第24話 職業:座椅子

 同棲を始めてから、およそ一ヶ月が経過した。もはや、こっちが実家ではないだろうか。


(重い……)


 先日に引き続き、身動きが満足に取れない糸井。

 人力金縛りの呪いにでもかかっているのだろうか。


(どういう状況だ? これ……)

「見て、絶対に強いよ、これ」


 糸井に金縛りをかけている犯人が、楽しそうにゲーム画面を指差す。


「あの? なんで俺の膝の上に?」

「膝じゃなくて、あぐら」


 質問を無視して、不要な訂正をする。

 話の本質を無視して揚げ足を取るというのは不快な行動のはずだが、美女だというだけで不快感がないのはなぜだろうか。

 脂ぎったオジさんが同じことをすれば、ボコボコにしてコンクリ詰めにされても文句は言えないはずなのに。


「未来さん? そろそろ皿洗いをしたいんですけど」

「いいよ」


 あっさりと許可を出したわりには、一歩も動こうとしない。


「あの? どいてくれないと、洗えないんですけど」

「だから、いいよって」

(あっ……『洗わなくてもいいよ』って意味ね)


 一ヶ月近くも同棲しているだけあって、桜井に対する理解力が著しく向上しているようだ。彼女の親よりも、理解しているのではないだろうか。


「それでその、なぜ膝……あぐらの上に?」

「しっ、今話しかけないで」


 ボス戦だから静かにしろと、質問をはねのける。糸井としては、桜井をはねのけたいところだが、とりあえずボス戦が終わるのを黙って待つ。


(しかし下手だなぁ、アクションゲーム。ウチの婆ちゃんよりは上手いだろうけど、オカンよりは下手だな)


 カチャカチャと、素人特有の操作音を響かせている。

 操作量と画面の動きが一致していない。無駄な入力が多い証拠だ。


(足が痛いから、あんまり動かんでほしいんだけど……)


 ゲーム中に体が動くタイプらしく、着実に糸井の足にダメージを与えている。ダメージは、目の前のボスにだけ与えてほしい。


「いたっ……」

(痛いのは俺だよ……)


 被弾時にリアクションをするタイプでもあるらしい。初心者特有の要素盛りだくさんで、こうして見ると可愛げがある。


「ああ……」


 あっさりと敗北して、落胆する桜井。ここまでのめり込んでくれたら、製作者も冥利に尽きるだろう。


「そろそろいいですか? なぜ俺の上に乗ってるんです?」


 この隙を逃すまいと、先ほど投げかけた質問を再び投げかける。


「……昨日、会社で何かあった?」


 返ってきたのは答えではなく質問。質問に質問で返すのはよろしくないと言われているが、答えの前置きとしてなら問題はないだろう。

 桜井の場合、ただの無視な気もするが。


「ちょっと怒られただけです」

「ちょっと? 私が一目見ただけでわかるぐらい、落ち込んでたのに?」

「……ちょっとです」


 バツが悪いのか、小さな声で押し通そうとする。

 言うまでもないが、そんなことを桜井が許すはずもない。


「何があったの? 言って」

「別に大したことは……」

「言って?」

「うぐっ……言います言います、言いますから」


 誤魔化そうとしたが、後ろ手で股間を掴まれてあっけなく折れる。


「離してくれませんか?」

「話すのはアナタ」


 同音異義語とは、かくもややこしいものか。

 いや、この場合は故意だが。


「早く話さないと、少しずつ力を強めていく」

「えっとですね、結構前のことなんですけどね、欠勤したんですよ。ほら、初めて占っていただいた翌日のことなんですけど」


 死の宣告を受け、早口で事の顛末を語りだす。

 その必死さが面白かったらしく、嘲笑している。


「で、少し前に遅刻したじゃないですか。一緒に深夜までゲームして……いや、未来さんのせいにする気はないですよ、俺のせいです。で、この時点で上司からちょっと目をつけられててですね……」

