第6話 不測の事態 1
「実はですね……」
オルニスは神妙な顔をし、口を開いた。
「ロゼさんがあなたを保護しに向かった丁度そのタイミングで、転送装置の緊急メンテナンスが入ってしまいまして……」
「丁度!? そのタイミングで!?」
「転送装置自体がかなり古いものでして、ここ何年かうまく作動しないことがあったりしていたものですから……。あなたの前に、本来であれば渡りが一人帰還予定だったんです。その時に転送装置を起動させたんですが、うまくいかなかったようで。それでこのタイミングでの緊急メンテナンスに」
「……そうなんですか」
すぐに帰れるものだと思っていただけに、優一の落胆は大きいものだった。そんな優一を見て慌ててオルニスが口を開く。
「あ! でもメンテナンスをしている技術者はとても優秀な方々ばかりですから! 明日にはすぐ使えるようになっていると思います! いろいろ不安かとは思いますけど、今夜だけの辛抱ですから!」
慌てるオルニスは自分よりずっと歳下に見えた。若人にこんな形で慰めさせるなんて、ますます自分が情けない。
帰れないものはどうしたって帰れないのだ。落ち込んでいるばかりでは仕方ないなと気持ちを切り替えて、ふと今夜という言葉が引っかかった。
「あの、今夜と言うと、私はどこにお世話になれば……?」
「あ、そうでしたね。この時間ですと宿泊施設の手続きが間に合わないので、えー……ロゼさんに面倒を見ていただくことになります」
「え」
「一応エージェントの契約には、渡りの保護と安全の確保が義務付けられていまして。特に渡りが身を守る術を持たない場合、原則外出は保護したエージェントの付き添いが必須なんです。つまり、今夜のあなたの身の安全はロゼさんが保障するということになります」
そうかだからか、優一は下でロゼが舌打ちをした理由を知った。
転送装置が使えないとわかった時点で、自分の保護が継続になる。面倒なことになったと思ったのだろう。
「わ、かりました……それが契約の義務なら、私にとやかく言う権利はないですね」
「ロゼさん、悪い人じゃないんですよ。なんだかんだ面倒見はいい人なんです。性格はちょっとあれですけど」
確かに性格はあれだが、優一が懸念しているのはそこではない。ロゼが身の安全を保障するということは、つまり。
「……つかぬことを伺うんですが」
「はい」
「私はもしかして、ロゼさんのご自宅にご厄介になると言うことですか……?」
「そうなっちゃいますね」
……やっぱりなぁ。
戻ってきた優一が落ち込んでいる姿を見て、ロゼは何度目かのため息を吐く。正直ため息を吐きたいのは優一も同じだった。
これが何の理由もなく、ただ単にロゼの家に厄介になるのであれば、普通であれば泣いて喜ぶべきなのだろう。ロゼは美人だし、オルニスの言うとおり悪い人ではないはずだ。そんな女性の家に一晩泊まるなんて、傍から見れば羨ましいの一言に尽きるだろう。
が、優一にとってロゼは自身を助けてくれた存在という以前に、顔色一つ変えず夜魔という生き物を追い払い、殺し、大の男を軽々抱きかかえてこの都市まで運んできた存在だ。
一歩間違えれば自分なんて一捻りだ。見た目は線の細い美女なのに、やっていることには残酷と無慈悲がついて回っている。
本当に無事に帰れるんだろうな……?
