第5話 半同居生活が続く

「それでは次の回でまたお会いしましょう。ここまでの相手は……」


 テレビで、二、三年ほど前のバラエティー番組が流れている。

 スクリーンの下には中国語の字幕が日本語を覆い隠し、右上も奇妙なアイコンが飾っており、元のチャンネルが何であるかが見えない。

 とても気に障るが、一方で、海を越えて人気があることには感心している。夜のゴールデンタイムを占めているなんてすごいもん。


 日本のものが観たい。ただそれだけで、別に好きで見ているわけでもない。

 あいにく、これは面白いぞって思い始めたところ、番組は終わってCMに入った。

 リモコン持ち上げて電源を切る。

 気がさらに沈んでいる。


 退院して今日から二週目に突入し、ここの生活に少しずつ慣れてきて、買い物や炊事も自分でできるようになっている。食材さえ揃えば自炊はできるほうだし、漢字もあるし、それを自慢しちゃってもなんか虚しいが。

 いつも夜遅くまで帰宅し、朝早く出勤することが多いせいで、お母さんと一緒に食事をする機会はほとんどない。もちろん、私がずっと部屋にこもっているのも一因だが、向こうも積極的に構ってこないのが現状だ。


 時計を見ると、短針が六を指し、放課後という時間帯から約二時間ちょっと。

 学校があるから、休日以外は大抵この時間に翔が訪れる。

 この一か月本当に世話になった。

 熱心に中国語を教わったし、何しろ、距離を守りつつ話し相手までしてくれたお陰で、本の少しだけ立ち直った気がする。


 数週前にもらったカードを手にし、指先でいじる。

 最低限の個人情報、だっけ?せっかく時間ができたから、むしろ暇すぎたから、いま書くとしよっか。

 どうしてそこまで知ろうとしてくれた?彼にとって今の私はもう希美ではないはずだ。

 こちらからは全く報われないのに、それでも優しくしてくれるなんて、気分がもやもやする。


 一応学籍や好きなもの、趣味など基本のものを書いてみるか。

 そう思いながらも、一度動かし始めると手が止まれなくなった。最初はどこまで書けばいいか苦悩したんだけれど、スムースに筆が乗って助かった。

 そろそろ仕上げようと思った矢先に、ドアベルが鳴った。

 念のためカメラを確認してから、扉を開け、外にはすでに制服姿の男が待っていた。


「こんばんは。」

「こんばんは、そこに突っ立ってないで上がれよ。」

「じゃお邪魔します。教科書持ってきたよ。」

「おっ、それは結構。」


 男は翔だ。上のボタンを外している。今日の最高気温は三十五以上って今朝の天気予報が載ってた。風邪をひかせないように冷房の温度上げよう。


「お水で大丈夫?」

「あぁ、サンキュ。」


 学校帰りでくたくたになった翔はソファーにドスンと座り、机にある紙切りを手に取る。そこに書いたのは、恥ずかしながら、かつての私、野村磨奈に関する情報だ。


「これは?」

「名刺、個人情報欲しかっただろう。覚えていることを全て書いてたつもりだよ。ちゃんと、真面目に読んでね。」

「神戸出身、元高校二年生か、へぇ、この学校名門じゃん。」

「知ってる?」

「一応元々は留学志望。」

「高校留学?普通は大学でしょ?ってことは落ちた?」

「まぁね。」


 そうか、どうりで日本語がうまいわけだ。

 釈然としない顔ね。


「なによその顔?」

「あの時は同い年って言っただろう。何でそんな嘘つくの。」

「先輩面したくないし、別にいいでしょ。」

「最初に会った時から思ってた、てっきり年下だとよ。まさか普通に先輩だなんて意外。」

「何でだよ。」

「いや、日本の学期は三つあるじゃん、同い年でも学年は違う場合もあるでしょ。って、こっちの学制にもとづいて俺たちは同期だ。」

「確かに、一学期は九月からか......」

「学校も、絶対女子校って感じがしてたな。結局共学校か、設定が中途半端過ぎない?」

「何が言いたいのかわからないが、どうしてそんなに設定に拘るの?」

「だって二次元の美少女ってそういう設定が多いじゃん。」

「どこが二次元よ、外見から丸っきり君のかわいい彼女さんだろう。そもそも元の顔は見せたことないし。」


 やっぱり私たち二人は馬が合わないと痛感する。

 会話の空白を埋めるために、テレビをつけ直し、適当に何かのスポーツがやってるチャンネルに回す。すると、考える間を置いて翔がぼそっとつぶやいた。


「そういう風に見えたから。」

「どういう風に見えたのよ?」


 ほんと変な人。会話から得る安心感もきっと嘘な感情だろう。


「そうだ、晩御飯は済んだ?から揚げ買ったけど要る?」


 そう言いつつ、翔はから揚げの入ったレジ袋を高く持ち上げた。

 さっきから胡椒の匂いがすごいと思ってたが、犯人はお前か。

 これはしえんすうじいと名を持つ台湾人気のB級グルメだと、後で知ったことである。


「もう摂ったから要らない。」


 いかん、誘惑に乗るところだった。


「ならドリンクは?いまから注文するけど。」

「ん……んん……じゃタピオカミルクティー。」

「好きだね、タピオカ。ほかの茶類もコンビネーションもいっぱいあるのに、どうだ?次試してみて損はないよ。」

「いいよ、シンプルな味でも十分美味しいと思う。」

「そんじゃ確認押しちゃうぞ。気が変わっても承知しないよ。」

「煩い。」


 そんな冗談めかした口調で言う翔が、すぐに破顔して笑い洩らした。一方、素早くスマホを操作する彼の手は止まることなく、てきぱきと二人前のドリンクを注文できた。


「完全にタピオカの虜になったね。でも、あまり飲みすぎると虫歯になっちゃうから、歯をきちんと磨くように。」

「ウルサイ!」


 今度は含み笑いをしながら視線を紙片に戻し、わざとらしい考え振りで顎に手を当てる。


「いやぁ、友達作りって特技なのかな?」

「いちいちしつこいな、面接官か?」

「だってこういう質問ための名刺でしょ。」

「それもそうだけど、あんたその聞き方……まぁいいわ。友達作りって言うより、人を読む力?センス?そのへんのことが得意んだ。」

「クラスに仲間がいっぱいいるってことだね。いいよな。羨ましいわ。」

「えっ、なに。君、ぼっちなの?」

「似たもんだ。」

「そ……そなんだ。お気の毒に。」


 察しが悪い性格だから、予想はしてた。私にできることはない。

 しかし、私たちはクラスメート。復帰最初の数日はなるべく係わらないようにしておこ。


「悪い、俺みたいなつまらない男と話したくないだろう。早く他の友達出来たらいいね。」

「そこまでは言ってないよ。そんな簡単に挫折しないで。ほら、教えてくれた中国語ちゃんと覚えているよ。その……そう!『注音じゅういん』ってやつ。使い方については先生に教わらないと困るけど。」

「君、そつがないから、きっと俺がいなくてもすぐ上達するよ。」

「卒業みたいなスピーチはやめて、まだ始まったばかりだぞ。」

「あっ、さっそく短信来た。ちょっとデリバリーを取りに行ってくる。」

「話聞いて……」


 結局その後は食欲に負けて塩酥鶏を半分もらってしまった。

 絶対太る。


 

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