第8話 沼に浸かりながら高所に登る男
占い師が本物だという確信は強まっていくが、いまいち釈然としない糸井。
(そもそもパシられなければ、今の未来はなかったんじゃないか?)
マッチポンプとは少し違うかもしれないが、結果通りの未来に無理矢理持っていかれた感が強い。
だが、考えようによっては良い流れなのかもしれない。
データが少ないのでなんとも言えないが、今のところ大した被害を受けていない。
一回目の占いも悲惨といえば悲惨だが、命に関わるほどのことではなかった。
悪い目が出てもこの程度の不幸が起きるだけならば、挑戦する価値はあるのではないだろうか。良い目がどれほどのものかにもよるが。
それに関しては引き続きデータを集めるとして、もう一つ気になる点があった。とても看過できない点が。
「あの、直近すぎませんか? 未来」
昨日の占いは翌日、今回の占いは数分後。
未来が遠すぎても問題だが、ここまで近いと利用するのも難しいのではないかという懸念が生まれる。
「私がお使いを頼まなければ、別の日に起きていた」
「え?」
「早めに解消できたんだから感謝して」
なんとも腹立たしい物言いだが、値千金の情報、忘れてはいけない情報だと糸井の直感が告げる。
(要するに……結果だけが確定するってことか?)
パシリにされたという過程の部分、これは重要じゃないということだろうか。
(たしか……『小銭が無くてジュースが買えない』って言ってたな)
パシリという単語もなければ、自販機という単語もない。
小銭と聞くと自販機を想像しがちだが、財布そのものを持っていないというのも、これに当てはまるのではないだろうか。
(さっき『別の日に起きていた』って言ってたよな? ってことは日時も確定してないってことか?)
占いが何日後まで有効なのか、それとも有効期限などないのか。
そもそも起こらないということはありえないのだろうか。
大量の小銭、飲み物を常備していれば絶対に起こらない現象だと思われるが、その場合はどうなるのだろうか。
(ジュースを買わざるをえない状況になってしまうのか? なんらかの力が働いて)
あまり想像できないシチュエーションではあるが、実際についさっき起きたことを考えれば、ありえない話ではない。
「えっと、つまりですよ……昨日の占いが昨日のうちに解消される可能性もあったんですよね?」
「当然」
「数年後……十年後に起こる可能性もあったんですよね?」
「くどい」
冷たい返答だが、肯定と捉えていいだろう。ニュアンスとしては『わざわざ当たり前のことを聞くな』で間違いないはずだ。
推理が的中するのは気持ちがいいことのはずだが、手放しで喜べない糸井。
当然だ。有効期限がないということは、逆に言えば逃げ切れないということに他ならない。時限爆弾を抱えていると言い換えてもいい。
悪い目が出た場合、常に怯えながら生活を送ることになる。
良い目が出たとしても、恩恵を受けるのが五十年後ということもありうる。今際の際に成功しても、逆に虚しくなるのではないだろうか。
「つまり……今日たまたま女子トイレに軟禁されただけ、ってことですよね?」
今にして思えば『トイレに閉じ込められる』としか言われていない。公共のトイレとも、女性用トイレとも言われていない。
(ってこたぁ……相当運が悪かったんじゃねえか?)
