第32話 真の能力

 後輩の計画は、古典的でありながらも狙いは悪くない。

 女の影がチラつけば、恋人と険悪になってもおかしくない。

 想像とは厄介なもので、抱えている不安が大きければ大きいほど、豊かになる。悪い方向へ。

 職場という、自分の目が行き届かない場所。そこで異性と絡んでいるという疑惑が生じれば、後は勝手に喧嘩別れしてくれる。

 実際にそこまで上手く事が運ぶことは中々ないだろうが、ジャブとしては上々の破壊力が期待できる。


「未来さん? 今日、やけにくっついてきますね?」


 普段はゲームをする時だけ、膝の上に乗ってくる桜井。

 だが昨日の一件を気にしているのか、何かにつけて糸井に密着している。

 今までは糸井が家事を行っている間、ゲームなり読書なり、一人で過ごしていたのだが、今日はずっと抱き着いている。

 最高のシチュエーションだが、残念なのは胸が当たらないことだ。

 こればかりは仕方がない。ないものは当てられない。


「嫌なの?」

「……安心します」

「もっとわかりやすく」

「幸せです」

「私も……」


 結果論だが、後輩の作戦は逆効果だった。

 重ねて言うが、作戦自体は悪くない。この作戦を決めるにあたって、参考にした情報も悪くない。

 糸井の手作り弁当を見て『冷凍食品を全然使わない。つまり彼女はワガママに違いない。じゃあ、ちょっと火種を放り込めばすぐに瓦解する』と、見事なまでに正確な分析に成功した。そこからの今回の作戦だったのだが、一歩届かなかった。

 たしかに桜井はワガママだ。ちょっとした火種で燃え上がるというのも正しい。

 だが、何があっても糸井を手放すことはない。地球の裏側に逃げようと、世の中の女性全員と不倫しようと、決して手放さない。愛想を尽かすことなどない。

 その並々ならぬ執着心を見誤ったのだ。


(俺も大概クソ野郎だな。未来さんの好意に気付いた途端、俺のほうも好きになってきた)


 自己嫌悪に陥っているが、別に責められるようなことではない。

 人に対する評価なんて、ふとしたことで変わるものだ。


(そして後輩もそうだ。結局俺は、自分のことを好きなヤツが好きなんだ)


 これもまた、責められるようなことではない。

 好意的に見てくる相手を好意的に見るのは、自然なこと。好意的に見られることが少ない人間なら、尚のこと。 


(……どっちも手放したくない)


 これは責められるべきことだ。痛い目に遭うといい。


「明君、そろそろソファー辛くない?」

「辛かったですよ、初めから」


 二ヶ月経とうが辛いものは辛い。当初に比べればマシだが、布団で寝られるなら、是非そうしたい。

 寝不足と同じだ。寝不足が続けば、短い睡眠時間でも平気になってくるが、それは慣れたわけではない。感覚がマヒしているだけだ。


「じゃあ……今夜から、ね?」

「よろしいのですか? シングルベッドでしょう?」

「だからいい」


 なんだろうか、このバカップルは。

 歪んだ愛情、主従に近い関係はどこへやら。何の変哲も無いただのアベックに、なりつつある。


「未来さん、俺はサラリーマンさえ満足にこなせない男ですよ?」

「いいよ、望むところ」

「……俺がよくないんですよ」


 プライドの問題もなくはないが、それ以前の問題だ。

 何がなんでも会社勤めをするべきといった、日本人に多く見られる呪いにかかっているわけではない。

 桜井に見捨てられたら死ぬという状況に追い込まれたくないというのもあるが、相手に金を出させることへの抵抗感が強い。


「やっぱり、いただいたお金は返そうかと……」


 罪悪感や貢がれたくないという気持ちから、今までの金を返却させてもらえないか打診する。

 それを受けた桜井は、非力な腕力で糸井をリビングまで引っ張ろうとする。その体勢で下手に動くと、バックドロップに発展しかねない。桜井にケガをさせまいと、桜井の動きに合わせて後ろ向きに歩く。

 無言の桜井に不安を覚えつつも、動きに合わせ続ける。その結果、気付いたら向かい合って座っていた。家事はいいから、真剣に話し合おうということだろうか。


「あの、お金……」

「却下。拒否」


 大方の予想通り断られる。交渉の余地を感じさせないほど、バッサリと。

 悲しい話になるが、金は桜井にとって精一杯の愛情表現なのだ。

 金を持て余しているというのもあるが、貸しを作らないと捨てられるという、健気なのか惨めなのか、判定に悩む考え方をしているのだ。

 先ほどのようにただ抱き着くだけでも、愛情表現としては十分なのだが、それを理解していない。むしろ、一方的に愛情を与えられていると思い込んでいるようだ。


「返さないで。そんなに密着が嫌?」

「え、なんでそうなるんです?」

「アナタが受け取ったお金は、密着代でもある。返却は認めない」

(どっちかと言えば俺が払う側では……)


