緑川草太の情念
藤井
理由などありすぎて、今更一つずつ語ることはできない。
とにかくあいつはいけ好かない男だ。この世が自分中心に回っていると本気で思っている。そして、そう思えるだけの才覚がある。
あらゆることに恵まれて頂点に立っているくせに、それを自分の力だと思っている。
自分は愛されて当然だと思っている。そう思い込めるだけの魅力もある。実際、周囲から愛されて育っている。
最悪だ。反吐が出る。
向かうところに敵なんていないと思っているあいつを、いつかその視界の外から屠ってやりたい。あのすかした面が驚愕を浮かべて、それから歪むところを特等席で見てやりたい。
そこから引き摺り下ろしてやりたいと、鬱屈した思いを抱えて生きてきた。
まだ俺が必死で刃を研いでいた頃の話だ。
あいつを引き摺り下ろすどころか、同じ土俵にも上がれない日々が続いていた頃の苦い記憶。
憎いあいつの面をもう長い間、画面越しにしか見ていなかった。それでも俺は、こんな不快なもの心底見たくないなとは思いつつも、いつの日かあいつを倒すため、食らいつくようにして奴の栄光を報じるテレビの画面を見続けていた。
ある時、ふと気付いた。
あの時俺を映さなかった瞳が、間違いなく誰かひとりの姿を捉えている。
そのことに気付いた瞬間は、怒りで前が見えなくなった。人は強い怒りを感じると視界が真っ赤になるというのは本当なのだなと、他人事のように思った。俺を見なかったくせに。まだ誰にも負けていないくせに。それなのに、とうとうあいつの視界に入る者が現れたのか。俺よりも早く。
一体どこのどいつだ。場合によってはそいつから先に仕留めてやろうか。これは極めて腹立たしいことだが、あいつがその姿を視界に認めるというのは、相当のことだ。それなりの相手であろうことは間違いなかった。
果たして答えはすぐに出た。奴の視線を追っていれば、テレビ越しだろうが俺にはすぐにわかった。藤井の優勝した大会で2位だった男。
関西の期待と称される話題の美少年、若宮十流だ。
勿論俺も知っている。関西の選手とはいえ、噂はいやでも耳に入るし、テレビ番組で特集を組まれているのを見たこともある。なにしろあの見た目だ、撮れ高が高すぎる。しかも、インタビューの内容などを見ていても、驚くほどにそつが無い。どんな質問が来ようが、常にメディアの期待するような、それでいて大衆の好感度を上げるような最適解を打ち返している。
いや、絶対に裏があるだろあんなん。あんなやついねーよ。いねーよあんなやつ。テレビで見すぎて嫌いになるタイプの芸能人だなあ。芸能人じゃなくて、彼はスポーツ選手だけど。
というのが、当時の俺が抱いた若宮十流への印象だった。
俺は正直がっかりした。あんなわかりやすい、キャッチーな男があいつの好敵手候補の最有力なのか、と。結局見た目かよ、と。まさかとは思うが、顔だけで興味が出たんじゃないだろうな、と。
だってそうだろう。確かにすぐれた選手であることは疑いようがないが、どうしたって藤井とは現状、実力に差がある。そりゃ若宮十流は今の俺よりも強いだろう。でも、藤井ほどじゃない。ほかの選手と何が違うというのか。
面白くなかった。藤井がああいうタイプを視界に入れたことも、ああいうタイプを視界に入れる藤井は俺の想像する藤井像ではないことも、俺の藤井の見立てが誤っていたことも、でも若宮十流が今の俺より強いのは疑いようがない事実であることも。
俺は、ますます練習に打ち込むようになった。
次の大会には出られそうにないが、秋の大会には間に合うだろう。何としても間に合わせる。現状の力量差なら、そう易々と藤井が負けることもあるまい。俺が倒すまでは負けてくれるなよと、他力本願なことを思う。
まとめてぶっ倒してやる。若宮十流が藤井に勝つ前に、俺が必ずあいつを倒す。
藤井を最初に倒すのは若宮十流、お前じゃない。この俺だ。
結論から言おう。
その年の初夏、まさに『次の大会』で藤井翔馬を最初に倒したのは、若宮十流ではなかった。
もちろん俺でもなかった。
伏兵、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます