第2話 これが俺らの日常

「ただまー」


 家の玄関を開け、それと同時に帰りの報告をしたが、誰も返事はしてくれない。

 まあ、この時間帯だと俺以外の家族は全員予定があるため、帰宅部の俺が一番早く着く。

 何とも寂しい空間だとため息をつきながら、俺は2階への階段を登る。

 はあ、今日は疲れたし、即行でベッドにダイブしよう……。

 そう思いながら階段を登り切り、廊下を歩いていると、突如として俺の部屋の扉が開いた。

 そしてそこから何かが飛び出してきた!


「ぎゃああ!オバケー!」

「……いや、誰がオバケですか」


 ふと、女性の声が聞こえ、恐怖のあまりにしゃがみ込んで俯いた顔を上へと上げる。

 そこには、微かに幼さを残しながらも凛とした顔立ちをした黒髪の少女がいた。


「何だ、美波か……」

「悪かったですね、彼女さんじゃなくて私で」

「いやいや、そう言う意味じゃ無いし……」

「じゃあ、どう言う意味ですか?」

「ちっ、面倒くさいな……」

「もうちょっと小さな声で言っていただけると嬉しいです」


 この生意気な女子は雪白美波。

 俺の幼馴染で一つ下の高校一年生だ。

 高校一年といっても同じ学校ではなく、少々偏差値が高めの女子校に通っている。

 最初は俺と同じ高校に行こうとしていたのだが、俺の高校は進学校でかなり偏差値の高い高校だったため、美波の頭じゃ無理だった。

 ……あれ?今、不思議に思ったけど、雛ってアレでウチの高校合格してるんだな。


「廉兄さん?どうしたんですか?ぼーっとして」

「ん?ああ、ごめん。少し考え事をな」

「……彼女さんのことですか?」

「え?まあ……」


 雛がどうやったらあの残念な頭でウチの高校に合格できたのかを考えてました。はい。

 俺がそう言うと、美波はふんだとそっぽを向いた。

 え?何で?


「ちょ、美波……」

「……廉兄さんはいつも自分の彼女のことばっかり」

「ごめんて」

「謝っても許してあげませんからね!」


 じゃあ、どうすればいいんだよと言おうとしたが、それはやめた。

 何故なら、また怒られてしまうんじゃないかと思ったからである。

 どうせアレだろ?あなたの惚気話には飽き飽きしましたってことだろ?

 けど、最初に彼女の話を持ち出したのは美波だから、俺は悪く無いはず。多分。絶対。

 まあ、このまま美波の機嫌が良く無いのもいけないので、謝ってはおこう。


「ごめんって、美波。俺が悪かった」

「……ホントにそう思うなら、一つ私の言うことを聞いて下さい」

「何だ?」


 俺がそう聞くと、美波は少し緊張したかのような表情を俺に見せた。


「……今週末、私とデートしてください」

「……?別にいいが、雛も一緒だからな」

「ダメです。キャンセルしてください」

「いや、無理だよ。レストランじゃあるまいし」

「大丈夫です!急用ができたと言えばいいんです!」

「おい、それ、ドタキャンじゃねえか」


 大丈夫じゃねえよ。怒られ路線まっしぐらだよ。

 先週のデートをドタキャンしてしまい、次の日に学校で放課後軽く1時間は叱られた。

 雛はそういうのは本当に嫌いなタイプだし、これは自業自得だと分かっている。

 だからこそ、もう二度とああいうことはしないと心に決めているのだ。


「ダメ、ですか……?」

「そんな上目遣いしてもダメ。雛と一緒っていう条件が呑めないなら、この話はナシだ」

「う……」


 流石にここまで言われれば、美波もどうしようもないだろう。

 ま、せいぜい悩むがいいさ。

 どうせ行かないって言うんだろうけど。

 そう思いながら返答を待っていると……。


「……分かりました。行きます」

「そうか、じゃあ俺は雛と……え?」


 一瞬、なんて言われているのかが理解できなかった。

 え?ん?は?お?……………え?


「…………念の為もう一回言ってもらっていいですか?」

「……?週末、廉兄さん達と一緒にデートしに行くと言ったんです」


 ………………あっれえ?

