第2話 中央都市「エレフセリア」


 中央都市「エレフセリア」


 この世界で最も大きな都市であり、あらゆる種族が集う場所。

 小さき妖精から大型のドラゴンまで、更には獣人、エルフ、機械人形、中には種族がどこに該当するのかもわからない、そんな者たちが暮らすこの大都市には、どこから見ても目を惹く一際高い建物が建っていた。

 出入り口付近には大きく「A」の文字を掲げ、多くの種族がその建物を行き来している。

 ふと、その建物を行き交う彼らの足が止まった。

 どこからともなく現れたコウモリの群れがやってくると、その群れは建物の出入り口で集合体となり、瞬きの間に一人の女性へと変わる。

「ロゼさんだ」

「はー、相変わらず美人だな」

「お姿を拝見できるなんて今日の私はついてるわ」

 ひそひそと話し込む多種多様な面々の間を、ロゼと噂された女性は手にアタッシュケースを握り締めながら靴のヒールを鳴らした。

 見かけは30代後半から40代前半と言ったところか。全身を黒衣で覆い、その上には同じく黒のロングコートを着ている。

 セミロングの艶のいいシルバーブロンドの髪には緩くウェーブがかかり、日に焼けていない肌は白く、赤いルージュの口紅がよく映えた。

 鼻筋の通った、整った顔立ちをしている彼女は誰の目から見ても美女と呼べるだろう。その表情に気怠そうなものさえ浮かべていなければ、もう少しその印象は変わったかもしれない。

 彼女が建物の中に入ろうとすると、彼女の前を誰かが遮った。

 ヒョウ柄の黒い体毛、屈強な体つき、ロゼよりも頭三つ分は背が高いだろう。逞しい顔つきの黒豹と思しき獣人がロゼを見下ろしている。

「よう、ロゼ。今日もいい女だな。このあと俺と一杯どうだ?」

 まるで獲物を狙うような目でその獣人は言う。

 ロゼはそれには目も向けず、「いつかね」と簡素に告げて黒豹の獣人を避ける。

「ろ、ロゼさん!」

 今度は犬の獣人が声をかけてきた。余程緊張しているのか、髪から生えている耳がへたり込んでいる。

「明日の夜、ぼ、僕と一緒に食事に行きませんか!」

 今にも泣き出してしまいそうなほど声が震えている。

 良心にかなり訴えかけてくるが、ロゼはそれにすらもまともに目を合わせようとはしない。

「夜は仕事だから」

「っ、そ、そうですか……」

 口早に断るロゼに犬の獣人は残念そうに肩を落とす。尻尾もしょげ込んでしまった。

「なら俺らと酒でも呑まないか?」

 そんな犬の獣人を押し退け、竜人が数人近づいてきた。その中の一人が馴れ馴れしくロゼの肩に手を回し、「いい店知ってんだ」と言った。

 押し退かされた犬の獣人があわわっと口を震わせている。竜人の恐ろしさにではない、ロゼの表情が見る間に不機嫌そうなものに変わったからだ。

 ロゼはチラと肩に置かれた手を見ると、指の一つを掴んでぐうっと押し上げた。

「いでっ!」

「触らないで。服が汚れる」

 細腕に見合わない怪力だ。見かけは竜人たちのほうが圧倒しているように見えたが、ロゼは終始気に留める様子もない。

 ロゼは手の置かれた肩をさっと払うと、足早に建物の中へと入っていく。取り残された獣人たちはやれやれと言わんばかりだ。

「今日も全員脈なしか」

「変だよなぁ。あの一族って好色だって話、ありゃ嘘か?」

「アンタたち、またロゼにちょっかい出してんの?」

 そこに女性の声が聞こえてきた。彼らが背後を振り返ると、「なんだアエロナか」と誰かが言った。

 近づいてきたのは、顔や腕の一部に美しく煌めく緑の鱗があるのが特徴的な、褐色の肌を持つ女性だった。異国の民族衣装を身にまとい、耳には羽飾りのピアスをいくつも吊り下げている。

 アエロナと呼ばれた女性は一つ大きく息をついて見せた。

「アンタたちじゃロゼに見向きもされないって何度言やわかるのさ」

「あんないい女が独り身なんだぜ? 一回くらい良い思いしたいじゃねぇか」

 黒豹の獣人が言うが、アエロナのため息は止まらない。

「そういうところが駄目なんだよ。ロゼは究極の面倒臭がりなんだ。後々面倒なことになりそうな奴には見向きもしないよ。ほら、こんなところで口説いてる暇あるなら仕事するか帰るかしたら? ロゼはもう今日は仕事上がりだから、誰の相手もしないよ。ほら、散った散った」

