第11話 蜘蛛の糸

「こ、怖い人というのは、どんな……」


 氷点下にいるのかと見紛う程、震える声で質問する糸井。

 月見団子が月の代役を務めたように、人の想像力というのは中々奥深く、厄介なものだ。

 怖い人という抽象的な表現が、よりいっそう恐怖を引き立てる。

 想像の余地を残されると悪い方向に想像力が働くので、明言してほしい。


(チンピラ、上司、ヤーさん。世の中に怖い人が多すぎる!)


 ある意味ではヤクザよりも恐ろしい人種が目の前にいるのだが、今回の占いとは無縁だろう。

 囲まれるということは、最低でも三人はいると見ていい。人数の定義は決まっていないだろうが、二人以下ってことはないはず。少なくとも一人の場合は絶対に使われないだろう。

 ならば、今回の怖い人に占い師は含まれないはず。実は三つ子という、衝撃且つ最悪の事実が隠されていない限りは。


(待てよ? 同種とは限らないのか……)


 チンピラ、上司、ヤクザ、占い師。日本四大指定害悪人種が徒党を組んで、糸井を取り囲む可能性だって十分にある。

 どういう流れで集まった四人なのか想像もつかないが、ろくな目に遭わないことは確定だろう。


「怖い人は怖い人。頭がおかしい大人。まともじゃない」


 耳を塞ぎたくなるような返答がくる。『貴女と比べてどうですか?』と、聞けるものならば聞きたい。


「あの、囲まれるとおっしゃいますと?」


 胸倉を掴まれると言っていたが、問題はその先だ。

 普通に生きていればあまりないだろうが、胸倉を掴まれるぐらいありえない話ではない。苦しい上に不快なことは確実だが、怪我はしないだろう。

 下手に先走っては、万馬券大当たり詐欺事件の二の舞になる恐れがある。あの時のように、くだらないオチがあることを期待したいところだ。


「胸倉を掴まれるだけですよね?」


 別に胸倉を掴まれたからといって、殴られるとは決まっていない。

 肩がぶつかったせいで胸倉を掴まれ、脅されるだけかもしれない。

 いや、普通に考えれば脅し止まりだろう。糸井を殴ったところで、一文の得にもならないのだから。

 今のご時世、ヤクザが一般人相手に殴らないだろうし、チンピラもそこまでバカじゃない。バカなりに賢いはずだ。

 突き飛ばされたり、金を巻き上げられたり、それぐらいはあるかもしれない。

 だが、逆に言えば、それぐらいだ。仮に殴られるとしても、一発で済ませてくれるだろう。集団リンチされるような生活は、送っていないはずだ。

 ヘビー級ボクサーに殴られるならまだしも、素人に一発殴られたくらいで死にはしないはず。比較的、軽傷で済むだろう。


「顔面に頭突きされるわ」


 糸井の祈りは虚しく却下され、重傷が確定した。

 仮に相手が女子中学生だとしても、本気の頭突きを受ければ鼻や前歯ぐらい簡単に折れる。心も折れる。

 そもそも頭突きなんて普通は使わない。肩がぶつかった程度の相手に頭突きなんてしない。本気でリンチしにきてるとしか思えない。


「おでこ……ですよね?」

「鼻っ柱にモロ」


 目を思い切りつぶる占い師。このリアクションは、そう。直視できないレベルの凄惨な映像を見た時の物だ。おそらく予知した映像を思い出してしまったのだろう。

 この占い師が人の痛みに共感できたことにも驚きだが、今はそれどころではない。 こんな冷血畜生女が目をつぶるほどの威力で、怖い人から鼻っ柱に頭突きをされる未来が待っているのだ。


「それで終わりですよね?」

「お腹も殴られるわ」


 どのような悪行に手を染めれば、そこまで怒りを買うのだろうか。頭突き一発で、溜飲を下げてくれないというのか。

 いや、まだ早い。絶望するのは早い。

 希望や救いは既にないが、まだ絶望する程ではないはずだ。

 あくまでも頭突きと腹パンだ。踏みつけではない。

 腹を踏みつけられたならば、内臓が破裂する可能性がある。いや、破裂しない可能性の方が低いだろう。踏みつけとは、筋力に恵まれない女子供でも格闘家を倒せる禁断の技なのだから。

