第3話 二人目のお母さん
いつかは田舎で畑仕事のかたわら、のんびりとスローライフを楽しみたい。
そんな生活に憧れていた。時間がとにかく足りないゼット世代の一員として、ただの夢物語に過ぎないかもしれんが、無事にお婆ちゃんの歳になれたらまたじっくり考えてみようと、頭の隅に一旦その発想を置いた。
実際、小学生レベルの農業知識では、うまくものを育てられる自信も腕もないわけだが。
そんな夢が、突然叶ってしまった。
翔を通して、担当医に「お散歩したい」と伝えたところ、「じゃ、中庭で水やりでもしてこいよ」なんと命じられた。
私が?患者なのに?と、おろおろしてタイミング逃し、確認しようとする前にあの医者は次の患者さんのところへ行った。
唐突過ぎた頼みに反応できなかった、というより実は言葉をうまく理解しなかっただけ。
その医者は典型的おっさんタイプだ。言ってるまま信じられるかどうかは怪しい。そこは断言できる。
言葉が伝わらない中で、その辺のユーモアを判別するのがすごく難しい。いくら言動から推定しようとも限界がある。にもかかわらず、労働を昏睡状態から回復したばかりの女の子に押し付けるなんてあんまりだと思うが。
翔のほうに目をやると、彼も両手挙げて肩を竦め、「どうする?」って顔だ。
目覚めてから今日までもう三週が経ち、何度も話し合いを重ねて方針が定まった。
設定によって、私は記憶喪失になった子であり、自由に発言することも、言葉に反応することも禁じられている。すべての判断はその場で翔が行い、彼が選択肢を作って私に告げる、という流れに従うのだ
「お前は役を演じないとダメだ」とも言われた。
確かに、内面は日本人だとばれたらいろいろ面倒だし、きちんと隠したい秘密だ。
記憶喪失ではあるが、知能まで失ったわけではない。つまり、とれだけの知能をキープしているかはまだ決めていない。分相応な行動なら許されるだろうと思う。
せっかくのチャンスを見捨てたくないし、久々に日光も浴びたい。そう思いながら、病室を出ることにした。
許可は既にもらっているし、言い分もある。
***
「きれいだな。」
外はとても暑い。
門を出ると人工物が徐々に減り、木々の緑が増えていく。見頃だろうか、既に満開の花があちこちに咲いている。
この景色見たら、自然とヨーロッパのガーデンが目に浮かぶ。そんな庭園がいくつ造られている。
仕事は簡単だ。散水ホース構って狙うだけでいい。一度やってみれば案外楽だし。妙なことに、疑いの目でこっちを見る奴はいても、止めに来る奴がいない。
問題は、広すぎた範囲と、この暑さ。今のままじゃ日が暮れるまでやり切れる保証はない。
観光兼ねて見て回れるかと思いきや、ぶらぶらする時間が全部台無しになった。まるで休暇を取ろうとする際に残業の知らせを受けた会社員のようだ。もっとも、気まぐれで提案に乗った私が悪いのは事実だが。
「もう終わった?」
「んん、まだ半分ばかり残っている。」
話しながら近づける翔の服装は、黒づくめのTシャツとジーパン。昨日と全く同じ。シンプルと言うか、適当な私服姿で、デザインまで同じような気がする。もしかすると着替えてないかもしれん。
私の心配を他所に、翔は会話を続ける。
「残りはやらなくでもいいよ。一応先生に確認した。あれはただの冗談だ。」
「だよね。」
「知ってた。」
「まっ、薄々気づいたんだけどね。知った上で受けたの。君こそ母国語なのになぜ聞き分けられない?あっ。これ、意外とチルいよ、やってみ……うっ!」
近寄ると、汗の匂いが鼻に侵入してきて、無意識に鼻をつまんで一歩引いてしまった。体の反射とは言え、それはとても失礼な真似だとすぐ気付いた。
「俺は遠慮するよ、普段やってることだし。」
なのに向こうは気づいてない!
