緑川草太の興奮
その日俺は、藤井翔馬が初めて負けるところを見た。
画面越しでもわかるほどに藤井翔馬は苛立ち、そして落胆していた。
俺は不思議と、その光景をあっさりと受け入れることができた。あれほど自分が藤井翔馬を倒すと息巻いていたというのに、いざ奴が負けてみれば、そこに悔しさはなかった。土俵にすら立てていない俺に、勝者を妬む資格などないと悟っていたこともある。だが一番の理由は、藤井翔馬を倒したのが、彼のお気に入りの若宮十流ではなかったことだろう。そしてそのことを、若宮十流以外の男に負けたことを、他ならぬ藤井翔馬が、異常に腹立たしく思っている。
なんという愉悦だろうか!
俺はテレビの前で笑った。乾いた笑いが、しかしなかなか止まらなかった。そうして、満面の笑みを浮かべたまま、表彰台の頂点に立つ男を見た。
倉林界登というその選手は、勝ち方に僅かにケチこそ付けられたものの、少々の審議を経てすぐに正式に優勝を認められた。
きれいな人だと思った。艶やかな黒髪に白い肌。そして切れ長の吊り上がった赤い瞳。表情こそ随分と憂いを帯びてはいたが、若宮十流や藤井翔馬とはまた別の方向性の、端正な顔立ちをしていた。このきれいな男が俺の代わりにあいつに一泡吹かせたのなら、今はそれでいいかと思えた。
無論、それで俺の向上心が損なわれるということはない。
藤井翔馬と若宮十流をまとめてぶっ倒すという夢は当然潰えてなどいないし、早く彼らと同じ舞台に立ちたいと願うほど、ますます練習に熱が入った。
倉林界登に、同じ選手として早く会いたい。会って話してみたい。
藤井翔馬をぶっ倒して、どんな気分だったか聞いてみたい。
俺はあんたが藤井翔馬をぶっ倒すところを見て最高な気分になったよ。最高にしてくれてありがとう。そう伝えたら、どんな顔をするだろうか。彼は見るからに真面目そうだから、困った顔をするのかもしれない。
ああ、楽しみだな。
しかしとりあえず、秋の大会には本当にちゃんと間に合わせないとな。
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