 それに、人に頭突きをかますような奴が手心を加えてくれるとは思えない。だが、殴られる程度なら、死ぬほど痛いだけで済むはずだ。死にはしない。

 とりあえず、頭突きのダメージを最小限に抑えれば助かるはず。鼻は折れるものとして、諦めるしかない。だが、前歯だけは死んでも守り抜く。覚悟を決めて鼻で受けよう。


「さすがに、それで終わりですよね?」


 これ以上の暴行は、死ぬ自信がある。

 さすがに、向こうとしても、殺すつもりはないだろう。だがどうしても、暴力には弾みというものがある。未必の故意というやつだ。


「倒れたところを思いっきり踏まれるわ。玉を」


 弾むに弾むらしい。いや、玉ではなく暴力が。

 冗談抜きに死ぬ可能性が浮上してきた。なんなら生き残る可能性の方が低いかもしれない。


「頭?」


 聞き間違いにかける糸井。

 頭でも十分やばいが、さすがに頭蓋骨を踏み抜いたりはしないはずだ。


「……ここ」


 椅子からずり落ちるような形で足を伸ばし、糸井の局部に蹴りを入れる。


「うぐっ……」


 情けない声を出しながら、机に突っ伏す。

 短い足による無理な体勢からの蹴りのため、さほど威力は出ていない。だが、それでも痛いものは痛い。

 机に突っ伏して痛がる糸井を見て、占い師は呆れたような声を出す。


「それで痛がってたら、本番で死ぬよ」

「やだ……死にたくない……恨み買うようなことしてない……」


 絶体絶命としか思えない未来に、糸井は絶望する。

 変えられない未来を見ると言うのは、実は不幸なことなのかもしれない。


「頭突き、腹パン、踏みつけ。この三点セットで終わるから大丈夫」

「俺の人生も終わります……」

「鍛えればいいじゃない」


 腹筋以外どうしようもないのだが、どうしろというのだろうか。


「ファールカップでも買えば?」

「あっ……その手がありましたか! いや……でも踏みつけはさすがに……」


 一瞬光明が見えて元気になるも、すぐに冷静になって落ち込む糸井。


「癖をつけとけば?」


 お菓子のおかげか、珍しく親身になってくれる占い師。

 言っている意味はよくわからないが、占いが終わったから帰れと言われない辺り、賄賂の効果はあったらしい。


「癖……ですか?」

「一度脱臼すると脱臼しやすくなる」

「え、ああ。聞いたことありますね」

「玉も体内に入れば潰れる確率は下がる」

「……ええ」

「踏まれたら体内に入るような癖をつければいい」


 無茶苦茶な理論を展開したかと思えば、おもむろに立ち上がる占い師。

 占い師が立っているところを初めて見るが、そんなことを気にする余裕はない。

 嫌な予感がして、逃げようとする糸井の肩を掴む占い師。


「あの……」

「お菓子のお礼。遠慮しなくていい」

「ひっ……」


 チンピラのような足払いで糸井を地面に転がす。

 不意打ちとはいえ、些か情けない。


「く、癖がつくってデータはあるんですか?」

「知らない」


 考えうる限り最悪の答えと共に、糸井の両足を掴む。

 怪我をさせるわけにもいかず、下手に抵抗できない糸井は必死に局部を守る。


「大丈夫、靴は脱ぐから」

「そういう問題じゃ……」

「……なんで抵抗するの?」

(なんで抵抗しないと思ったんだよ!)


 どういう思考回路をしているのだろうか。

 これがお菓子のお礼だというのだから、トチ狂っているとしか言えない。


「……嘘ついたの?」

「え?」


 心当たりが全くない因縁をつけられ、当惑する糸井。


「初対面の頃、私に美人だって言った」

「……言いましたね」


 記憶が曖昧だが、とりあえず頷く糸井。


「それが嘘偽りない言葉なら、これはご褒美のはず。つまり抵抗してる貴方は最低の嘘つき」

「……?」


 この女と分かり合える日は来ないと薄々感じていたし、覚悟はしていた。そんな糸井だが、予想以上に異常な思考にあてられ混乱する。


「一ヶ月も放置されたし、今も拒否されるし……女を弄ぶなんて最低」

(……? え? この人、なに? 俺のこと好きなの?)


