第16話 無限地雷原

 教育タイムもとい洗脳タイムが終わり、予定より遅めの朝食をとる二人。

 食事内容は至って普通で、菓子パンとインスタントコーヒーのみ。成金にしては地味な食事だが、金持ちというのは最終的に贅沢より楽さを取るのかもしれない。


(味がしない……)


 雑な甘ったるさで有名な菓子パンだが、気まずさから一時的な味覚障害に陥っているらしい。

 食べるのが苦痛でしかないが、残すと何を言われるかわかったものではない。

 喉が詰まらない程度に口に詰めて、コーヒーで無理矢理流し込む。

 これはもはや食事というより、ガソリンの給油に近いかもしれない。


「大体アナタは、女性の寝顔を見せてもらえることのありがたみをわかってない」

「……貴重な体験でした」


 厚顔無恥も甚だしい発言に、心にもない返答をする。


「寝る前からずっと考えていた」

「…………何をでしょうか」

「朝起きた時、アナタがどんな賛美の言葉を送ってくれるのか」

(俺のことを太鼓持ちだとお思いか……?)


 称賛されるのは確定事項な辺りがなんとも図々しい。

 初対面の頃は自分の容姿を卑下していた桜井だが、どうも糸井の前では自己評価が高くなるらしい。


「綺麗だとか、ツリ目なところが美しいとか、色々口説いてきたくせに」

(言ったかな……言ったかも……口説いてはないけど)


 一見すると戯言、いや、実際に戯言なのだが、糸井にとって値千金の情報だ。この発言を噛み砕けば、自分の置かれている状況が理解できるのだから。


「ツリ目なんて私にとってはコンプレックスでしかなかった」

「……過去形ですか?」

「今は誇らしいわ」


 周知の事実だが、桜井は性格に難がある。個性と言えば個性なのだが、日本人はそれを認めるほど寛容な人種ではない。

 イジメを肯定するわけではないが、この性格で同性に受け入れてもらうのは厳しい。精神的に未熟な学生時代ならば、尚のこと。

 当時から何をしでかすかわからない雰囲気があったので、そこまで悪質なイジメは受けなかったが、女子グループから疎外されていた。

 この仕打ちの原因は自分の容姿にあるというのが、桜井の見解だ。嫉妬という意味では正解なのだが、最大の要因はあくまでも性格だ。そっちの可能性に関しては、一切気付いていない。

 それだけならまだいいのだが、桜井は『自分の容姿が醜いからイジメられる』と、真相の逆に辿りついてしまった。

 ゆえに自分の容姿が醜いと誤解したまま生きてきたわけだが、そんな自分の容姿を高く評価する異性が突然現れればどうなるだろうか。

 最初は皮肉や詐欺の類だと警戒するだろう。純粋な褒め言葉であっても、悪意がこもっていると勘繰る。褒めれば褒めるほど、敵視される。

 だが、相手が誠実な人間だと確信した場合、好感度が反転する。たとえ性格に難があろうと、乙女は乙女なのだから。


(誇らしい? なぜ? どういう心境の変化だ?)


 桜井の凍てついた心を自分が溶かしたことに、全く気付いていない。

 ならば必然的に、好感度の上昇にも気付くことができない。


「一応確認する。私の寝顔を見て可愛いと思った?」

「ええ、それは勿論」

「じゃあ開口一番に言うべき」

(何この人……怖い……)


 鈍感だと蔑まれても仕方ないが、糸井の気持ちも理解できる。強制的に宿泊させてきた相手が恋人のようなやりとりを求めてきたら、誰だって恐怖を感じる。

 恐怖心と先入観、それらがなければ気付くことができたかもしれない。不器用な桜井なりに、ただ甘えてきているだけだと。

 好意を受け入れるべきか、拒むべきか。それは一旦置いておくにしても、まずは好意に気付かなければならない。


「なんで言わなかったの? 嘘だから?」

「いえ、事実です、本音です。寝顔を見せていただけるなんて、果報者です」


 重ねて言うが、好意には絶対気付かなければならない。

 好意に気付かなければ、受け入れてくれたと解釈されても仕方ない返答をしてしまうのだから。

 糸井が知らぬ間に、桜井の確信が深まる。相思相愛に違いないという確信が。


「果報者……ね」

(もしかして地雷踏んだ? 調子に乗りすぎたか? 太鼓を持ちすぎたか? 太鼓の重さに慣れすぎた?)