おそらく、数ある未来の中でだいぶ特殊なパターンを引いたと思われる。
きっと本来は鍵の故障などで、男性用トイレ、もしくは自宅のトイレに閉じ込められていたのではないだろうか。
「そうだね、婦人用トイレとは限らないけど」
またもや糸井の推理は的中していた。それが良いことなのか悪いことなのかはわからないが。
(つまり、未来を見ているというより、確定させているんだな)
未来の確定というのは言ってしまえば事象の予約だが、どこまでランダム要素が含まれるのだろうか。
単純に未来を見るだけならば、本来取らない行動による事象は見えないはずだ。たとえばの話、宝くじを買わない人間の未来を見たところで、宝くじが当たるという未来は絶対に見えない。
確定説が当たっていて、尚且つランダム要素が含まれる場合は、宝くじが当たるという未来が見えることもあるだろう。その場合はきっと、なんらかの理由で宝くじを購入することになると思われる。
もっとも、ランダム説に関してはなんの根拠もないのだが。
(幸いもう一回占ってくれるらしいし、考えるのはそれからでもいいな)
次はまともな結果が出ることを望みながら、真剣な眼差しで占い師を見つめる。
「あの、占い師さん? 距離遠くなってません?」
対する占い師は、軽蔑の意を抱き、汚らわしい物を見るような眼差しだ。
心なしか椅子ごと距離を置いているように見える。
「痴漢と話す口は持ってない」
「ちか……え?」
男性、特に電車を利用する人間を無条件で戦慄させる言葉が飛び出る。ついでに糸井の目も飛び出る。
「痴漢って言いました? 今」
「痴漢の話を聞く耳も持ち合わせていない」
軽く両耳を塞ぐ占い師。お茶目のつもりだろうか。内容が内容なだけに、可愛げの欠片もないのだが。
何が痴漢の話を聞く耳を持ち合わせていないだ。そもそも人の話を聞く耳を持っていないだろ。そんなツッコミを押し殺して聞き返す糸井。
「痴漢じゃないですよ? 急になんです?」
「婦人用トイレに入る男は痴漢。あっち行って」
自分の周りを飛びまわる虫を、払うような仕草をする占い師。おそらく、その虫はハエだろう。
目は口程に物を言うとはよく言ったもので、目が全てを物語っている。口も大概、好き勝手に物を言っているが。
「お腹の調子が悪かったんですよ!」
このままでは、盗撮の疑いをかけられかねない。カタカナ四文字のあだ名をつけられかねない。そんな恐怖から、思わず語気が強まる糸井だが、対する占い師は努めて冷静に返す。
「お腹の調子が悪いと婦人用トイレに入るの? 理解ができない」
「確認する余裕さえなかったんです。わざとじゃないんです」
糸井の弁明に一切の嘘はない。
だが、痴漢というのは往々にして魔女裁判。証拠も答弁書も必要ないのだ。
警戒が解ける様子がまるで感じられない。
「痴漢のために私の力を使いたくない」
「痴漢じゃないです……」
不名誉な称号、低評価はこの際気にしない。だが、占ってもらえないのは非常に困る。ただ、五百円と電車賃、時間を失いに来た人になってしまう。
「婦人用トイレに入ったってことは、女だったら誰でもいいの?」
「いえ、そういうわけでは……そもそも事故です……」
「恋愛遍歴は? 彼女は? 風俗とかは行ってる?」
(え、なんなん? この人)
婦人用トイレに入った件の詰問かと思いきや、急に俗な話題に移る。
この質問には、きっと意味があるのだろう。世間話が嫌いであろう占い師が振ってきた話なのだから。
そう信じて、意味もわからないまま正直に答え続ける糸井。
占い師に逆らえない、痴漢の話題から逸れたというのも大きいだろう。
「へぇ……その歳で彼女の一人もいないんだね。ふふっ」
(え? どの口が言ってんの?)
占い師が初めて笑顔を見せる。
不意に見せる笑顔に弱い人は多く、糸井もその中の一人だ。だが、一切ときめかなかったことは言うまでもないだろう。
「ん、大体わかった。もう帰っていいよ、またね」
占い師から『またね』という言葉が出るとは、天変地異の前触れだろうか。
なぜ打ち解けたのか、見当さえつかない。
だが今は、誤解が解けたことを喜ぶべきだろう。そう判断して、立ち上がろうとした刹那、結局占ってもらってないことを思い出す。
「あっ……そういえば占いは……」
「ん? ああ、万馬券? とかいうのを片手に大喜びしてるのが見えたよ」
「えっ……万馬券……?」
「うん……よくわからないけど」
いつの間に占ったのだろうか。
気になるところだが、それ以上に内容が気になって仕方がない。
良い目なんてものじゃない。
大富豪とまではいかないが、人生を変えるきっかけとしては十分だろう。
大して期待していなかった糸井は、会社を欠勤したことなど忘れて浮かれ気分で帰宅した。それはもう、職質されてもおかしくないぐらいには浮かれていた。
時間が経てば経つほど、テンションが上がっていく。
話は変わるが、ぬか喜びというのは、喜びが大きければ大きいほどダメージが大きい。落下ダメージと言えばわかりやすいだろうか。
この時の糸井は知らなかった。自決用の高さを自ら稼いでいることを。
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