第三話 夢の国への入口
母さんの夢と希望を叶えるために、次の晴れた日を迎えると、八ヶ岳高原にもう一度向かった。それはきっと私が寄り添える彼女の最後の旅になるのだろう。私はどんな困難が生じても、幸せな思い出を作ってやりたかった。
まず、ホスピスに立ち寄って母親を車に乗せた。もえぎの里は桃色の花が満開になっており、甘い香りが鼻をくすぐる夢のような世界が広がっていた。青い空にはふわふわの綿雲が浮かんで、風に吹かれてゆっくりと動いていた。のどかな雲の流れに従って、母さんの昔話を聞きながら、心の故郷、夢の国を探した。
今日は、私の夫や娘も一緒だった。急な山道のアップダウンが続き、危ないカーブもあったけど、彼の運転は上手で安心して景色を楽しめた。娘の
目的地となる「清里桃源郷」に近づくと、突然に娘が目を覚ました。彼女は、水筒のお茶には見向きもせず、「ママ、私の大好きなジュースが飲みたい」とわがままを言いだした。彼女はファンタグレープが好きだった。日ごろから、幼子ながら娘の好き嫌いには困っていた。
「もう、本当に身勝手なんだから」
私は娘の顔を振り返って、思わずつぶやいた。駅にはそんな気持ちを知らずに、ディーゼルカーがひっそりと停まっていた。私は皆を車に残して、自動販売機を探すほかなかった。
しかし、周りは昔の賑やかさが消え去ったかのように、人の気配がまったくなかった。木造の駅舎に入ると、ほこりにまみれた時刻表が目に飛び込んできた。一時間半に一本しか来ない列車の時刻が書かれていた。まるで、ゴーストタウンに取り残されたような寂しい無人駅だった。
駅前のメインストリートには、レンガ風の石畳が敷き詰められていた。ティーポットの喫茶店やお城のようなレストラン、そして赤い屋根のジェラート屋など、カラフルで変わった建物が並んでいた。
ところが、どこも閉ざされていた。明かりも灯っていなかった。交番にも人の気配がなかった。たまに車が通り過ぎるだけで、バブルの時代に時計が止まったかのような、ゴーストが出そうなメルヘンの街だった。こんなところが、母さんが言う心の故郷、夢の国 なのだろうか……。
もし「もえぎの里」が光の世界ならば、桃源郷の駅周辺は闇の世界だった。それとも、私は魔界の夢に囚われているのだろうか。一瞬、不安に駆られた。娘の好きな缶ジュースを自動販売機で見つけると、急いで車に戻った。
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