「今回の件は水に流してあげるよ。『桜井さんとのお出かけが楽しみです』って言わなかったことも許してあげる」

(なんか許された……地雷じゃなかったのか……よかったよかった)


 否、まごうことなき地雷だ。

 気の毒ではあるが、自業自得という他ない。わざわざ地雷原でタップダンスをした糸井が悪い。順路にない大型地雷を自ら踏み抜いたのだから、擁護の余地はない。


「これからは思ったことは口にすること。大人なんだから」

「わかりました……」


 朝っぱらから冗談がキツい。

 桜井相手に思ったことを口にすれば、殺傷事件に発展しかねない。飲み込まざるを得ない言葉があまりにも多いのだから。

 あくまでも体感だが、『コイツ話通じねえから、何言ってもダメだわ』と評されるヤツに限って『言いたいことはハッキリ言え』と宣う傾向があるような気がする。


(すぐ不機嫌になるくせに、どの口が言ってんだか)


 さっそく桜井との約束を反故にするが、行動としては正解だ。

 飲み会で上司が無礼講だと宣って、それを真に受ける社会人は存在しない。もし存在するなら、向いてないから自営業でもしたほうがいい。


「俺は食べ終わりましたよ」

「見ればわかる。催促しないで」

(本当にどの口が言ってんだろ。思ったことを口にしろって)


 もう余計なことは言うまいと心に誓い、桜井の食事が終わるのを無言で待った。

 食後に「なんで『食べてる姿も可愛いですね』って言わないの?」と詰められ、そこから再び説教が始まった。

 糸井は「いつになったらお出かけにいけるんだろう」と思いながら、説教を聞き流し続けた。

 出発前、本来何もないであろう朝の一時いっとき。この時点でこれだけ面倒事があるということは、お出かけ中は悲惨なことになるというのは想像に難くない。


(今日、常に怒られ続けるんじゃないか?)


 糸井の嫌な予想は見事に的中した。もっとも、競馬で言えば単勝オッズ一・一倍ぐらい容易な予想だが。


「男ならリードして」


 後ろを着いていくと怒られる、という読みで横に並んで歩いたのだが、前に行けと怒られた。目的地は糸井も知っている場所だったので、指示通り前を歩く。


「早い。女の子に歩調を合わせて」


 歩く位置で怒られた次は、ペースで怒られる。

 歩幅が違うので、糸井の配慮が足りなかったと言えばそれまでなのだが、それでも釈然としない。「だったら横並びでいいだろ」と言いたい気持ちを抑えて謝罪する。


「すみません……」

「いちいち謝らないで。私がイジメてるみたいでしょ」


 謝罪さえも地雷なのだから、一体どうすればいいのか。


「男なんだから車道側を歩いて」

「横並びじゃないんですから別に……」

「口答えしないで」

(えっ……思ったことは口にしろって……)


 正当な反論でさえも言い訳判定を受ける。

 謝罪も弁解も禁止。頭のおかしい経営者が考えた社則並みに禁止事項が多い。

 その場のノリで追加されていくのも、ブラック企業ライクだ。


「止まって」

「え? はい」


 急に呼び止められ、「今度はなんだよ」と思いながら振り返る。

 表情はいまいちわからないが、目に怒りが宿っている気がする。

 本来は心当たりがないので困惑するところだが、桜井に関しては心当たりなんてないのが当たり前だ。


「なんで他の女を見るの?」

「え? 見てませんよ」

「すれ違ったよね?」

(そりゃすれ違うだろ……この時間帯だもの)


 お世辞にも〝可愛い嫉妬〟などという表現はできない。本当にすれ違っただけなのだから。

 誰かとすれ違ったという程度の認識で、相手の顔さえろくに見ていない。

 女性とすれ違う度に嫉妬されるのであれば、休日のショッピングモールなどいけるわけがない。滞在時間にもよるが、三桁は確実と見ていい。


「やっぱりこれからは横並びでいく」


 そう言って強制的に腕を組む桜井。

 桜井の内面を知らぬものが見れば羨ましい限りだろうが、当の糸井は気が気ではなかった。心境としては被食者のそれだ。

 恐怖があるゆえに拒まないというだけの話なのだが、桜井は『相思相愛だから腕を組んでも嫌がられない』と解釈している。

 引き返せない段階まで好感度が上がってしまっているのだが、糸井がそれに気付く様子はない。もっとも、気付いたところで運命から逃れる術などないのだが。

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