第14話 個人情報開示

 女性特有の柔らかさもあるのかもしれないが、まるで揉みごたえがない。

 肩を揉まなければならないほど、こっているとは思えない。下手に揉むのは危険じゃないだろうか? 揉んだことで逆に痛みが生じた場合、責任を取らされるのだろうか?

 そんな不安から、手に力が入らない糸井。


「触り方がエッチ」

(握りつぶしてやろうか……このアマ……)


 反論するだけ無駄だと判断し、少しだけ力を強める。


「んっ……」

(……ちょっとドキッとしてしまった自分に腹が立つ)


 絶対、女として意識してなるものか。その決意を新たに、心を無にして肩揉みに集中する。


「嬉しい気持ちはわかる。でも変な気だけは起こさないで」


 誰になんの話をしているのだろうか。会話が下手すぎて、知らない間に時間が飛んでいるとしか思えない。

 ただの独り言、もしくは幻聴だということにして、無言で肩を揉み続ける。


「アナタが私レベルの女性に触れることができるのは、そういうお店に行ったときぐらいだもの」

(そういうお店……?)

「もしくは電車で血迷ったときぐらい」

(常に血迷ってる女が何を言うか)


 気にしないようにしようとしても、つい心の中でツッコミを入れてしまう。それも無理からぬことだろう。話に脈絡がなさすぎるのだから。

 占い師が何を言っているのかさっぱりわからないが、糸井を不当に罵倒していることはわかる。なぜ恋人がいないだけで、ここまでコケにされるのだろうか。


「私は謙虚で卑屈だから、自分なんて大した女じゃないと自覚してる。でも、アナタから見れば最高の女」

(……? 酔ってんのか?)

「でも今は我慢して。衝動に駆られたなんて言い訳は聞かないから」

(誰かいるのか? 俺に見えない誰かと喋ってんのか?)


 糸井が身を委ねたい衝動など、肩を握りつぶしたいという衝動くらいなものだが、この占い師は何を勘違いしているのだろうか。


「アナタは鼻が悪いの?」


 またもや不当に罵倒される。

 糸井の何を見て鼻が悪いと感じたのだろうか。鼻が低いとか、形が悪いという意味だろうか。


「嗅覚は普通かと」

「じゃあ口下手だね。そんなんじゃ損するよ」


 どの口が言っているのだろうか。この時糸井は、パンダに「白黒ハッキリしないヤツめ」と言われた時のような気持ちになった。

 たしかに糸井は、口達者な方ではない。だが口下手というほどでもないし、少なくとも占い師のくせに、ろくな会話術を持っていないヤツよりは幾分かマシだ。


「この状況、距離で『良い匂いですね』の一言も言えないの?」

「むしろ言ってほしいんですか?」


 親しくない異性に言われたくない言葉ランキングの上位に食い込むと思うのだが、占い師はこの言葉を欲しているらしい。


「ろくに褒めることができないからモテない。相手にもされない」


 聞かれてもいないのに、匂いの感想を述べるほうがよほどモテないと思われるが、占い師的には逆らしい。

 求めている言葉を察しろという気持ちはわからないでもないが、これを察するのは百戦錬磨のプレイボーイであっても不可能に近いだろう。


「ええっと……シャンプーの良い香りがしますね」


 強要されて絞り出した感想に、軽い吐き気を覚える。


「……それだけ?」

「え……」


 まだ足りないと言うのだろうか。これ以上、何を求めているというのか。


「なんで言わないの? 『良い匂いだし、可愛いし、スタイルも良い』って」


 欲しがりにも程がある。逆にどういう関係なら、その三連コンボをもらえるのだろうか。


(スタイルは別に……)


 命が惜しいので口には出せないが、お世辞にもスタイルが良いとは言えない。着痩せで変わるような服装だとも思えない。


「それで? アナタが好きな匂い?」

(肯定するべきだろうか……)


 直感では肯定、理性は否定を選択している。


「……はい」


 逡巡した後、肯定を選択する。

 これまでの会話の傾向から、占い師の全てを受け入れるべきだと判断したのだ。

 この選択が正しかったかどうかわからないまま、薬局に行くよう指示される。

 泊まるための下着とシャンプーを買ってこいとのことだ。この機に乗じて逃げるかどうか悩みつつも逆らうことができず、買い物後に寄り道一つせず大人しく占い師のもとへ帰る。