「へぇ、そうなの?園芸ができるなんて金持ちじゃん。」
「いや、学校で、園芸好きな先生がいてさ、手伝いすると点数稼げるからやってた。」
「点数?あぁ、そゆことね。」
さっきまでは鈍感な人だと思っていたが、実はすごく小細工する人だったりとか?
好印象をつけるようなことで便宜を図るなど他の生徒に対して不公平だ。その教師もどうかしてる。
「そこは許してほしい。さもないと中間テストはさすかにやばいって。」
「そんなに厳しいか?高校の授業は。」
「中学の時と大違いだ。初心者がいきなりラスボスを挑むように厳しくてついてらんないよ。お前も高校生なら分かるでしょ。」
「分からない、いつも赤点取らないし。勉強しろよ、勉強を!」
「くそっ、これだから優等生は……話しが通じねぇ。」
仕方なく長いため息をついて、蛇口を閉める。
「場所変えよ。人が少ないものの公の場所、へらへら喋ったら余計に目を引くし。」
「それもそうだね。」
私が後につく形で、二人は移動し始める。
影の範囲から離れると、熱い太陽の温もりが一気に染みてきた。
ここら辺にあるすべての施設は、大手企業に属する不動産だけあって、敷地は道に迷うほど広い。一周するだけで半日かかりそう。
てくてくと、歩く二十分。
「……えぇ、もう帰る気?」
「仕方ないだろ……気温ガチで死ぬわ。」
うろうろして、結局病室へ向かうことになった。最初はどこか穴場でも探したかったが、ビルドの外は冷房がないしさすがに暑すぎた。
「あのさ。」
「なんだ?」
「これからどうするつもり?」
「どうするって、どうもしないさ。」
「それ、このままでいいって解釈してよろしい?」
「そっちは?」
「色々考えて、しばらく彼女の振りをしても構わないと、思い直して決めた。」
「振り、ね。」
「そう、あくまで振りだ。」
傷をえぐる話題はしたくないが、これからを大きく影響しかねないし、これを機に区切るべきだ。
「だが、条件がある。体の接触は一切禁止、無論手をつなぐのもダメ。」
「当たり前だ。俺は女なら誰でもいいほど猿ではない。」
「ならいいげと、破ったら必ず通報するから。」
「警察にちゃんと説明できるか?」
「号泣してお母さんに告げ口する。」
「それは困るな。」
「代わりに、約束を守ればできるだけ協力しようと思う。」
「それは助かる。」
記憶喪失、ね。よく考えたら記憶を失った以上、恋人ごっこする意味なくね?
いや、家族と友人を安心させるためにも初めはこうするほかない。
「ところで今日、お母さんがくる日んじゃないの?」
「ええ。午後の4時だからまだ時間が――」
「あっ」
「あっ」
二人分のおどろきが重なる。
角に回り込むと、昇降口で人とばったり出くわした。
年齢は、四十代の女性。
一見若くて美しいが、本当は厚い化粧でしわを隠している。ナース服を着ていない、さては希美の母か。よく見たら前に見せた写真と似た部分あるし。
声を抑えていたつもりだったが、まずいな。いっそ最後までとぼけよっか?階段を上れば、三階の病室はそれほど遠くない、ダッシュっで行く?いや無理か、余計怪しくなってしまう。
睨み合いっこがひとしきり続いたのち、翔が先に沈黙を破る。
「──────」
「────」
交わした話の内容は、中国語。
「────」
「─────」
気になるけど、口を挟むわけにはいかない。
「──────」
「────、────」
対談は、長く続く。
「─────」
「───」
なんか鍵っぽいものを預けた。細かいところは見逃したが、少なくとも、動きからしてそう見える。
「────?」
話を一段落にまとめた女性は、何故か哀れな目で私のほうを見て問いかけた。
なんというか、少しだけ距離を感じる。
軽く会釈だけ交わし、視線を翔のところに送る。
さすがに怪しいシーンだった。しかし、女性はコメントもせずに振り向いて階段を降り始めた。
その姿が完全に消えてから,おどおど口を開く。
「どうだった?」
「上手く誤魔化したからもう大丈夫……と言いたいどころだが、いつまでも騙し続けるわけにはいかないな。おばさんのほうも、ずっとあんな精神状態のままでは、こちらに気を配る余裕もいつかなくなる。」
宣言する翔が、先ほどもらった鍵を人差し指でぐるぐる回りつつ、苦笑いをした。
「あの人が、私の母……」
「若いでしょ?」
「どうだろう……普通かな。」
それから病室に着くまで、二人は無言で歩き続けた。
***
「ほら、携帯。」
翔の声に、ハッと気を取り戻す。
病室に戻ってからずっと何か企んでいるようで、理由はこれか。
手渡してきた薄い造形な機械は、どう見てもスマホだ。
会いたかったよ!
