第7話 辿り着くまでの過程

「よく効くだろう? それでもかなり濃度を薄めてあるんだ。再生薬の一種だよ。壊れた細胞の再生を飛躍的に促す。それ以上濃いと、かえって君たち人族には毒になってしまう」

「これはあなたたちが作ったんですか?」

「私が作ったのもあるし、薬師がここに卸してくれたのもあるよ。魔術師が作ることもあるね。何も特別なものじゃない。ああ、名前を言ってなかったね。私はソティリア。君たち人族は私たち種族をエルフと称している」

 やはり人間は似たような価値観や思想を持つものなんだろうか。ではドラゴンや鳥人と勝手に認識しているのもやはり自分のような人間だけなのかもしれない。

 種族の違いはあれど、外見や能力が違うだけで何かに括るというのは固定概念か。

「さ、あんまり話が続くと外で待ってる面倒臭がりが君を置いて帰りそうだから、足の具合を見ようか」

 あの人の面倒臭がりは周知なのか。強くて美人は得であり損だな。

 優一は苦笑をしつつ、土まみれのズボンの裾をたくし上げた。

「うわ……」

 自分で見て引いてしまった。見事に内出血で腫れ上がっている。

「こいつは酷いな。もう少し強い薬を持ってこよう」

「すみません……」

「いいさ、これが仕事なんだ」

 ソティリアは再び薬箪笥に向かうと、あれでもないこれでもないと薬を探し始めた。

「君の国では、傷はすぐに治せないものという認識?」

 君……なんだかむず痒い呼ばれ方だ。見かけはかなり若く見えるが、もしかして彼女のほうが歳上か?

「どうしてそう思うんです?」

「最初の薬を使ったときに随分驚いていたから」

「あぁ……そうですね。掌を擦りむいたくらいなら、消毒をして、大きな絆創膏でも貼って、数日間はそのまま安静にして治るのを待つって感じですかね」

「そうか。君たち人族の治療はとても原始的だから、あまり触れる機会がなくてね。ん、これだこれだ」

 今度は軟膏でも入っていそうな容器を持ってきたソティリアが蓋を開ける。半透明の塗り薬らしきものがそこにある。

「適量取って、塗り込んで」

 優一はまた言われたとおりに薬を掬い取り、赤く腫れ上がっている膝に塗り込む。じんわりと温かい。

「立って」

「はい。……痛くない」

 こんなに即効性があるのか。見た目はまだ腫れているのに膝に感じていた内側からの痛みが全くない。

「そのうち腫れも引くと思う。もう反対もやるといい。渡りには安全に還ってほしいからね」

「そうさせてもらいます」

 軽い感動を覚えながら、優一はもう片方の膝にも同じく薬を塗り込んだ。よかった、これなら数日間筋肉痛に苦しむだけで済みそうだ。

「他に怪我は?」

「大丈夫です。鞄が駄目になったくらいで」

 優一は大きな爪痕が残っている鞄を掲げた。明るいところで改めて見ると、酷い有様だ。

「そっちは残念だけど専門外だな。他に怪我がなくて何よりだ。さ、これ以上はロゼを待たせないほうがいい」

「あ、あの、最後に一つ聞いてもいいですか?」

「ん?」

「ソティリアさんって、おいくつですか?」

「歳? いくつ数えたかな……ここじゃあ200年300年は割と当たり前だから、みんな気にしてないんだよ。あー、私は多分300を越えたくらいかな」

「なるほど……そうですよね」

「人族は寿命が100年ほどなんだってね。君くらいの見かけだとある程度生きているってことになるのかな。まぁ、あまり気にしなくていいよ。短命種族は他にもいるしね」

「あ、はい……」

 短命か……あっちじゃ人間は割と生きるほうなんだけどな……と優一は思うなりした。ということはもしかしてオルニスもロゼも見た目以上の年齢か?

