第12話 決定打
「どうする? リセマラする?」
リセマラ。現代人にとって、非常に聞きなじみのある言葉ではないだろうか。
糸井の想像しているリセマラと同じリセマラならば、こんなに嬉しいことはない。
「リセマラって、あのリセマラですか? ソシャゲとかの」
「ん。そのリセマラで合ってる。占いをやり直せる」
リセマラとはリセットマラソンの略である。詳しい説明は省くが、良い結果が出るまでやり直すというイメージでいい。
衝撃の事実という言葉が、これほど似合うシチュエーションも中々ないだろう。救済措置など無いものとばかり、思っていたのだから。
「前の結果はどうなるんですか?」
「なくなる。当たり前。リセマラなんだから」
なんとも都合の良い制度だ。無料の占いにあってもいいのだろうか。ハズレが実質存在しないということになる。
糸井にとっては願ってもない展開だ。
「……」
にも関わらず、糸井は浮かない顔をしている。
沈痛な面持ちを浮かべる糸井を見て、珍しく占い師が気遣う。
「嬉しくないの? 助かるんだよ?」
「……リセマラの代償とかって、あるんですかね?」
悪い結果をなかったことにできるなんて、そんな虫の良い話があるだろうか?
それ相応のリスクがあると考えるのが自然だ。
「危険はないよ。私は、ちょっと疲れるけど」
「占い師さんだけですか? 負担があるのは」
「体の負担で言えば、そうだね。その分、客には大金を出してもらうけど」
「なるほど……」
どのようにして生計を立てているのかという謎が解けた。
それと同時に『意図的に悪い結果を出しているのではないか?』という疑惑が浮上する。しかし、現時点で確かめるすべはないし、下手に追及して機嫌を損ねてもつまらない。
「あの……ちなみに、おいくらぐらいでしょうか?」
財布の中身や口座の残高、キャッシングの限度額など、捻出できる金額を算出しながら身構える糸井。
命がかかっているとはいえ、用意できる額には限度がある。まさか家族や友人達に『死ぬという占い結果を変えたいので、お金を貸してください』と泣きつくわけにもいかないだろう。お金を借りられる可能性よりも、精神病院に放り込まれる可能性のほうが高い。
「お菓子貰ったし、タダでいいよ」
「ほ、本当ですか?」
菓子の貸しで、リセマラ料をまけてくれるらしい。なんと太っ腹なことか。
「本来だったら、こんなお菓子程度の金額じゃ、すまないから」
「ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」
座ったまま、膝に手をついて頭を何度も下げる。その動きはさながらヘドバンのようで、さしもの占い師も思わず吹き出した。
「そんなに嬉しいの? 現金な男」
「貴女の気持ちが嬉しいんですよ」
占い師にも、人の心があったらしい。なけなしではあるが。
血も涙もない悪鬼羅刹だと決めつけていたことを、心の中で謝罪する。
(情報を貰えたらラッキー程度だと思ってたけど、まさかここまで功を奏すとは)
たかだか二千円程の貢物でリセマラをしてもらえるとは、嬉しい誤算だ。凄まじい費用対効果だと言える。
どうやら、媚びるという戦略は正しかったらしい。媚びなければ、一つ目の案を実行するハメになっていただろう。
「ねぇ、前にも聞いたと思うけど」
「なんでしょう!」
喜びのあまり食い気味になる糸井。それを意に介さず、占い師は話を続ける。
「彼女いないんだよね? 人生で一度も」
「ええ、おりませんとも」
「いい歳して彼女の一人もいないんだね。ふふっ、甲斐性無し」
本当にこれまでの占い師と同一人物なのだろうか。饒舌且つ親切で、時折愛らしい笑顔を見せてくれる。糸井の何が、彼女の態度を軟化させたというのか。
それはさておき、なぜここまで言われなければいけないのだろう。恋人どころか、友達さえ、いなさそうな人に。
(彼女の一人もいないからなんだよ、二人いるよりマシだろ)
心の中で幼稚な反論をしつつ、黙って占いのリセマラを待つが、どうやら占い師の質問はまだ続くらしい。
「気になる人はいる?」
「いえ……そもそも女性の知り合いがほとんどいませんし」
親戚のおじさんのような絡み方をする占い師に当惑しつつも、正直に答える。
「仕事は楽しい?」
「いえ、行かなくてもいいなら行きません」
心理テストの一環だろうか。それともなんらかのアンケートだろうか。答えが悪用されることはないだろうが、それでも気味が悪い。
「ファーストキスは?」
「おそらく物心がつく前に、親からされてるかと」
「それ以降は?」
「ありません」
なぜセクハラを受けているのか理解できないが、リセマラを人質に取られている以上、逆らうすべはない。
質問の意図がまるで読めず、どのような答えを望んでいるか見当さえつかない。そもそも、望んでいる答えなどあるのだろうか。
「キャバクラは浮気になると思う?」
