井谷八千代の傍観

 彼――若宮十流くんと、それほど深い交流があったわけではない。

 せいぜい何度かお茶をした程度だ。

 もちろん言うまでも無く、男女の感情があったわけでもない。これは本当に、言うまでも無いことだけれど。

 ただ、聞こえてくる噂と当人の振る舞いを見て、初めはなんとなく『私の嫌いなタイプの男だ』と思った。


 十流くんはたいそうなお家で、母親に厳しく育てられたらしい。

 へえ、そう。あなたには厳しく育ててくれるお母様がいたのね。なんてことを考えながら、さぞかし愛されて育ったのであろう、出来の良い端正な横顔を遠巻きに見る。いかにも育ちの良さそうな所作をこれ見よがしに身につけて、人をたらし込むのに長けていそうな微笑みを絶やさない、そんな男の子だった。男の子にしては少し線が細くて、でも頼りないというよりは、可憐な印象のほうが勝る。

 ただ、当初は鼻につくものを感じていたのだけれど、観察するうちに何か別の――気になるものを感じた。

 十流くんは、嘘をつくのがとても上手そうだった。

 もし十流くんが女の子だったら、私も好きになっていたかもしれない。顔の良い女は大好きだもの。

 孤独を抱えていそうな女はもっと好き。

 まあ、でも、女の子じゃなくても、彼が私と同じ嘘つきなら、きっと良いお友達にはなれるでしょうね。

 そう思っていた。


「僕、八千代やちよさんとは良いお友達になれる気がするわ」

 私達の競技で、男女で路線が被ることはあまり無い。

 でも年末のとある大会では、たまたま彼らと話す機会があった。

 十流くんが関西出身なのは知っていたけれど、関西の方言を話しているのは初めて聞いた。メディア露出の際は徹底して標準語を話していたから、てっきり日常生活でも使わないようにしているのだと思っていた。

 誰とでも明るく接する人たらしな一方で、そのくせ深くは関わらせないような、見えない壁を作るタイプ――私は彼のことをそう分析していた。ところが口を開くと存外、柔和な印象を与える。あるいはそれも計算して、言葉遣いを変えているのだろう。よくよく聞いてみると、彼の用いる関西弁は、不自然に聞こえない程度にあらゆる地方のことばを上澄みだけ掬ったような、耳障りの良い『よそ行き』のそれだった。

 それにしても、突然話しかけてくるなんて、どういう風の吹き回しだろう。

「……そうかしら。まあお友達ってことなら、私もそう思っていたけれどね」

 私が僅かに警戒したのを察してか、十流くんは綺麗な顔をくしゃりと崩して、両手を身体の前でひらひらとはためかせた。

「ああ、ごめんなさい。ナンパとかと違うよ。八千代さん、僕らみたいなのからのそういうの、大嫌いやろ」

 少し、驚いた。動揺したのを悟られただろうか。

 言葉だけ見ればそれこそナンパそのものの会話だったが、彼には私の本質を見透かされているような気がした。僕らみたいなのから。そういうの大嫌い。どういうのが大嫌いだというのだろう。

「僕もそういうの嫌いやから」

 十流くんの細めた目がわずかに揺らいだ。

 なんとなく、直感的に気付いた。

 やっぱり彼は、日常的に嘘をついている。それが呼吸をするよりも容易いことになってしまっている。彼は私と同じではないみたいだけれど、この世界の大多数ともたぶん同じじゃない。ひょっとすると私より、もっと理解されにくい。この目はそういう世界を見ている。

「……なるほどね。あなたに少し興味が湧いたわ」

「良かったあー。それは光栄です。やっぱり僕の直感、間違ってなかったみたいやねえ」

 私の納得を鋭く察知したのか、十流くんから微かに安堵の気配が漂う。

 私が勝手に少ない情報で彼を分析していたように、彼も私の本質を、少ない情報から見抜いていたらしい。相手によっては極めて気色の悪いことだけど、今回はお互い様だ。それ以上に彼の世渡りの技術に因るところが大きいだろう、まったくといって不快感は覚えなかった。

「若宮十流くん。良かったら、今度お茶でもしましょうか。まあ、同世代の女とデートなんかして、妙な噂が立つと困るのはあなたの方でしょうけれどね」

 髪を指先で遊ばせながら誘いをかけると、十流くんは肩をすくめて見せた。

「とんでもない。僕みたいな無冠が、女王様に妙な噂立てるわけにはいかへんよ。まあでも、人目を避けて行動するんは僕得意やから。八千代さんさえ良ければ是非。ええお店なら、いくつか知ってるから」

 本当に傍から聞いたらデートの誘いにしか思えない会話ね。そう思ったらなんだかおかしかった。

 まさか自分が、男の子相手にこんなに和やかに会話をする日が来るなんて。それも、この世で最も嫌いなタイプの、母親から愛されて育ったお坊ちゃんを相手に。


 私には既に、世界で一番大事なパートナーがいるけれど。

 もし十流くんが女の子だったら、私は間違いなくこの子を好きになってしまっていただろう。

 私がこの子を好きになったとしても、この子は決して私のことも、誰のことも好きにはならないのだろうけれど。

 そのことがただただ、心地良かった。


 彼――若宮十流くんと私は、それほど深い交流があったわけではない。

 せいぜい何度かお茶をして、あまり他の人には言えないような話をした程度の仲だ。

 たかだかその程度。

 彼はただの、私の大事な友達だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る