冠広斗の僥倖

 あの方はわたくしの神様です。

 見目の美しさはもはや私が語るまでもありません。呼吸をするだけで星が舞うようなやんごとなきお方です。

 なんと言ってもその在り方です。

 あの方は私にとっての救いでした。


 あの頃、私は挫折に身を砕かれそうでありました。

 母も兄も優秀な選手でした。私もまた、母のように、兄のようにと、彼らと同じタイトルを獲ることに躍起になっておりました。

 己が目指す夢を既に手中に収めた者が身内にいるというのは、なかなかくるしいものです。母も兄もやさしい人でありましたから、けして私になにかを強制したり、重圧をかけたり、逆に見捨てて突き放したり、そういったことはしませんでした。だからこそ焦りました。怪我で棒に振った貴重な子ども時代がつらく、自身の存在意義をはかなんだりもいたしました。


 そんな時にあの方を見たのです。

 あの方もまた、きわめて優秀な祖母と母を持つ名門の一家のお生まれでした。

 背負った家名と世間様からの注目、あの華奢な肩にかかっていた重圧は、私のちっぽけな挫折などとは比べものにならないものだったでしょう。

 そしてあの方もまた、ご家族と同じタイトルを欲して闘っておられました。

 なんとも畏れ多いことですが、罪深いことですが、私はあの方のお姿に、自身を投影してしまったのです。

 私もあのようになれたらどれほどよかったでしょう。燦然とかがやく綺羅星のような、見る者を強烈に惹き付ける光になれたらどれほどよかったでしょう。

 身を焦がすほどの憧れとはこのことかと思いました。母にも兄にも、これほどまでの感情を、情熱をいだいたことはありません。


 そうして、これもまた畏れ多く、罪深く、悍ましささえ感じることでありますが、私はあの方の隣に立ちたいと思ってしまったのです。

 あの方の隣に並べるような選手でありたい。あの瞳に映りたい。視界の片隅で良い、そこに居られる私でありたいと。

 立ち止まってなどいられないのだと、私はその時我に返ったのだと思います。

 そうしてあの方に追いつくために、再び走り出すことができたのです。


 だからあの方は、あの日からずっと、私の神様なのです。

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