 どうやら糸井が買い物に行っている間にシャワーを済ませたらしく、部屋着に着替えていた。部屋着と言っても、普段着と大差ないのだが。


「期待させといて悪いけど、それの使い時はまだまだこない」


 戻ってきて早々、またもや不可解な言葉を投げかけられる。もはや不可解じゃない言葉のほうが稀有かもしれない。


「なんのことかわかりませんが、冷蔵庫をお借りしてもよろしいですか?」

「誤魔化さないで。貴方が買った不要な物は、一旦預かるから」


 そう言って、買い物袋を漁りだす。どうしてこうも、意思疎通ができないのか。

 いくら漁ったところで、安物の下着と飲食料が数点あるのみ。占い師がお目当ての物は見つからない。


「もう財布に入れたの?」

「何をでしょうか」


 薬局で購入できて、尚且つ財布に入れるような物。

 絆創膏だろうか?


「財布とか定期券ケースに入れるって聞いた」

「何をでしょうか」


 何の話をしているのか、皆目見当がつかない。

 仕方がないので、嫌々ながらに財布を手渡す。どうせ提示を要求されると読んでのことだ。なんと従順なことか。


「……本当に気が利かない男」

「お菓子とか買ってきたんですけど、他に何か入り用で?」

「男が用意するのが常識。これだから甲斐性無しは」


 蔑む様な目で見られるが、もはや気にもならない。逐一、気にしていたら、予定よりも早くハゲてしまう。元々、予定などしていないが。


「着けないつもり? だとしたら、許さないから」

(ああ……なんとなく、わかった気がする)


 糸井を性獣か何かだと思っているのだろうか。

 普通ならば、そろそろ名誉毀損で訴えられてもおかしくない段階だ。


「さっさとシャワー済ませてきて。明君」

「わ、わかりました……え?」

「どうしたの? 糸井明君」


 名乗った覚えがないのに、フルネームで呼ばれ動揺する糸井。


「なぜ、俺の本名を……」

「私は、桜井未来さくらいみらい。当分は苗字で呼んで。明君」


 質問に答えず、財布を返しながら雑な自己紹介をする占い師。

 当分の間ということは後々、下の名前で呼ばせる予定なのだろうか。

 そしてなぜ、向こうは最初から下の名前で呼んでくるのだろうか。


「あっ、なるほど」


 財布を手渡されたことで、本名がバレた理由を察する。運転免許証か保険証を見られたのだろう。住所を見られていないことを祈るばかりだ。


「明君の方が二つ上なんだね。頼りないくせに。根性無しのくせに」


 少なくとも、生年月日は見られてしまったらしい。それぐらいであれば別に問題ないと言えば問題ない。


(ってことは、二つ下なのか。可愛げないけど年下なんだな)


 瞬く間にお互いの個人情報、フルネームと年齢が交換された。いや、させられたと表現すべきだろうか。


「とにかく、さっさとシャワー済ませてきて。明君」


 名前を気に入ったのだろうか。やたらと名前を呼んでくる。

 付き合いたての彼女であれば可愛らしいものだが、この名状しがたい関係性だと恐怖以外の感情が湧き上がらない。


「わかりましたよ、えっと……桜井さん」


 流されるまま、シャワーを浴びさせられる。シャワーだけに。

 余談だが、女性宅の風呂場だというのに、糸井は全く興奮しなかった。

 脱衣所の下着にだけは、どうしても目を奪われてしまったが、それだけのこと。それ以上のことは、誓ってしていない。


(ブラのサイズ的に、多分小さい方だよな。知らんけど)


 占い師が自負しているとおり、本当にスタイルがいいのかどうか確かめるため少しばかり観察したが、それだけのこと。それ以上のことは、誓ってしていない。


(下着って、上下合わせるもんじゃないのか? 黒と白って、オセロかよ)


 色や柄までチェックしたが、それだけのこと。それ以上のことは、誓ってしていない。

 この状況で手に取らなかった時点で、何もしていないのと同じだ。そう自分に言い聞かせて、罪悪感を雲散霧消させる。

 限りなくアウトに近いが、それを判定できる人間がいない以上はセーフなのだ。


「というか、本当に泊まるのか? 俺」


 なぜこうなってしまったのか。

 何が悲しくて、貴重な休日に奇人とお出かけをしなければならないのか。

 一体何が目的なのか。

 もしかするとミツグ君にされてしまうのではないだろうか。

 思うところがありすぎて、シャワーを浴びる程度の短時間では到底、処理しきれない。かといって、長風呂すれば、何を言われるかわかったものではない。

 考えがまとまらぬまま、桜井の待つリビングに戻る。

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