7
車のエンジンが止まると、そこは動物病院の駐車場だった。
母に背を押されながらノロノロと中に入っていくと、目の前に眼鏡をかけた男の人が現れた。
その人は優しげな声でぽん太を見せて欲しいと言った。
自分は動物のお医者さんだからぽん太を治せるかもしれないという。
私はぼんやりとした頭で考えたけれどよく分からなかった。
けれど子供ながらにその声に嘘はないと感じた。
だから私は手を開いて差し出した。
待合室にいた時間も少しは憶えている。
私はぽん太の手術が終わるまで長椅子に腰掛け、母のそばでぼんやりと天井まで背丈のある大きなガラス窓越しに外を眺めていた。
やはり風が強く吹いていた。
視界の右から左へと枯れ葉が何枚か、コロコロと転がり消えていった。
私はそのときどんなことを考えていたのだろう。
たぶん現実が受け止めきれず、なにかどうでもいいようなことを頭に浮かべていたような気がする。
たとえば冬休みの宿題のこととか、あるいはお正月に行く予定のお父さんの田舎のこととか。
そうしているうちにやがて診察室のドアが開いた。
そして受付にいた髪を後ろでくくった優しそうなお姉さんが現れ、私たちを病院の奥へと案内してくれた。
うながされて入った部屋はすごく明るい場所だった。
天井に取り付けられた大きな円盤状のライトからは強烈な光線が放たれ、手術台の上を白く輝かせていた。
そしてぽん太はそこにいた。
照らされた光の輪の中でぽん太は透明な筒を頭に嵌められ、そして何本かの細い紐状のなにかを体に付けられて静かに横たわっていた。
動物のお医者さんだという男の人がさっきより暗い表情でなにか少し複雑なことを説明していた。
綺麗な金髪のお姉さんがそのすぐそばで唇を引き絞っていた。
彼らのその声色や表情で子供ながらに私は状況は良くないのだとなんとなく悟った。
私は目前でスポットライトを浴びて横たわるぽん太におもわず手を差し伸べた。
とにかくぽん太を連れて帰ろうとその一心だったように思う。
母はそれを制したけれど、動物のお医者さんは微笑んで許してくれた。
そして私の手にぽん太が載せられた。
すると冷たかったはずのぽん太の体がなぜか温かだった。
また浅くて速い呼吸は私には不思議と苦しそうではなく、どこか楽しげに感じられた。そして動き出す気配はなかったけれど、それはただのんびり昼寝をしているようにも思えた。
けれどぽん太のお腹に綴られた白い縫合糸の列が垣間見えた瞬間、私に重い現実が容赦なく襲いかかった。
私のせいだ。私のせいだ。私がやってしまった。
私がぽん太をこんな目に遭わせたのだ。
絶望と後悔が一気に押し寄せた。
目蓋に涙が溜まり、つらつらと頬を流れた。
右足の裏にぽん太を踏んだ感触がまざまざと甦り、悲鳴を上げそうになった。
それを堪えて食いしばった奥歯の隙間から、ただひとつだけ言葉が漏れる。
ごめんね。ごめんね。ごめんね……。
泣むせてその謝罪を何度も繰り返しながら、けれどぽん太が私を許してくれるはずなど絶対にないと心の底で別の自分が憤っている声を聞いた気がする。
その後、母と私は家に帰った。
ぽん太を病院に残して帰るのは辛かったけれど、どうしようもなかった。
先生がきっと助けてくれるよと母は無理に笑顔を作ったけれど、子供の私でもそれがただの気休めだということは分かっていた。
忌まわしくも柔らかな感触がいまだ足の裏に残り、タオルをめくったときに見た最悪の情景が何度もフラッシュバックした。
あんなになってぽん太が生きられるはずがないとそう思った。
そしてなぜあんなことになってしまったのだろうと自問し続けた。
あのとき私がもっと気をつけて歩いていたら。
その前にケージの背面にある扉に気がついていたら。
それより新しい飼育ケージなんてクリスマスプレゼントに頼まなければ。
いくつものたらればが浮かんだ。
そしてそのひとつでも取り返しがつけばまだぽん太はこの家にいて呑気にひまわりの種をかじったりしていたはずなのにと意味のない後悔を繰り返した。
ベッドの上で布団を被り、私は声を押し殺して泣いた。
母が来て、慰めたり、励ましたりしてくれたけれど私は布団から顔も見せず、返事もしなかった。そのうちに母が部屋から出ていく気配があり、咽び泣いていた私はいつのまにか眠ってしまっていたようだった。
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