第13話 一方的な両想い

 パイプ椅子二つと看板、机。全て合わせても十キロにも満たないだろう。

 重量だけ見ればなんの問題もなく運べそうなものだが、それは手に収まる大きさの時に限る。極端な話だが、わずか十五グラム程度の空き缶でも、手で百本持つことはまずできないだろう。


「荷物、引きずったら蹴るから。ちゃんと持って、男なんだから」


 さすがに無理がある。片手で机を持ち、パイプ椅子二つを腕にひっかけ、看板を持つというのは。


「あの、往復すれば……」

「男だから運べるでしょ。すぐそこだからワガママ言わないで」


 その男性に対する絶対的な信頼はなんだろうか。筋力でなんとかなる問題ではないのだが。

 そもそも近場なら尚のこと往復させてほしい。


「せめて看板だけでも……」

「私は水晶玉を持ってる。見えないの?」

「はい……すみませんでした……」


 なぜ客である自分が荷物運びを手伝っているのか。なぜ自分のほうが、多く荷物を運んでいるのだろうか。なぜ上から目線なのだろうか。そんな疑問を押し殺して、占い師の後についていく。


「玄関まででいい。どうせ明後日も使うから」


 辿り着いた場所は、公園から徒歩一分あるかないかのところにある、何の変哲もない二階建ての一軒家。新築と言う程ではないが、そこそこ綺麗な一軒家だ。

 特筆するようなものは何一つないのだが、占い師の住居だと思うと急に禍々しい何かを感じる。


(玄関とはいえ……足を踏みいれていいのか?)


 悪趣味な装飾があるわけでもないのに、糸井の目には魔王城か何かのように映っている。これが最近のゲームならば『ここから先は引き返せません。やり残したことはないですか?』というメッセージが出て来るかもしれない。


「一人暮らしだから緊張しないで」


 珍しく相手を慮った発言だが、逆に緊張する。

 親御さんに出くわして気まずくなるという事態は避けられそうだが、一人暮らしの女性宅にあがるというのは中々ハードルが高い。何をしでかすかわからない地雷女となれば尚更だろう。

 下心は皆無に等しいが、心拍数が上昇する。それを悟られまいと無心で荷物を運びこみ、即座に背を向ける。引き留められる前に帰ろうという一心で。


「では、俺はこの辺で失礼します」


 状況がいまいち飲み込めないが、雨が降ったわけでもないのに急に営業終了したことから、リセマラ自体は終わったものだと判断する糸井。

 占い結果を聞き出せそうにない以上、長居は無用。教えてくれないということは、命に関わるような結果ではないはずだと信じ、日を改めることにする。


「買い出し?」


 どうか呼び止めないでくれという願い虚しく、不可解な問いかけを背に受け、振り返る。


「飲食料なら、一通り揃ってる」


 聞かれてもいないことを語りながら、扉を施錠する占い師。今に始まったことではないが、言動が不可解極まりない。


「あの、なぜ鍵を……」


 今施錠したところで、家を出るときに開錠することになる。嫌がらせだろうか。


「いいから、早くあがって」


 どうやら嫌がらせらしい。占い師の家にあがらされるなど、考えうる限り最悪の嫌がらせだ。

 荷物の運搬という任務は既に達成したというのに、これ以上何をしろとおっしゃるのか。何も分からぬまま、靴を脱いでお邪魔する。


「トイレはそこ。お風呂はそこ」


 なぜ自分にそれを説明をするのか。トイレはともかく、お風呂の場所を説明する必要があるのだろうか。


「ポットとインスタントコーヒーがあるから、とりあえず淹れて」

(あれ? 俺らってどういう関係だっけ?)


