第8話
私の友人にはLGBTQの方々が結構いらっしゃる。友人と呼んで良いのか分からないくらい歳が離れているが、私が二十代の頃から可愛がって下さっている大切な方々だ。
初めてお会いしたのは従姉妹の知り合いだったその方々の所に従姉妹が連れて行ってくれたのがキッカケだった。その頃の私の精神状態は最悪だった。
家族にすら心を閉ざして家に引きこもり自傷行為などを繰り返していた。誰とも口を聞かず、何も食べようとはせず、寝ようともしない。そんな私を見かねた従姉妹が気晴らしにとその方々に会わせてくれた。
その頃はLGBTQなどという言葉は無かった。オネエさんやオニイさんと言う言葉だった。でもその方々は素晴らしい方々だった。心身共に傷ついた私に親身になって寄り添ってくれた。話を聞いては抱きしめて下さり「辛かったね」「偉いね」と言って下さった。
私はその方々に救われた。そもそも私にはその方々に対する嫌悪感や拒否感、忌避感は全く無かった。
「そういう人達なんだ」と自然に受け入れた。その方々が私を何も言わずに受け入れてくれたのと同じように私もその方々をLGBTQという型に当てはめずその方々一人一人をそのまま受け入れた。
今はそんなに会えないけど、しょっちゅう電話やメールで連絡を取り合っている。私はその方々を「お姉ちゃん」「お兄ちゃん」と慕っている。
その方々の中にはカップルもいる。同棲していらっしゃってラブラブだ。時には喧嘩もするけれどお互いがそれぞれ必要だと分かっていらっしゃる。
その方々に久しぶりに会った時こんな事を聞いてみた。
「世の中LGBTQって言葉が認知されたけど何か変化はあった?」と。
その方々は口を揃えて「何も変わらない」と答えた。「認知度は上がったけど、それだけ。差別や偏見は相変わらずあるし、むしろ認知された事で余計に差別や偏見、心無い言葉を平気で言う人達が増えた気がする」
そしてその方々はみんな「関係ない人達が多様性って言葉を使うのが腹立たしい」とおっしゃった。
自分には関係ないと思っている人達の言う多様性って本当の多様性ではないと。ただの便利な言葉として使っている。本当のLGBTQの方々は多様性など関係ないとおっしゃっていた。
その方々は別にLGBTQと公言している訳ではない。かと言って隠している訳でもない。出会った頃と変わらない。
でもLGBTQという型にはめられて窮屈だとおっしゃっていた。LGBTQと分類された事で今まで無かった差別や偏見、心無い言葉に晒される事が増えたと。
私だってそうだ。解離性同一性障害というモノを抱えてから様々な差別や偏見、心無い言葉に晒されているがその障害が認知されればされるほど新たな差別や偏見、心無い言葉が増えている。
その方々は自分に正直に生きているだけだ。好きな人と一緒にいたい、好きな人がいるだけだ。
その方々を見ていると幸せそうだ。何も隠す訳でもなく後ろめたいと思う事もなく自分が自分である事を楽しんでいらっしゃる。
その方々と接していると、世の中の言う多様性やLGBTQという言葉自体に疑問を持ってしまう。
何でもかんでも多様性、LGBTQという言葉に当てはめて良いのか、乱用して良いのかと…。
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