第9話 素人ギャンブラー糸井

 草木も眠る丑三つ時。現代人にわかりやすく言えば午前二時から二時半。

 魑魅魍魎が跋扈すると古来より言い伝えられている時間帯だ。

 諸説あるだろうが、丑の刻参りもその兼ね合いだろう。

 呪術や怪異をまやかしだと捉えている現代人にとっては、一心不乱に丑の刻参りをする人間のほうが、よっぽど魑魅魍魎だろう。


「あのクソアマ! 残念美人!」


 数時間後には出勤する時間だというのに、魑魅魍魎の眷属に成り下がったサラリーマン。お察しのとおり糸井明だ。

 ロウソク代わりの懐中電灯を頭に装着し、神社の木に五寸釘を打ち付ける。それはもう、一心不乱に。

 さすがに白装束や魔除けの鏡などの丑の刻参りスターターセットは、身に着けていない。だが、第三者の視点からは、丑の刻参りであることは明白だ。そこまではわからずとも、近寄ってはいけない人間だということぐらいはわかる。


「こんなものっ!」


 糸井が木に打ち付けているのは、藁人形ではなく紙くず。正確に言えば、紙くずと化した勝馬投票券だ。

 聞きなじみのある言い方をすれば、馬券。レースの着順を予想し、的中すれば配当金が得られるという代物だ。逆に言えば、外れたら紙くずとなる。

 馬券は馬連でも万馬券。倍率は百倍以上で、百円が一万円に化けるから、万馬券と呼ばれている。

 言うまでもないことだが、当たる確率は極めて低い。一般的には、宝くじ感覚で購入する物だろう。

 本気で当てようと、購入する者はおそらく少数。実際、占い師の予言がなければ、糸井も購入に踏み切ることはなかった。

 元々ギャンブルをしない男だというのもあるが、予言さえ無ければ大金をつぎ込むことはなかっただろう。せいぜい、百円を数回つぎ込むのが関の山。仮に大金を賭けるとしても、手堅いところにつぎ込んでいたはずだ。


「くそっ! 釘が足りねぇ!」


 外れ馬券があまりにも多く、用意した五寸釘が底を尽きようとしている。大量にまとめて打つという発想は、無かったのだろうか。いや、別に全ての馬券を打つ必要は無いし、そもそも打つ必要が無い。

 小心者ゆえに初めは、百円をチマチマと張っていた。だが、負けがこむにつれて二百円、三百円と徐々に張りが大きくなり、最終的には一万円を張り続けた。

 コンコルド効果に陥っていると半ば気づきつつも、占い師の予言を信じて貯金を崩し続けたのだ。

 その結果として三年間コツコツと貯めた貯金は、最低限の生活費を残して全て消し飛んだ。


「俺の……俺の三年間が……無駄に……」


 音が響きやすい時間帯だということも忘れ、全身全霊を込めて五寸釘を打ちつける。半泣きになりながら。

 通報されるのが先か、誤って指を打つのが先か。

 人生で一番荒れていると言っても過言ではないが、それも無理からぬ。

 一人暮らしの人間の貯金は、実家暮らしの人間の貯金とはまるで価値が違う。

 誇張抜きにして命に関わるのだから。


「詐欺だ……悪意だ……」


 糸井が荒れている理由は、貯金を失ったこと以外にもある。

 素人といえど、万馬券がそうそう当たる物ではないことぐらい理解している。

 ゆえに一発目で当たるなどという甘い考えは、ハナから持っていなかった。負けを積み重ね、最後の最後で巻き返せばそれでいい。そう考えていた。

 占いを信じれば必ず当たるという考えの時点で既に甘いのだが、糸井がそれに気付いたのは再度訪問した後だった。




 前回の占いからおよそ一ヶ月。

 当たるまでは会うまいと決めていた糸井だが、目に見えて溶けていく貯金に不安を覚え、再び占い師のもとを訪れた。


「あ、お久しぶりです」

「ん……一ヶ月も放置なんていい度胸してるね」

「すみません……できることなら毎日でもお会いしたいんですけど」


 彼女面で膨れる占い師。

 名前も知らない奇人に彼女面される覚えはないのだが、機嫌を取る糸井。

 機嫌の取り方が絶妙に気持ち悪いが、交際歴のない男などこんなものだろう。


「来ればいいでしょ」

「えっと……仕事が……」

「仕事で一ヶ月も放置? 下っ端のくせに?」

「うっ……」


 的確に痛いところを突かれる。前者ではなく後者のほうだ。

 新入社員の女性が愛嬌一つで糸井よりも高い評価を得ており、並々ならぬ焦燥感を覚えている。そんな糸井に下っ端という言葉は禁句だ。


「えっと……本日は前回の占いの件でお伺いしたのですが……」

「……」


 バツの悪さからすかさず本題に入るが、反応が思わしくない。

 無表情だが、好意的な感情を抱いていないことぐらいは読み取れる。


「アナタは昭和の男?」

「え……? 平成ですが……」

「平成生まれなのに、女を飯炊き女扱いしてるの?」

「……?」

「私は昭和の男が嫌い。女性をステータスや装飾品、便利グッズ扱いしてる」

(それは女性も大概じゃ……アッシー君とかメッシー君とかミツグ君とか)


 この店は喧嘩を売る店なのだろうか。

 いわれなき誹謗中傷をうけ、戸惑う糸井。


「毎日でも会いたいと言いながら、結局私の力目当て。都合の良い女扱い」

(何言ってんだ? こいつ……)


 何を言っているかはわからないが、痴話喧嘩らしき流れになっていることはなんとなくわかる。


「いえ、会いたいってのは本当です。仕事が無ければ、この辺に引っ越したいくらいですよ」


 占い師の思考回路、情緒、関係性に混乱しつつも、不穏な流れを止めにいく。

 考えうる限り最悪のせき止め方だが、糸井は慣れすぎているのだ。その場凌ぎの言葉を紡ぐことに。


「言質は取ったよ」

(あれ……まずった?)