 手を振り払うアエロナに、彼らは諦めて建物をあとにしていく。

 まったく……と息を吐く彼女は腰に手を当て、「好色ってのは嘘じゃないけどね」とぼそりと呟く。去っていったロゼの姿を追う瞳は、どこか心配そうに見える。



 一方、その頃の優一はいつまでもその場に留まっているわけにもいかず、人のいそうなネオン煌めく都市を目指して歩き始めていた。

 どうやら自分がいる場所は雄大な自然の中の一つである山の中であると推測した。都市を見下ろしていることからも、ある程度高さがある場所だろう。となるとこれはまさに今、下山をしているということになる。

 革靴で下山ってどう考えても現実的じゃない。

 月明かりのおかげでスマホのライトを使わなくても大分明るいが、それでも薄暗さからは解消されず、足元はおぼつかない。

 慎重に道なき道を下っていく優一は、これは明日は筋肉痛必須だなと眉を顰めた。既に履いている革靴が土で随分と汚れてしまっている。

 まさかこの歳になって山道を歩く日が来るなんて誰が思うだろう。休みの日だけでもジョギングなんかを取り入れていたらもう少し体力も筋力もあったはずだ。下山しているだけなのに息が上がってきた。

 ――少し休憩するか。

 優一は周囲を見渡し、休めそうな木陰を見つけて腰掛けた。

 木々の隙間から見える星屑は変わらず綺麗で美しい。東京という都会では見られない景色だ。

「どこなんだろうなぁ、ここ」

 一人の時間が長いとどうしても独り言が増えてしまう。そうでもしないと心細さに精神が参ってしまいそうだ。

 せめてスマホが使えたらなとは思うが、相変わらず画面は圏外を告げるばかりだ。どんなに便利なものも使えなければ意味がない。

 景色をただ見ているだけでは何も変わらない。日が変わってしまう前にはどうにかして遠くに見えているあの都市に辿り着ければと思うが。

 休憩もそこそこに、優一は再び下山を始めた。

 と、靴の先が飛び出していた岩場に引っ掛かり、バランスを崩した優一は受け身を取る暇もなくすっ転んだ。

「いって……」

 地面に咄嗟についた手を擦りむいた。

 視界不良を言い訳にはできない。完全な運動不足だ、足が上がっていなかったせいで躓いたのだ。

「歳だな……」

 やれやれと優一は手の土を払いながら、自身の手を離れてしまった鞄を取りに向かう。転がってしまった鞄もすっかり土埃に塗れてしまった。

 いろいろついてないなと肩を落とすと、すぐ傍の茂みの奥から何か話し声のようなものが聞こえてきた。こんな山の中に人が?とは思いはしたが、今は藁にも縋るような思いだ。誰でもいい、この状況を説明してくれる人がいるなら。

 優一は声の主を探し求めて茂みを掻き分け、「すみません!」と声を上げた。

「怪しい者じゃないんです! ここがどこだかお尋ねしたくて……」

 そこまで言って、優一は言葉を切り、閉口した。

 ――人じゃない。

 茂みの先にいたのは、確かに誰かではあった。人の姿に近しいものだった。だがそれは優一が知る人の形ではなかった。

 体色は灰色がかり、背中にはコウモリに似た翼が四つ、枯れ枝のような硬い髪は色素が抜け落ちて全体が白っぽく見える。

 体躯は細長く、手には鋭く赤い爪。顔のパーツもおよそ人の者からは遠いものだった。目は黒一色、鼻に相当する部分には黒い模様が一筋引かれている。

 既視感がある。見覚えのある配置だ。――なんだ、なんだった?

 人ならざるそれは月明かりに黒光りする目を優一に向ける。優一は本能的に後ずさった。

 それは一人、いや、一匹か、一体なのか、とにかく最初は一人だったが、どこに潜んでいたのか次々に仲間が姿を現し、あっという間に五人にまで増えてしまった。

 全身が震え上がった。本能的に逃げろと訴えかけてくる。命の危機を感じる。

「あ、あの……すみません。お取り込み中、だったみたいで……」

 優一はまた後ずさった。

 人ならざるものの視線がいっそう優一に向けられる。その内の一人が、口から細長い舌のようなものを出した。

 既視感の正体がそれでわかった。

 ――思い出した、蝶だ。

 優一はその瞬間、全速力で逃げ出した。

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