「自主的に行くならそうかもしれませんが、仕事付き合いならセーフかと」
「ダメ」
「え?」
質問攻めから一転、回答の訂正を求める占い師。
「キャバクラはダメ。風俗はもっとダメ。本気で怒る」
「怒るって、なんで貴女が……」
「行かないって約束して」
元より行くつもりはないので、糸井としても約束するのはやぶさかではないが、その前に意図を教えてほしいものだ。
例のキック、椅子からずり落ちてのキックの体勢に入っているため、聞くに聞けないのだが。それにしても間抜けな体勢だ。
「約束します。約束いたしますよ」
蹴りが飛んでくる前に、慌てて約束する。流されるまま、闇金に判子を押させられている気分だろう。
どうせ、遅かれ早かれ約束させられる。ならば、痛い目に遭わされる前に約束したほうが賢明。それが糸井の判断だ。
その判断自体は間違ってはいないが、この流れをひきずるのはよろしくない。そのうち、とんでもない契約を結ぶハメになる恐れがある。
「根性無し」
思い通りに事が運んだというのに、ため息混じりに罵倒する。
罵倒ノルマでもあるのだろうか。
「本当に痛いんですよ、貴女の蹴り」
友人とじゃれあう機会に恵まれず、力加減を覚えないまま大人になってしまったのだろうか。
「自分の意志を貫こうっていう、漢気は無いの?」
この人を相手に意志を貫いて、良い事があるのだろうか。
そしてリセマラはいつやってくれるのだろうか。
「私のファッション。どう思う?」
どうやら質問攻めはまだ続くらしい。しかも絶妙に答えづらい質問だ。
正直にダサいと答えるのは論外として、嘘をつくのも難しい。
「……女性のファッションに明るくないので、なんとも……」
「感想を聞いてる。日本語大丈夫?」
うやむやにしようと目論むも、あっさりと失敗した上にブーメランな罵倒まで飛んでくる。もはやこの程度でイラ立つ糸井ではなく、冷静に対応する。
「何を着ても可愛いんでしょうけど、良くお似合いですよ」
「……後ろ向いて、今すぐ。早くしないと蹴る」
「ああ、はい」
謎の命令を下されたので、とりあえず従う。
非力な女性に暴力で脅されるのは少々情けない気もするが、一文の得にもならぬ喧嘩をする方がよっぽど情けないだろう。
「振り向いたら、本気で怒る」
怒らせると怖いので素直に指示に従う。無防備な背中を晒すのも、それはそれで怖い気もするが。
「もう一回、服の感想を言って。振り向かずに」
「ええっと……何を着ても可愛いですよ。お似合いです」
よほど、承認欲求を満たしたいのだろう。振り向かせない意味は分からないが、褒められたいということはわかる。
後ろを向かされること早十分。ようやく、元の方向に戻る許可を与えられる。
「占いを再開するわ」
(むしろ占ってなかったのかよ! 今までの時間はなんだったんだよ!)
リセマラは疲れると言っていたが、それが原因だろうか。それにしたって振り向くなというのは、どういうことだろうか。
見せられない行為、企業秘密が絡んでいるのだろうか?
まさか人が見ていないのをいいことに、変顔をしていたというわけではあるまい。
とりあえず邪魔にならないよう、無言になる糸井。
「なんで、いつも無言なの?」
いつだってそうだ、この占い師は。口を開けば不可解な言葉が飛び出る。
機嫌を損ねないように細心の注意を払ったところで、勝手に機嫌が悪くなる。
まさに足下自動追尾型の虎の尾だ。
「占いの邪魔をしては、悪いかと思いまして」
「私と話すのが嫌いなの?」
話が飛躍しすぎている。この人の思考回路は、「乙女心は分からない」という常套句で片づけてはいけない。
「貴女と話すのは楽しいですが、占いの邪魔を……」
「私と話すのが楽しい?」
怪訝そうな表情で、食い気味に聞き返す占い師。
基本が無表情なので見る人が見なければ分からないだろうが、訝しむような表情で間違いないはずだ。ちなみに糸井は見る人だ。
「……」
「占い師さん?」
黙り込んだかと思えば、急に店をたたみ始める占い師。
「椅子と机運ぶの手伝って。看板も」
呆気に取られている糸井に、手伝いを要求する。
占いがどうなったのか聞き出す間も与えず、看板と椅子を押し付けてくる。
「運ぶって、どこにですか? 車で来てるんですか?」
今まで考えもしなかったが、いかに寂れた公園といえど、占いの館セットを常設できるわけがない。たとえそれが、傍若無人が服を着ている奇人だろうと。
「私の家。すぐそこにある」
「え……」
まさかの自宅訪問。名前より先に住所を知るとは、誰が予想しただろうか。
稀代の奇人といえど、世紀末畜生といえど、女性は女性。名前も知らぬ美女の家にあがりこむのは、さしもの糸井も緊張する。
糸井は気付いているのだろうか。この女の家に足を踏み入れることの危険性に。
もっとも、とっくの昔に手遅れ、もとい手詰まりなのだが。
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