめられていた。私はそれを読みながら、のろのろと横になった体を起こす。
今日は日曜日で、学校は休みだった。
午前九時。寝坊はしたいけれど、生活リズムは崩したくない私なりの、ベッドにいることが許されるギリギリの時刻だ。グググっと背伸びをして、眠気を振り払う。
とりあえず、メッセージに返信をしなくては。
まずは花蓮の方だ。
甲斐春奈[いつもありがとね]
毎回こんな感じのことを送っていたはずだ。
恋人を名乗る三森要人の方は……。
甲斐春奈[初めまして よろしくお願いします]
少し考えたけれど、それくらいしか出てこない。大丈夫だよね……。
私は飛行機のマークをタップして、恋人に送るにしては不適切極まりない文章を送信した。
顔を洗い、歯を磨き、トーストを焼く。平日のだいたい半分くらいのスピードで、朝のタスクをこなしていくと、徐々に動揺が収まってくる。
予想外の出来事があったときこそ、いつも通りの日常を過ごすことを心掛けなくては。
リビングのテーブルに、こんがり焼けたトーストを置いて椅子に座る。
「お父さん、おはよ」
テレビを観ていた父に声をかけた。
「ん」
父が素っ気なく返す。仲が悪いわけではない。父は無口で、これが平常運転だ。
私は父と二人で暮らしている。
約十五年前、私がまだ幼稚園にも入っていないころに、母は事故で亡くなった。
そのときは、まだ人が死ぬことの意味をあまりわかっていなかったし、当時の記憶もおぼろげで、大きなショックを受けずに済んだ。その代わり、私が成長するにつれて、大切な家族がいなくなった悲しみは、少しずつ、心にじわじわとしみ込んでいった。
母が亡くなってから、エンジニアとして働いていた父と、十二歳離れた姉によって、私は育てられた。
不器用ながらも、父が私を大切にしてくれているのはわかる。
姉の
朝食を食べ終えると、三森要人から返信が届いていたことに気づく。
三森[自己紹介も兼ねて、出かけませんか? 日曜日だし]
敬語混じりの文章は、私との距離感を測りかねているように思えた。
それにしても……これは、デートの誘いということだろうか。
「う〜ん。どうしよ……」
私は少し考える。
甲斐春奈[そうしましょう]
結局、そんなメッセージを送信することにした。
不安もあったけれど、せっかくの日曜日なのだ。それに、自称・私の恋人に色々と聞きたいこともある。
何往復かやり取りをして、場所と時間を決めた。
三森[楽しみにしてるね]
何気ないメッセージに、なんだかドキドキしてしまった。
私はこれから、恋人を名乗る男の子に、初めて会いに行く。
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