 優一は途端に胸がざわつき始めた。

 ソティリアにお礼を言って医療施設を出た優一は、ロゼが窓から外の景色を眺めているのを見て、外見は本当に美人だなと思った。

 こちらに気づいてやっとかと言いたげな表情を見ると、側が良くても中身がなぁとなる。

「なんか失礼なこと考えてない?」

「いいえ全然まったく」



 どこを見ても都市は賑やかだ。行燈の光が連なる場所もあれば、洒落たレストランのような店もある。どこも多くの種族が行き交い、各々の人生を生きている。

 不思議な融合を遂げている異世界文化に優一はどうしても目移りした。これが日帰りの観光だったらもっと楽しめただろうに。

 先を行くロゼが小さな店に入った。せめて入るの一言が欲しい。

 優一は閉じかけた扉に急いで滑り込む。というのも、開こうとした扉が優一の力ではどうにも重いと感じたからだ。おそらく人間の力で開けられる想定で作られた扉ではないのだろう。危うく扉に挟まれるところだった。

 店内は飲食店のようだった。テーブル席がいくつかと、カウンター席が数席の、一般的な店の作りをしている。ただし天井も高ければ広さも日本とは段違いだが。

 ロゼが窓際のテーブル席に座った。一人用の席もあったが、二人用のテーブル席にロゼは座ったので、優一は恐る恐る向かいの席に腰掛ける。

「ようこそ、ロゼさん、渡りの方」

 店の奥からウェイターらしき男性がやってきた。傍に抱えていたメニューをロゼの前に差し出した。自分の前にも置かれたが、既に表紙に書かれている言語が読めない。

 ウェイターは去っていく。歩き方が少しぎこちない。機械的な動きをしている。

 ……アンドロイドか何かかもしれない。

 ロゼがメニューを開いたので、優一も読めないとはわかっていたが一応開いてみる。当然何がなんだか状態だ。せめて写真が載っていないか探してみたが、全てのページが言語のみで書かれていて、優一はメニューを静かに閉じる。

 ロゼと一瞬目が合う。馬鹿なの?と言いたそうな目をされた。あくまで優一がそう感じただけで、この世界の住人はきっとそんな日本的な意味合いを持つ単語は使わないだろう。

 少ししてロゼが「食べられないものは?」とメニューを見つめながら尋ねてきた。

「嫌いなものは特に……」

 言ってからここの世界の食べ物は自分が食せるものなんだろうかという素朴な疑問が過ぎる。

 しかしロゼはメニューから顔を上げると、一つため息を吐く。

「聞き方が悪かった。食べたらいけないものは?」

「?」

「渡りの中にたまにいるの。肉は食べたらいけないとか、豆しか駄目だとか。頼んでから言われると面倒だから」

「あぁ。宗教上の問題か……私はそういうのはまったく。気を遣っていただいてありがとうございます」

「……別にそういうわけじゃないけど」

 ロゼはメニューを閉じるとウェイターに向かって手を上げた。

 何を頼むのか気になったが、「ニュクス・テラス」という単語が聞き取れたのみで結局それすらも何なのかわからずじまいだ。

 会話のない時間が続く。気まずい。――と、思いの外早く料理がやってきた。体感三分程度しか経っていない。

「ニュクス・テラスのステーキ、ホワイトソースがけです」

 ウェイターが二人の前に料理を置いていく。温かい湯気と立ち昇ってくるホワイトソースの香りがなんとも食欲をそそった。

 ロゼが早々にナイフとフォークを掴み、ステーキを食べ始めた。食べ方まで何か違っていたらどうしようかと思っていたが、杞憂だったようだ。

 優一も怖々それを口に運ぶ。味は素直に美味しい。ただ何の肉かだけが気になる。

「……あのー」

「何」

「これ、何の肉ですかね」

 その問いにロゼは「夜の怪物」と答えた。

「夜の怪物?」

「ニュクスが夜。テラスが怪物を指してる」

「いや、そうじゃなくて」

「またの名を夜魔」

「……は?」

「夜魔」

「……」

 皿の上にフォークとナイフが落ちる。

 ――最っ悪だ。

 優一は一瞬にして食欲を失った。

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