第10話 人生詰む詰む
財布を開く度に競馬での散財が脳裏をよぎり、精神的なダメージを受ける。
普通に競馬をして負けたのであれば納得できるだろう。だが、糸井が大金をつぎ込んだのは万馬券。宝くじに大金をつぎ込むのと同じくらい馬鹿げている。
もう少し早く気づいていればどんなに良かっただろうか。過ぎたことを悔やんでも仕方がないとわかってはいるが、それでも悔やみきれない。
寝ても覚めても金のことを考えるという哀れな習慣がついた糸井だが、ここで一つ疑問が生じる。
「結局アイツはどうやって収益得てんだ?」
当然のことだが、競馬につぎ込んだ金が占い師の懐に入るわけではない。
糸井が占い師に払ったのは、四百円の両替手数料とジュース一本。
手口が手口ゆえにしてやられた感が強いが、占いの報酬としては非常にリーズナブル。普通の占いと比較してもそうだし、絶対に当たる占いならば尚更。
「まさか、御令嬢なのか? あのナリで」
御令嬢とはかけ離れた服装だが、全女性がファッションに金をかけているとは限らない。少なくとも彼女は、かけない側の人間だろう。
適当な服でも一般女性を凌駕できる美貌もさることながら、そもそも他人の目に無関心なのだろう。
服装を抜きにしても御令嬢の立ち振る舞いとは程遠い。そもそも御令嬢は、あんな恥知らずな手段で四百円を巻き上げない。
「本業で何かをしてる……ってのも考えにくいな」
具体的な営業日は知らないが、糸井が公園に訪れる度に営業していた。初回は日曜日の午前。二回目は月曜日の昼前。そして三回目は日曜日の夕方頃。
さすがに年中無休ではないだろうが、休業日は少なめと見てもいいだろう。
とてもじゃないが、掛け持ちで仕事をする余裕があるとは思えない。
そもそもの話、あの性格で他人と仕事をするのは無理だろう。自営業だからこそ、ギリギリ許容されているに過ぎない。
「探りを入れてみるか?」
知名度や人気が高い人物。若くして大金を稼いでいる人物。好きなことをして生活している人物。そういった生き方をしている人物というのは、本人がどう思っているかはさておき、一般的には成功者と言える。
成功者というのは、有名税という免罪符を掲げた愚者達に身辺を探られる。様々な理由があるとは思うが、大抵は嫉妬だろう。
糸井は多少、俗っぽいところもあるが、成功者を妬むほど浅ましくはない。
成金に嫉妬する暇があれば、出世する努力や、副業で稼ぐ努力をする。
著名人に嫉妬する暇があれば、友人を作るなり、社内での評価を上げるなりする。
ゆえに占い師の懐事情や交友関係など心底どうでもいい。
それでも彼女がいかにして生計を立てているのか、探らずにはいられない。彼女の懐事情が重要な情報だと直感しているのだ。
「おはようございます、占い師さん」
馴れ馴れしいと思われない程度に、気さくな挨拶をかます。
糸井のプロファイリングによると、この手の人間はズカズカと距離を詰めれば嫌がるし、下手に距離を置けばそれはそれで不機嫌になる。
プロファイリングが成功したかどうかはわからないが、一瞬だけ糸井のほうに目をやった後、何事もなかったかのように読書を再開しだした。
「読書中にすみません。いつもありがとうございます」
感謝の言葉と共に、持参した媚び売りセットを机の上に置く。
なけなしの金で購入した、ジュースやお菓子の詰め合わせ。賄賂としては安いが、差し入れとしては丁度いい値段の代物だ。
「何のつもり?」
糸井の顔と、机に置かれた紙袋を交互に見ながら、意図を探る占い師。顔にこそ出さないが、警戒しているのは明白だ。
読書に夢中のあまり、感謝の言葉を聞き逃したというわけではない。
人に感謝しない人間が、感謝という気持ちを理解できないのは当然だ。ましてや、この性格。人から感謝されることに慣れていないのだろう。
「いつも無料で占ってもらってますからね。そのお礼ですよ」
「…………」
数秒沈黙した後、表情を崩さずに紙袋を漁る。
おそらく占い師の辞書には、お礼にまつわる言葉が登録されていないのだろう。煽りにまつわる言葉ならば、数十ページ分は登録されているのだろうが。
「甘い物、大丈夫でしたか? 一応、スナック系も入れておきましたが」
占い師の思考と嗜好が全く分からないので、なるべく多くの種類をかき集めた。子供会で貰えるお菓子セットよりも、よっぽどバラエティに富んでいると思われる。
その分、出費がかさんでしまったが、ここで占い師の嗜好を知ることができれば、以降は安くすませられるだろう。
糸井の読みが正しければ、この場で遠慮なく飲食するはず。
何を手に取り、何をどれくらいのペースで食べ進めるのか。注意深く観察すれば嗜好がわかるはずだ。
占い師が手に取ったのは、オレンジジュースと板チョコ。
甘党だろうか? 溶ける前に食べたいだけという可能性もあるが。
「早く座って」
素っ気なく着席を促しつつ、ジュースを流し込む。ここだけを見れば、お礼の言えない不義理な女性に見えるだろう。
いや、実際にそうなのだが、それは彼女の上辺の部分でしかない。
中身が入った紙袋を足下に置く。着席を促す。それは、今回も占いをしてやるという意味に他ならない。
読書を中断してまで、相手をしてくれるのだ。彼女の性格を思えば大盤振る舞いと言っても過言ではない。
「好きなお菓子とかジュースがあれば、また買ってきますよ」
ほんの一瞬ではあるが、占い師は目を見開いた。間違いなく、驚きの感情だろう。
占い師に驚愕という感情が存在するという事実こそ驚愕なのだが、それを口にする勇気はない。
(見間違いじゃないよな?)