 美波なら絶対に渋って断ると思ったのに。

 いやいや、一旦落ち着こうか。

 俺は一旦、頭の中を整理してクリーンにしつつ、再び美波に問いかけた。


「美波。どうして一緒に行く気になったんだ?」

「…………答える義理はありません」


 そう言ってプイッと頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。

 これは、これ以上話しかけるなというサインだ。

 こうなっては意地でも口を開かないだろう。

 俺はこれ以上言及するのをやめ、美波を部屋から追い出して、部屋で着替えるのだった。


♢♢♢♢♢♢


 俺が着替え終えて一階へ向かうと、何とも美味しそうな香りがキッチンから漂ってきた。

 その香りに引っ張られるようにキッチンの方へ行くと、美波がエプロン姿でコンロの前に立っていた。

 これは男子達にとっては理想的なシチュエーションかもしれないが、俺は当たり前になった光景だ。

 そう、何を隠そう、美波はウチに住んでいる。

 美波の両親が今年の受験シーズン終盤で遠くに引っ越すことが決まってしまい、進路を決めていた美波は急に希望を変えられるはずもなく、そのまま合格して、引っ越しは両親だけでして、家に女の子一人じゃ不安だろうとのことで、ウチが預かっているのだ。


「いい匂いだな。今晩は肉じゃがか?」

「あ、廉兄さん。ええ、肉じゃがをはじめとした和食にしようかと思っています」

「ホントに、何でも作れるよな、お前は」

「おばさまに比べればまだまだですが……」

「いや、母さんはプロだからしょうがないし、それでも十分すごいよ」


 そう褒めると、美波は頬を少し赤く染め、「そうですか……」と少し嬉しそうに微笑んだ。

 かわいいなあ。雛とは違い、美波はなんかこう、小動物っぽいっていうか、保護欲が湧くと言った方がいいかもしれない。

 根は真面目で努力家。そして時々見せるドジっ子がとても可愛らしくて、余計に守ってやりたくなる。

 そういえば昔、お隣さんが飼っていた子犬を鑑賞していた美波が、子犬に吠えられて、ビックリしたのか、俺に泣きついてきたっけ。懐かしいなあ……。


「廉兄さん?どうかしたんですか?」

「ああ、何でも無い」


 俺が昔のことを思い出して耽っていると、美波が不思議そうにコテンと小首を傾げてそう聞いてくる。

 慌てて返したが、誤魔化しているように見えたのだろう。怪しそうな目をされた。


「廉兄さん……!」

「えっと〜ですね……!」


 言えない!美波がドジ踏んでいた瞬間を思い出していたとは言えない!

 何か……、何か別の話題は……そうだ!


「……そういえば美波。エプロン、そろそろ変えたらどうだ?」

「え?別にまだまだ着れますけど……」


 よしっ!話題転換成功!


「いや、そういうのじゃなくて、もっと生地の良いエプロンの方がいいんじゃないかなって思ったんだ」

「成程……。一理あります」

「だろ?もし買いたいんだったら今週末のデートの時にな?」

「そうですね。週末のデートの時に一緒に買いに行きましょうね?」

「無論だ」

「ふふっ」


 口元を隠して上品に笑う美波に釣られて、俺も笑う。

 これが俺らの関係。

 どちらかが楽しければ、もう一人も楽しいし、どちらかが悲しければもう一人も悲しい。

 俺ら二人は昔からこんな関係だ。

 中学の頃は良く勘違いされて付き合っていると噂されたが、そんな事はない。

 美波と俺は、大切な幼馴染であり、そう言った目で見ることはまず無いのだから。


「さて、廉兄さん。ご飯ができるまでまだ時間があるので、適当にゆっくりしてください」

「そんな、悪いよ。手伝うから」

「いいですよ。私一人でも十分出来ます」

「そんなことはないぞ?人数が多い方が早く終わるし、何より……」

「何より?」

「…………母さんに『また、美波ちゃんに頼り切って!少しは手伝いなさい!』って昨日、怒られたばっかりなんだ。手伝わせてくれ」

「八割保身に走ってるじゃないですか。それ」

「で、ダメなの?」

「……………じゃあ、そっちに置いてある豆腐、適切な大きさに切ってください。味噌汁に入れます」

「あいよ」


 そう短く返事をして、豆腐が置かれている場所の前に立った瞬間。


「ただいまー」


 と、玄関の方から父さんの声が聞こえてきた。

 そして俺らは口を揃えて。


「「おかえりなさい!」」


 と、キッチンから返事をした。

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