「……」


 さりげなく桜井の非を自責にした糸井に、ときめきを覚える。糸井にしてみれば、ただの保身にすぎないのだが、桜井的には好感が持てる発言らしい。


「それでですね、今年入った新入社員の子が、まあ高卒の若い女の子でしてね」


 聞き捨てならない情報にピクっとする桜井。そのリアクションに伴って、一瞬ではあるが握力が強まる。


「い、痛いですよ、未来さん」

「痛くない。続けて」

「いや、痛かったですって」

「痛くない」


 痛いかどうかを決めるのは糸井だが、これ以上食い下がるとさらに痛い目に遭うと判断し、追及を諦める。


「ええっと、どこまで話しましたっけね。ああ、そうそう。新入社員の子がいるんですけど、これがまた可愛い子でしてね。愛嬌が……ぎゃっ!?」


 先ほどとは比較にならないほどの握力がこめられ、情けない悲鳴をあげる。

 痛手を負ったが、さすがの糸井もこれでわかっただろう。桜井の地雷が。


「続けて?」

「あの、続けますけど、本当にやめてください。アナタが思ってるより痛いん……」

「痛くない。言いがかりはやめて」


 許されるなら、無防備な後頭部をぶん殴ってやりたい。思いきり頭突きをかましてやりたい。そんな欲求を抑え込んで、話を続ける。


「新入社員の子が、いわゆるぶりっ子なんですよ。誰にでも愛想ふりまく感じの」

「へぇ……高卒らしい処世術だね」

「……そうですね」


 唐突な学歴ディスに引きつつも、かばう理由もないので同意する。もし仮に、かばう理由があったとしても、人質には代えられないだろうが。


「男なんてバカばっかですからね、可愛いだけで甘やかされるんですよ」

「……可愛いんだね」


 なぜ地雷を自ら踏み抜こうとするのか。

 普通ならば、さっきの一撃で全て悟るはずだが、もう一撃食らいたいのだろうか?


「ん? ええ、俺の好みではありませんが」


 狙ったわけではないが、奇跡的に回避する。

 今の一言がなければ、全身全霊の握りつぶしをくらっていただろう。それも、一瞬なんて生易しいものではない。


「……私を甘やかしてくれるのも、そういうこと?」

「そうですね」


 間髪入れずに肯定する。

 口が裂けても言えるわけがない。「怖いからだよ!」などと。


「明君、ごめんね。痛かったね」


 先ほどの肯定で機嫌を直したらしく、掴むのをやめて優しくなでる。

 日も高いうちから何をしているのだろうか。

 桜井にしてみれば恋人のじゃれ合いだが、糸井からしてみればただのセクハラに過ぎない。


「あの、それはちょっと……」

「何? いいから続き」


 やめてほしいがやめてほしくない。

 そんな複雑な心情になりつつも、話を再開する。モタモタしていると、再び掴みに変わる恐れがあるので仕方ない。


「で、その後輩がやらかした分が全部俺に来るんですよ。『先輩のくせに、こんな基本的なことも教えてないのか!』って感じで」

「不条理だね。スジが通ってない」


 喉まで出かかった「お前が言えた義理か」という言葉を、無理矢理飲み込む。


「ちゃんと教えてるんですよ? でも『糸井先輩が教えてくれませんでした』って後輩が言えば、周りはそっちを信じるんですよ」

「ナメられてるね」

「新人だとしても仕事ができない子なんですけどね、それでも評価が高くて……なぜだか知りませんが、それに反比例して俺の評価が低くなって……」

「酷い話だね」


 他愛もない愚痴だが、全肯定してくれるのが素直に嬉しい。こんなことを話せる相手もいなければ、肯定してくれる相手もいないのだから。


(なんだこの不思議な感情……キャバクラが商売として成り立ってるのって、こういうことか?)


 嫌々話していたはずなのに、謎の高揚感に包まれ、ペラペラと不満を語りだす糸井。そして、律儀に同情、肯定する桜井。

 図らずも依存への大きな一歩を踏み出してしまったわけだが、二人が幸せなら何も問題はないだろう。


「で、今回は後輩が期日に遅れた書類の件で説教されまして……」

「悪いのはアナタじゃないのに」

「そう言ってくれるのは未来さんだけですよ。後、面倒見のいい先輩一人」

「先輩?」

「ええ、二つほど上のお姉さんなんですけど、これがまあ優しくて美人で……」


 むき出しの地雷を思い切り踏み抜く。致命的に頭が悪い。


「へぇ、年上が好きなんだ。へぇ」


 優しく愛撫する手がピタっと止まる。

 下手なことを口走れば、地獄を見ることになるだろう。


「俺は年下派ですね」

「……」

「でも後輩は離れすぎですねぇ。二つか三つくらいなら大歓迎なんですけど」


 地雷への嗅覚は恐ろしく鈍いが、回避力はずば抜けて高いらしい。

 本来であれば致命傷を負うはずだったのに、好感度が爆上がりする。

 いや、これはこれで致命傷な気もするが、婚期が早まっただけの話。今更気にすることでもないだろう。


「どこまで私のこと好きなの……」

「え?」

「なんでも」


 高揚する気持ちを隠すように、ゲームを再開する桜井。

 プレイの雑さが、浮かれ具合を表しているように見える。


「あの、それで結局、なんで足の上に?」

「ん? 落ち込んでたから、労わってあげようと思って」

「……?」

「嬉しいでしょ?」

「……ええ、ありがとうございます」


 このはた迷惑な行動は、糸井を思ってのことだったらしい。

 納得のいく答えではなかったが、どうでもよくなった糸井は、桜井専用の座椅子として休日を過ごした。

 ソファーを寝床にする日々も、終わりが近いかもしれない。

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