 言質を取るという、本職の占い師さながらのムーブを見せる占い師。

 失態を演じたのではないかと不安に駆られる糸井だが、糸井が思っている以上に深刻な事態だ。この一言が後の悲劇の決定打なのだから。


「ええっとぉ……今のは……」

「うるさい。で、占いがどうしたの?」


 発言を取り消そうとする糸井を一蹴し、本題に移ろうとする。

 ここで強引に発言を撤回していれば違う運命もあったのだろうが、後の不幸を知らぬ糸井は、素直にこれまでのことを話す。

 一度当たれば黒字になる賭け方を徹底していたこと。税金も考慮した賭け方をしていたこと。素人なりに考え、戦績や馬場状況をもとに予想を立て続けたこと。万馬券以外は一切買っていないこと。

 あくまでも占いに忠実且つ、クレバーに賭け続けていたことをアピールする糸井。

 一通り話し終え、救いの一言を待つばかりだが、占い師は無言で首をかしげるばかり。予想外の反応に嫌な汗をかく糸井。

 嫌な予感が止まらず不安げにしている糸井がよほど面白かったのか、うすら笑いを浮かべる。


「最悪の錬金術だね」

「え?」

「金を万馬券に変換して、それは紙くずに変化したんでしょ? ふふっ」

(え……何わろとんねん……)


 第三者の意見としては、なんら間違っていない。

 糸井の行動は誰が見たって愚行だ。嘲笑されても文句は言えない。

 だが、この女は第三者などではない。予言した張本人、糸井を愚行に走らせた張本人なのだから。


「で? 何が聞きたいの?」

「何がって……占いがいつごろ実現するのか、大体でいいんでわかりませんか?」

「……? もうとっくに実現してるけど?」

「えっ……」


 意味が理解ができず、頭が真っ白になる。

 糸井は毎レース最後まで観戦している。結果と馬券も毎回確認している。

 当たりを見逃すなどありえない。

 見逃しているなら、それはそれでいい。当たりの馬券は六十日以内であれば、換金することができるのだから。

 むしろ、見逃している方がありがたいだろう。


「いやいやいや、毎回確認してますけど当たってませんよ?」

「なんの話?」


 無表情ながら怪訝そうな雰囲気をかもしだしつつ、不可解な返答をする占い師。


「万馬券が当たるって占いの話ですよ! たしかに言いましたよね!」

「……? 当たるなんて言ってないけど?」


 すっとぼけるつもりだろうか。

 このまま、言った言わないの水掛け論を繰り広げるつもりだろうか。

 一ヶ月前の占いを思い返しながら、食い下がる糸井。


「言いましたよ! 万馬券を片手に喜ぶ俺が……え?」


 言い終える前に己の過ちに気付き、嫌な汗が噴き出す。

 たしかに言っていない。当たるなど一言も。

 当たりを彷彿とさせる表現だが、それは解釈の問題に過ぎない。


「たしか……わりと最初の頃……」


 もはや忌まわしい記憶だが、たしかに覚えている。

 負けが込んでいた糸井は、ワイドで最終オッズ百倍以上という不人気の馬に二万円突っ込んだ。

 絶望的な馬券だが、レースは理想的な展開だった。そう、素人の糸井から見れば。

 糸井の賭けていた二頭はダントツでトップ。仮に一頭追い込んできたところで、ワイドなので問題はない。

 それだけ聞けば勝ちが濃厚だが、なんのことはない。気性難の馬がかかり気味になって暴走しただけの話だ。

 後半から垂れてくるのが目に見えているのだが、素人の糸井にそんなことがわかるはずもなく、馬券を握り潰さん勢いで大興奮。そう、まさに万馬券を片手に大喜び。


「じゃ、じゃあ俺は、占いの結果通りになった後も無駄に万馬券を……」


 下手に掛け金を釣り上げてなければ、もっと早く占い師のもとを訪れていれば。

 後悔先に立たずとはこのことか。

 不幸中の幸いだったのは、クレジットカードで馬券を購入できることを知らなかったことだろう。


「で? 占いする?」


 放心状態の糸井に対する気遣いなど一切なく、着席か、回れ右の二択を迫る占い師。人の心はないのだろうか。

 情緒不安定の糸井は思考を放棄し、千鳥足でその場を去る。

 返事をしないのはよろしくないが、そんなことを考える余裕はない。

 気付けば丑の刻参りをしていた。

 帰宅するまでの記憶は勿論のこと、丑の刻参りの準備さえ記憶にない。

 丑の刻参りが、なんらかの法に抵触することは理解している。それでも憎き馬券に五寸釘を打たずにはいられない。


「諦めん……絶対に諦めん……」


 絶対に、このままでは終わらせない。

 今回の負け分は、必ず占いで取り返す。

 新たな決意を胸に抱き、近隣住民の通報を受けて駆けつけてきた警察官から、半泣きで逃げ帰った。

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