第4話 連れ立って

 優一は言葉が通じるということがどれだけ偉大であるかを知った。これほど母国の言葉を聞いて安心したのは初めてだ。

 しかも相手は話が通じる理性を持っている。優一は自身が置かれている状況がなんであるのか、とにかく知ろうと上ずる声で尋ねた。

「あ、あの! ここはどこでしょうか!? 私ついさっきまで電車の中で寝ていたはずなんです! 気づいたらよくわからない場所にいて……!」

 どんどん口早になる優一に、女性はしぃっと人差し指を立てた。辺りに目配せをする女性に優一は「あっ」となり口を押さえる。さっきの謎の生き物がまた戻ってくるかもしれない。

「あなた空は?」

「?」

「空。飛べる?」

「とべ……いえ」

「じゃあ、浮いたり、瞬間移動とか、長距離を一瞬で移動できる方法、何か持ってる?」

「い、いえ、そういうのは特に……」

 盛大なため息を吐かれた。しまいには「めんどくさい……」とまで言われた。

 なんだか申し訳ない。

「荷物は? それだけ?」

「あ、はい……」

 最早収納道具としての役割は果たせそうにないボロボロの鞄を優一は抱え込む。

「じゃ、それちゃんと持って」

「? はい」

 女性は優一に近づいてきたかと思うと、ひょいと優一の体を抱え上げた。俗に言うお姫様抱っこである。

「……え?」

 そして気づいたときには地面がどんどん遠くなっていた。

 ――浮いてる?

 いや、これはどう見ても飛んでる。飛んで、飛ん……?

「は? いや、いや!? 飛んでっ、はぁっ!?」

「うるさい」

「いやいやいや! どういうっ、え!? どういう状況!? いや怖っ! 落ちそう! 落ちる!」

「落ちない」

「無理! 怖い! 落ちる! 降りたい! 地上を歩きたい!」

「ちょっと……腕回さないで。前が見えない」

「無理ぃ! 私ジェットコースターがこの世で一番怖いんですよ!」

「何それ」

「アトラクションですよ! 知りません!?」

「知らない」

「ジェットコースターって言うのは!」

「叫びながら言うのやめて」



 一気に五歳……いや十歳は老けたと思う。なんだったら寿命も同じ分だけ減ったと思う。

 絶叫マシンに乗り終わったあとのような疲労感だ。年甲斐もなく声を荒げて女性に掴まるとはなんて情けない。

 山から見えていた大きな都市の入り口に降り立った女性――ロゼと名乗った彼女は、大の男が長時間首に腕を回していたものだから疲れた様子で首を気にしていた。

「はー……意味がわからない。飛ぶって……飛ぶって何なんだよ……」

 ぶつぶつと膝に手をつきながら行き場のない恐怖心を吐き出す優一を、ロゼは冷めた目で見ていた。

「まだ言ってる」

 優一はバッと振り返りロゼに詰め寄った。

「空を飛べない人間の気持ちがわかりますか!?」

「わかんない」

「じゃあ、あなたにそんなこと言う権利ないはずだ! こっちは死ぬかと思ったんですよ! 助けていただいたことには感謝します! 夜魔?でしたっけ、よくわからない生き物でしたけど、それとこれとは話が別です!」 

「あっそ。どうでもいいけど、吠える気力があって何よりね」

 そう言って気怠げに歩き出したロゼに、優一は深く息を吐いた。まだ言い足りないことだらけだ。あと五分十分は彼女に文句を言い続けられる自信がある。

「いつまでそうしてるつもり? 早くして」

 ロゼがついてこいと顎で示した。

 さすがにこれ以上は大人げないか。何度目かの息を吐いて、優一はロゼのあとに続く。



 都市の中に入ると、世界は一変した。

 頭上を大きな翼を持つドラゴンが通り過ぎていった。あんなもの、空想の世界でしか見たことがない。

 街道には獣人や、すぐには判断がつかない摩訶不思議な姿形をした種族で溢れている。歩いていると数機のプロペラがついた機械がすぐ横を通り過ぎていった。

 遠くから見えていたネオンの輝きは、都市の中央に集まっていたビル群の輝きだった。親しみのある現代文明だったが、一歩違う道を覗き込めばそこには工房のような施設が密集していたり、ある道を覗き込めば和風の店が奥まで並び、ある道ではレンガ調のヨーロッパのような街並みが広がった。