優一はますます不安に駆られながら、ロゼの傍に歩み寄った。
「あの……お世話になります」
「……面倒なことになったんだけど?」
と、ロゼは視線を優一のあとに続いてきたオルニスに向けた。
「そう言わずに。お仕事ですから」
ロゼからはとにかく面倒だという空気をひしひし感じる。あらゆる感情が一周して、優一はもう、歪に巻き込まれた自分が悪いのだなと思うことにした。そのほうが精神的に楽だというのもあったが。
このあとはどうするのか、優一が口を開きかけたとき、「もういい! また明日来るからな! その時までにどうにかしろ!」という怒号が聞こえてきた。
え、と視線を向けるまでもなく、ロゼと優一の間を狼の獣人が唸りながら通り抜けていった。あまりの勢いに、優一は風圧だけでよろめいてしまった。
「なんだ今の……」
「大丈夫ですか?」
オルニスが心配して支えてくれた。「大丈夫です」とは返しつつ、優一はなんだかもう気力が底を尽きて、ドッと疲れが押し寄せてくるのを感じた。
「あれ、手を怪我してますね」
「え、ああ……」
ここまでのことに驚くことが多すぎてすっかり忘れていた。山での下山中に足を滑らせ、擦りむいてしまったのだと伝えると、オルニスは「そのままはよくないですね」と続けた。
「ここの7階に医療設備があるので、ぜひ利用してください。交代制でドクターが常駐しているので、簡単な怪我であればすぐに治してもらえますから」
「そうなんですか。助かります」
「ロゼさん、ちゃんと連れていってあげてくださいね」
ロゼは何も返さなかったが、息をつくあたり、嫌々ながらも連れていってはもらえそうだ。
先ほど通り抜けていった獣人が何をあんなに怒っていたのか気になりつつも、優一はロゼの案内で7階の医療設備に向かうことになった。
「おや珍しい。人族の患者だね」
白く長い髪を一つにまとめ、落ち着いた雰囲気を持つ白衣を着た女性エルフがそこにいた。とても感じがよさそうな医師だ。気力疲れしている精神にこの人の雰囲気は心地がいい。
7階の医療施設は上の階と違い、随分と静かだった。
治療用だろう、簡易ベッドはいくつか設置されていたが、あとは医療器具や物資などが部屋を覆い尽くしており、入院患者らしき姿もない。
あまり会話を長引かせると、施設の外で待っているロゼに悪い気もしたが、こんな風に落ち着いて話ができる機会がもう来ないのではないかと思うと、やはり自然と口が開く。
「私のような患者は少ないんですか」
「ああ。人族は、ここではどの種族よりも力や体の作りが弱く、脆いからね。エージェント登録をしている数がとても少ないんだ。余程能力が何かに秀でているか、魔法や魔術が使えない限り、人族がここで暮らしていくのは勧められないね」
「確かに……そうですよね」
でも一応人間がいるにはいるんだなと話を聞いて思う。ただその様子では、自分のような普通の人間はいなさそうだ。
「それで? 怪我の具合を見ようか」
「あ、手を少し擦りむいて……可能であれば膝も。転んで打ち付けたのが結構痛くて」
ロゼがいた手前、平気な振りはしていたが、ここでそれをしても意味がないだろう。このまま何もせず、傷と明日以降にやってくるだろう筋肉痛を二つも同時に持って帰りたくはない。
「じゃあ、まずは手のほうを見せてもらえる?」
優一が擦りむいて、ところどころ赤く血が滲んでいる両手を見せると、エルフの医師は何か興味深げに頷いて、腰掛けていた椅子から立ち上がった。
彼女が向かった場所には薬箪笥が置かれていた。時々日本を連想させるなと、優一は上の階の様子も思い出す。
「人族は大変な体をしてると思うよ。少し転ぶだけで簡単に皮膚が傷ついてしまう」
どこだったかな、と彼女はいくつか蓋を開けている。
「……ああ、あった。人族用に作られている薬は限られていてね。他の種族に合わせた薬や術を使うと、どうにも強すぎるみたいなんだ」
そう言って一つの薬瓶を手に戻ってきた彼女は薬瓶の栓を抜いて、優一の掌に中身を数滴落とした。
「少し痛いだろうけど、よく塗り込んで。痛いのはほんの一瞬だよ」
言われるがままに掌を合わせて薬を塗り込む。……確かに染みる。
しかしそう思った瞬間にはもう痛みが去って、優一は不思議に思って両手を開いた。
「うわっ、凄い」
驚いて素直に声が出た。
捲れ上がっていた皮膚が綺麗に元の状態に戻っていたのだ。
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