 不器用なヤツばかりだ。糸井も桜井も後輩も、揃いも揃って生きづらいタイプの人間ばかりだ。

 三人に共通していることと言えば、大衆社会で生きていくのに向いていないということぐらいだ。

 おそらく、いや、間違いなくそれが原因だろう。因果関係は疑いようもない。

 世間、大衆社会に適合していないというのは、言い換えれば自分を持っているということに他ならない。

 自分を持つと、見ない方がいいものも見えてくるし、見間違いも多くなる。奇妙な言い回しだが、なんでもできる分、何もできなくなる。


「なぜかは知らないけど、私は一般人が持っていない能力を持っている」

「占いのことですか? その言い方……自然と身についた能力ってことですか?」

「うん、できない人の気持ちがわからない。本当は皆できるけど、できないフリをしてるんじゃないかって、そう思ったこともある」

「なるほど……幽霊が見える人に『なんで見えるの?』って聞いても、困らせるだけですもんね」


 少しズレているような気もするが、大きく外してはいないだろう。

 女性は男性よりも色の区別や匂いの嗅ぎ分けに特化しているらしいが、男性からすればどう見えているのかわからない。逆もしかりだ。

 暗算が得意な人間は、三桁の足し算で電卓を使う人間のことなど理解できない。ふざけているとしか思えないだろう。


「私の能力を気持ち悪く思うことはあっても、お金を気持ち悪く思うことはない」

「……? 前者も考えにくいんですが、どういうことですか?」

「なんで? 超常現象だよ?」

「……? 月並みですけど、カッコいいっていうか凄いじゃないですか。未来さんだけが持ってる特殊能力ですよ? 世界中探せば他にいるかもしれませんが」


 決して媚び売りではない。

 多少の恐怖心はあれど、優れた能力だと心の底からリスペクトしているのだ。


「人間じゃないかもしれないよ?」

「仮にそうだとしても、未来さんは未来さんでしょう」


 本当に同一人物なのだろうか。

 どこにでもいるモブのような男だったはずだが、一皮むけたとしか思えない度量の広さだ。得体の知れない人間を迫害するという一般的な思考回路が、完全に機能停止している。

 変わったというより、本性が姿を現したといったところだろう。

 生きるために仕方なく一般人を模倣していたが、後輩のせいで一般的な生き方に諦めがつき、化けの皮が剥がれた。そんなところだろうか?


「…………」

「未来さん? 顔が紅潮してますが、好調なんですか?」

「うん。かなり絶好調」

(ギャグをスルーされて安心したような、悲しいような)


 糸井のゴミのようなギャグはさておき、桜井はかつてないほどに赤面している。

 確信してしまったのだ。全財産、いや、命を賭けてもいいくらい確実に、糸井が自分を愛していると。決して勘違いではないと、そう確信しているのだ。


「仕事をする上で色々な男を見てきた」

「ええ、SNSで有名ですもんね。あんまりSNS見ない俺の目に入るぐらい」

「御曹司や芸能人、どこぞの経営者やら国家公務員。フリーターやホームレス、弁当持ちや詐欺師、ヤクザ。成功者も落伍者も人間のクズも、ありとあらゆる男を占ってきた。勿論、女の人も」


 今まで相手をしてきた人間の職種を羅列する桜井。

 有名人だということは知っていたが、その規模は糸井の想像を遥かに超えていた。


(弁当持ちってたしか……執行猶予中の人? っていうかヤクザって……)

「俗物ばっかりだったよ」

「俺もそのうちの……」

「違う。次卑下したら、本気で怒る」


 右手を糸井の顔の前で何度も開閉する。怒らせたら何をされるか察した糸井は、もう二度としないことを誓う。


「私の占いはランダム性が強い。アイドルと結婚できた人もいれば、経営が軌道に乗った人もいる。階段から足を踏み外した人もいれば、離婚した人もいる」

(俺って、マシな目を引き当てていたんだな。マイナスとはいえ)

「幸せになった人も不幸になった人も、私を気持ち悪がったよ。占いのせいで浮気がバレた男は『化け物! ブス! 闇の世界に帰れ!』とか、ボロクソに言ってきた」

「闇の世界……」

「そいつに関しては、勝手に追加の占いをしたよ。悪い目が出るまで」


 愚かな男だ。敵に回しちゃいけないことぐらい、わかりそうなものだが。

 化け物だと認識しているくせに、わざわざ逆鱗に触れる神経が理解できない。


「妥当だと思いますが、どんな目が出ました?」

「風俗って、口でしてくれるでしょ?」

「行ったことないんでわかりませんけど、多分」

「その最中にくしゃみするって占い」

「……?」

「風俗嬢が」


 うっかり想像してしまい、思わず身震いする。

 青ざめる糸井を無視して、話を続ける桜井。


「最初は興味津々でも、いざ的中すれば嫌悪感を覚える。きっとそれが普通」

「んー、誰だって多少の恐怖はあるでしょうけど……でも、憧れとか尊敬とか、羨望とか、そっちのほうが強くないですか? 苦労してるアナタに言うのも失礼かもしれませんが、俺は畏敬の念を抱いてます」

「明君は変わってるね。本当に」


 嘲笑でもなければ、愛想笑いでもない。

 誰が見ても一目でわかるほど破顔する桜井。

 まさしく心からの笑顔だ。

 クールとは程遠いし、年相応とも思えないほど、天真爛漫な笑顔。

 二十余年分の笑顔とでも言うべきだろうか。

 その笑顔は、占い以上に糸井の心を惹きつけた。

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