 遅まきながら占い師の気持ちに気付く糸井。

 こんな奇人の気持ちに応えようとは思わないし、今はそんな余裕がない。返答を誤れば、地獄を見ることになりかねない状況なのだから。


「嘘なんて言ってません。特殊性癖がないだけです」

「え……男って皆これが好きなんじゃないの?」


 どこの文献を読み漁ったのだろうか。縦向きに持ち運んだ弁当よりも偏っている知識に戸惑いつつも、占い師の価値観を正そうと諭す糸井。

 珍しく傾聴してくれる占い師だが、この恥辱を与えるために最適な体勢は一切崩さない。人気がない場所とはいえ、屋外だということを失念しているのだろうか。

 いつ蹴りが飛んでくるかわからない状況に怯えつつも、なるべく平静を保つ糸井。


「なるほど。貴方はまだ、この趣味を開拓してないんだね」


 ポテンシャルを期待しないでくれ。一生未開の地だよ。

 そのツッコミを押し殺して、立ち上がる糸井。


「目覚めた時はお願いしますよ。貴女以外にはやられたくないです」

「当然。浮気は男の甲斐性なんて、理解できないから」


 玉虫色の返しに、本気の返しがくる。言霊ではないだろうが、おぞましい何かが含まれている気がする。


「じゃあ俺はそろそろ……」


 難を逃れた糸井は、占い師が再び暴走する前に逃げ帰ろうとする。

 しかし現実は非情なもので、肩を掴まれる。


「いいの? まだ解決してないと思うけど」

「それはそうですけど……どうしようもないんですよね?」


 半ば諦めている糸井は一刻でも早く、少しでも丈夫なファールカップを探したいと思っている。

 それ抜きにしてもこれ以上、占い師と関わりたくない。一日に耐えられるキャパを既に超えているのだから。


「どうしようもあるよ?」


 そんな糸井に、怪しい日本語で返答する占い師。

 似非中国人になったのかと思い、一瞬思考が停止する糸井だが、意味を理解して興奮する。


「ほ、本当ですか?」

「んっ」


 かかり気味の糸井の眼前に、指を二本立てる占い師。目潰しでもなければ、ピースサインでもない。


「二つある」

「二つもですか?」


 地獄に仏とは、まさにこのことか。これも占い師の機嫌を取った恩恵というヤツだろうか。


「一つ目。鍛える」

「鍛える」


 目に見えない何かが、落ちるような音が聞こえた気がする。おそらく、コメディでしか聞かないようなオノマトペだ。


「リンチされても平気なように、鍛え抜く」


 他人事だと思って適当なことを言っているのだろうか。真剣ならば、それはそれで問題だが。


「鼻に頭突きされるんですよね?」

「鼻と前歯を鍛えて」

「股間を踏まれるんですよね?」

「玉を鍛えて」


 やはり、ふざけているらしい。

 なぜそれを自信満々に提案できるのだろうか? ツッコミ待ちなのだろうか?

 無表情がドヤ顔に見える程度には自信満々なのが腹立たしい。


「二つ目……聞かせていただいても?」


 ため息を押し殺しながら、一応聞いてみる糸井。本当に殺したいのはため息じゃなくて占い師なのだが、必死に衝動を抑える。


「ふふっ、せっかちだね。早い男は嫌われるよ」


 珍しく年相応の可愛らしい笑顔を見せる占い師だが、今の糸井にはそれにときめく心の余裕がない。生々しい上にピクりとも笑えない下ネタを受け、殺人衝動に駆られているからだ。

 この占い師は法律に守られているという自覚があるのだろうか。


「リセマラだよ、占いの」

「リ、リセマラ!?」


 一つ目の提案が不要だとしか思えないほど魅力的なワードが、占い師の口から飛び出した。提案に微塵も期待していなかった糸井は思わず大きな声を出してしまう。

 これは一種のドアインザフェイスなのだが、一条の光、蜘蛛の糸が見えた糸井はそれに気付かない。

 当然、気付かない。蜘蛛の糸は救いじゃなく、狩人の巣だということに。

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