 あらゆる文明と文化が融合している、巨大な都市のようだった。

 丁度通りがかった、映画で見たような屋台ではクマが大きな寸胴で湯気の立つスープを作り、店先の小さい椅子に大きな体を丸めて座り込む煙管を咥えたキツネや、仲間と共にカードゲームを楽しむトカゲに、見かけは自分とそう大差ない人の姿もあった。

 人や獣、機械や獣人、種族も性別も様々、今優一の傍を通り過ぎていった二足歩行のドラゴンに至っては軽く3、4メートルはあったかもしれない。

 映画の世界と言われたほうがまだ納得できた。ここではあらゆるものがあらゆる形で共存している。彼ら彼女らはそれらを当たり前のように受け入れ過ごしている。

「凄い場所だな……」

「遅い。また飛んで運ばれたいの?」

「! 今行きます!」

 辺りを見ながら歩いていたら、すっかり先を行くロゼと離れていた。こんなところではぐれてしまったら彷徨うこと確実だ。優一は急いでロゼの隣に並ぶ。

「あのー、ここはどこなんでしょうか?」

「エレフセリア」

「え、えれ……?」

「エレフセリア、この都市の名前。何度も言わせないで」

「あ、すみません。えぇっと、じゃあ、ここは……日本ではない、ですよね?」

「こっちとそっちは世界が別。あなたはこっちに迷い込んだ渡り、私はそれを保護した。あなたを今から元の世界に還す。理解した?」

 ロゼは説明が面倒なのか一気に話してしまうと口を閉ざしてしまった。それでも簡潔な内容であっただけに「なるほど……」と優一は頷く。

「あらロゼ、今日は寄ってかないの?」

 突然聞こえた声に目を向けると、腕の部分が翼になっている二足歩行の鳥……鳥人とでも言うべきか、声の質からして女性だろう、それでも優一よりは頭一つ分大きい種族が店のカウンター越しにそこにいた。

 奥には様々な色合いの液体が瓶詰めされて綺麗に並んでいる。飲み物か何かだろうか。

「まだ仕事中」

「この時間に? 珍しいこともあるもんね」

「片付いたら寄るから」

「とっておきのは残しておいてあげる」

「ありがとう」

 自分のときだけかと思っていたが、どうやら彼女は誰と話していても表情や話す言葉に感情の起伏があまり見られないようだ。そこにエネルギーを割くのが面倒なのかもしれない。

「お、美人がいると思ったらやっぱりロゼか。呑んでけよ、一杯奢るぞ」

 また別の店で、見かけはドラゴンにそっくりだが、こちらも二足歩行――同じルールに則れば竜人か、屈強な体つきをした種族が大きな樽ジョッキを掲げていた。隣にはそんな種族とは体格差激しい、パッと見は人にとても近しい姿と体躯をしている男性が座っていたが、耳の先が尖り、鱗が生え、ドラゴンの尾を持つなど、特徴は大きく違う。これもこれで竜人と言えるのか。

 分類は一緒でも種族が違うということだろうか。そもそも同じカテゴリに属していると決めてしまっている自分の価値観がもう間違っているのかもしれない。

 うぅん難しい、優一は一人頭を悩ませる。

「あなたたちのは強すぎて味がわからないから、もっと弱いお酒にして」

「それじゃあ水を飲んでるのと変わらねぇよ」

「じゃ、付き合わない」

「ははっ、今日もフラれたな」

 隣人が笑うと、「うるせー」と竜人は樽ジョッキの中身をぐびぐびと呑み干した。

 ロゼがまた歩き出す。優一はとにかくついていくので必死だった。

 道中似たような声かけで、二人はしょっちゅう足止めされた。回数があまりにも多いので「飛びたい……」とぼやいたロゼの言葉を、優一は聞こえなかったことにした。

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