瞬きをしていたら見逃す程、一瞬だったが、見間違いではないはず。まさか、瞼が痙攣していたというわけではあるまい。
短い付き合いではあるが、感情の起伏が見られるのは非常に珍しい。
これまでに起伏があったとすれば、糸井が女性用トイレに閉じ込められた時ぐらいだろう。あの時は軽蔑の眼差しを向けられ、椅子ごと距離を離された。色々な意味で忌まわしい記憶だ。
(それにしても、お菓子を買えないくらい貧乏なのか?)
長時間並ばなきゃいけない高級店の限定スイーツならまだしも、スーパーで適当に買い集めた二束三文のお菓子だ。
これで感情を揺さぶれるなど、夢にも思っていなかった。嬉しい誤算だろう。
「コンビニ限定のスイーツ」
短く言い放ち、占いを始める占い師。
あまりにもさりげなく、危うく聞き逃すところだった。実際、糸井が情報収集モードでなければ聞き逃していただろう。
「えっと、コンビ……」
「それ以外のお菓子も嫌いじゃない。スナックとかも」
糸井が聞き返す前に追加情報がやってくる。基本的に何でもいいのだろうか。
「ジュースは変なもの以外ならなんでも。でも無糖は避けて、なるべく」
クールな見た目をしているわりには、ブラックコーヒーやストレートティーの類が苦手とは、可愛いところもあるようだ。
「えっと、炭酸とかは」
「平気。むしろ好き」
食い気味に返答される。非常にありがたい情報だ。炭酸飲料が飲めるだけで、選択肢が大幅に広がる。
占い師の嗜好は大体、把握することができた。だが、それ以上に重要なことが一つ分かった。
普段は『その口は飾りなのか?』と言いたくなるくらい無口だが、自分の欲望には忠実且つ、饒舌になるらしい。
「良い腕時計ですね。どこのメーカーですか?」
「黙ってて。占いに集中できない」
やはり、欲望に忠実らしい。雑談になった途端にこれだもの。
情報をかき集めるには、欲望を上手く突いていく必要がある。当面は食べ物関係で攻めるべきだろうか。
そんなことを考えつつも腕時計をチラ見する。この距離ではメーカー名までは見えないが、有名なメーカーではなさそうだ。
(つっても、レディースの時計なんか知らんけどな)
不景気というのもあってか、今の若者は腕時計への関心が薄い傾向にある。糸井も薄い側であり、レディースの腕時計となれば尚更だ。
(有名かどうかはわからんけど……安物ではないのか?)
高級かどうかまでは見抜けないが、二束三文ではないことぐらいはわかる。
(時計に金かけるような女か? 時間なんかスマホで見ればいいってタイプだろ)
となれば、媚びを売りに来た顧客からの献上品だろうか? まさか拾い物や盗品ということはあるまい。
友人からの誕生日プレゼントというのも、考えにくい。友人がいるかどうかはさておき、普通はもう少し安価な物を渡すだろう。
(シャークトレード? 御曹司を脅迫? さすがにパパ活は違うよな)
交際相手からのプレゼントという考えに至らない辺り、占い師に対する理解度が高すぎる糸井。
占い結果が出るまでの時間を、観察と考察に費やすこと五分。
考えることが尽きたのを見計らったかのように、結果が出る。
「怖い人に囲まれる貴方が見えた」
耳を疑いたくなる結果だ。実際、疑っている。
内容もそうだが、結果の偏りが信じられない。三回目の占い結果を悪い目にカウントするならば、四連続で悪い目が出たことになる。
しかも、考えうる限り最悪の占い結果だ。
目を覆いたくなる結果だが、糸井はこれまでの占いを思い出して頭を冷やす。
(いや、落ち着け! 騙されんな! 解釈次第だ!)
一緒に麻雀をすることを囲むって表現するじゃないか。一緒に鍋を食べることを囲むと表現するじゃないか。電車とかバスで周りが怖い人だらけってだけのパターンもある。囲まれるイコール襲われるじゃないんだ。そもそも怖い人という表現が曖昧すぎる。俺からすればお前も大概怖い人だ。
交通事故に遭う直前並に、思考が高速になる。
ほうっておけば永久に続きそうだが、占い師が善意という名の水を差す。
「ジュースとお菓子のお礼に詳しく教えてあげる。胸倉を掴まれてるわ」
(あっ……怖い人だわ。文字通りの囲むだわ。襲われてるわ、未来の俺)
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