 認識に間違いがなければ、占い師と客。お互いの苗字すら知らぬ、赤の他人だ。

 営業時間外だとしても、家主と客人。コーヒーを淹れるのはどう考えても占い師の役目だろう。

 なぜ召し使いの真似事をせねばならぬのか。困惑が不満と怒りを上回るが、断るわけにもいかず、大人しく準備を進める。

 ポットが仕事を終えるまでの間、脳内で状況を整理していると、ふと疑問が思い浮かんだ。


「そういえば機材を運ぶ時、明後日も使うと仰ってましたが」


 明後日も使うということは、逆に言えば明日は使わないということだ。雨でも降らない限りは、年中無休だと勝手に思い込んでいたが、何かあるのだろうか。


「明日は長い一日になるから、お休みする。覚悟してて」


 遠出の予定でもあるのだろうか。いや、本当に気になるのは最後の一言だ。


「覚悟とは……」

「とりあえず、駅前のショッピングモールに行く予定だから」


 糸井の言語感覚が正常ならば、完全に同行する流れだ。

 彼女のワガママぶりを見るに、今更どうこうしたところで同行を回避できない気がする。

 なぜ同行しなければならないのか。なぜ家に招かれたのか。飲食料が一通り揃っているというのは、一体どういうことか。風呂場を案内されたのは、どういうことだろうか。もはやわかることのほうが少ないが、とりあえずコーヒーを淹れる。


「さすがに男物の下着は持ってないけど、タオルくらいは貸す」


 お礼の一つぐらい言ってもらえるかと思ったが、返ってきたのは不可解な発言。

 ここまでくると『俺は無意識のうちに何か喋ってるのか?』と不安になってくる。


「あの、まるで俺がお泊りするかのような言い方ですけど」


 意図は不明だが与えられた情報から推察すると、この答えしか出てこない。どうか的外れであってほしいところだが。


「男なんだから、同じ下着でも大丈夫でしょ」


 別に、そこに苦言を呈しているわけではない。いや、できることなら新しい下着を着用したいが、そうじゃない。

 先程から、会話をしている気がしない。出会った時から既に、まともな会話をしていない気もするが。

 この人は、いつだってそうだ。相手が理解している前提、自分の意見が通る前提で話を進めてくるため、話せば話す程、会話にズレが生じる。


「泊まるとは一言も……」

「貴方の一言は不要。私が泊めると言ってるんだから」


 この世に生まれ落ちて二十余年。それなりに色々な人間を見てきた糸井だが、このタイプはお初にお目にかかる。これが新人類というやつだろうか。

 不謹慎かもしれないが、なんらかの病名がつくのではないだろうか。


「着替えとか、お風呂を覗いたら怒るから」


 覗くつもりは毛頭ないが、それよりも泊まる方向から軌道修正が効かないことに、苛立ちと不安が募る。要らぬ忠告よりも、要る説明をしてほしいものだ。


(そもそも、明日、暇とは一言も言ってないよな?)


 ふと、某料理漫画を思い出す。急に現れては『本物を見せるから来週また来い』と言って、一方的に約束を取り付ける主人公。来週暇だとは一言も言っていないのに、迷惑な話だ。


「とりあえず肩を揉んで」


 とりあえずレベルで客人をこき使わないでほしいものだ。

 明らかに主従関係が結ばれているが、一体いつ結ばれたのだろうか。

 今にして思えば、荷物の運搬を手伝わされた時点で上下関係が出来ていたのだが、何が引き金になったというのか、皆目見当もつかない。


「なぜ肩を?」

「足はまだ早い。スケベ」


 マッサージの部位に疑問を抱いたわけではない。どういう思考回路をしているのだろうか。まだ早いとは、どういう意味だろうか。なぜ性的倒錯者呼ばわりされなきゃならないのか。何様のつもりなのか。

 後々、足のマッサージもさせられるのだろうか。こちらが得をするかのような言い方なのも腹立たしい。


「早く。肩くらい揉んだことあるでしょ。私はないけど」

(そりゃ、お前はないだろうよ。親孝行するようなタイプじゃないし)


 心の中で毒づきながら、肩を揉む。不服ではあるが、逆らうことなどできない。


(……その気になれば肩ぐらい握りつぶせそうだな)


 華奢な背中が、嫌でも分からせてくる。この人は腐っても女性だと。腐ってるけど女性だと。腐りきった女性だと。

 糸井から見れば、いや、誰から見ても、都合の良い召し使い扱いしているように見えるだろう。だが実際は違う。むしろ召し使いの方が幾分かマシなくらいだ。

 甘えているのだ。糸井のことを相思相愛の恋人だと思い込んで、甘えているのだ。

 占い師の中では両想いということになっており、さらに言えば糸井からプロポーズしたことになっている。

 そのことに気付くはずもなく黙って肩を揉む糸井。揉めば揉むほど、占い師から逃げられなくなるというのに。占い師の中で、二人の愛が深まるというのに。

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