壊したらもったいないから、丁重に受け取る。
へぇ、青い素朴なデザイン、はじめて見たな。メーカーも、日本人が愛用するアイホンシリーズと違う。
「どうした?昨日あんなに楽しみにしてたのに。」
「いや、ちょっと、考えることが……」
さすがに失恋で落ち込んでいたなんて言えない。そんなことより早くスマホを操作してSNSの情報を一度目を通したい。
と思ったら、予想外のトラブルがが起こった。
反応しない。
スクリーンをタップしても、画面は暗いまま。
「直ったんじゃなかったのか?」
「そのはずだが、ちょっと貸して。」
翔はスマホをを受け取って、スラッと画面を無事に開いた。
「ほい。」
「そっか、指紋認証ではなく、側面に設置した物理ボタンだ。ちょっと古いデザインだな。さて、早速アプリをチェックしよっと。うぇ?」
今度は四桁のパスワードが要る、面倒くせぇ。でも指紋認証がないからまぁ当然か。
「君たちは、記念日をガチで祝うタイプ?」
「じゃないな、付き合ってから四か月も過ごしてないんだ。さすがに俺もロック番号は知らないな……告白の日ってよかったら、今年の五月七日だな。入力してみてどう?」
「へぇ、どっちから告白?」
「そんなのどうでもいいから。ほら。」
「はいはい。」
付き合いから四か月か、初々しいな。
ゼロ、ゴー、ゼロ、ナナっと……ダメだ。簡単には当たらないか。
「っじゃ次、ゼロ、ナナ、ニー、サン。」
ゼロ、ナナ……あ、これもダメか。
「これは?」
「俺の誕生日。」
「よくもそんなことが言えるね……ってお前のスマホもまさか……」
「俺のは図形だ。」
「ちっ、芸がないね。」
「基準変わってるぞ。」
改めてロック画面を見ると、希美と翔のツーショット写真がのっていた。
心が沈むと共に、他人のプライベートを覗くわくわくも感じる。
二人とも、自然かつ無垢な笑みを浮かべている。多分難しいだろう。カメラの前に出ると、いつも作りの笑みを出してしまう私にはきっとできない、とびきりの笑顔。
いつまでも見守ってほしいくらい幸せそうな表情。
そういえば広とツーショット写真、撮ったことないんだな。
「野村さん。」
「なに、改まって。」
「悪いが、これからは家まで邪魔することになる。」
「えっ?」
嫌だ。すごく嫌。
「と言っても午後の八時までな。おばさんがね、なんと言うか、よろしく~みたいな?」
「なにそれ、お母さんに売られてない?」
こいつ、隠そうともせずにやにやが顔に出てる。
「仕方ないんだ。おばさんに心配させたくない。」
「ちょっと、私への気配りは?」
「じゃどうすんだよ?俺がいない限り、応対はどうするつもり?まさかずっとボディランゲージでどうにかしようと思うのか?学校の授業はどうする?」
「そこは……気合でなんとか。」
ド正論過ぎてもはや返す言葉がない。
「明日から講義を始めよう。まずは発音の基礎からじっくりやらないと先に進まない。」
「その前にスマホのパスワード何とかして!」
「自分で何とかしろ、お前の携帯でしょ。」
「ずるい!」
その後いろんな組み合わせを入力したが、どれもダメで、スマホがロックオンなまま帰らせた。
窓を眺めると、ちょうど日が暮れかかっている。もうこんな時間。
新しい家族、か。
なんか想像以上の事態になった。
不安だ。今夜はいい睡眠を取れそうにない。
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